第53話 変わっていく故郷
冬休み、久しぶりに日本に帰ってきた俺は、先輩の実家へと挨拶に伺った。
「娘が大学を卒業するまでは待つこと」──その条件付きで、結婚の許しを勝ち取った。
その次に新幹線に乗り、大阪へ向かう。
広瀬先輩と一緒に、兵庫県の尼崎市にある国鉄塚口駅で降り立った。今度は、俺の母親に結婚の挨拶をするためだ。
大きな山場を越えた安心感もあり、俺はすっかり気が抜けていた。
対して先輩は、初めての尼崎という土地にどこか落ち着かない様子だった。
「……大丈夫かな。尼崎って、治安があんまり良くないってニュースでやってたし」
「テレビは話を盛りますから。大丈夫ですって、俺が案内するんで」
「そうだよね。良かった」
先輩は安心したように笑ってから、ふと線路の向こうを見て声を上げた。
「ねぇ、ところであの子たち、何してるのかな?」
目をやると、線路脇でレジ袋を口に当てている数人の少年たち。
先輩は不思議そうに首を傾げていた。
ああ。あれは。これは先手を打っておこう。
「あの子たちは、レジ袋の中で声を反響させて遊んでるんですよ。」
「へぇ?変なの。それって楽しいのかなぁ」
先輩はちょっと首をかしげながらも、それ以上は深く追及してこなかった。
本当のところはあいつらは、シンナー遊びをしている。
令和では「シンナー中毒」なんて死語になってるけど、この時代はまさに最盛期。
不良達は安価で簡単に手に入るシンナーを使って、自身の脳細胞を破壊することに精を出していた。
ちなみに、2000年代になって急にシンナー中毒者の検挙数がゼロになったのには理由がある。
気持ちよくなる原因物質になっていた有機溶剤のトルエンが、シンナーに配合されなくなったからだ。毒性が高すぎるトルエンの代わりにn-ヘプタンなどの直鎖状のアルカンが使われている。
まぁこの辺は尼崎市民なら誰でも知ってる常識的な知識だな。
その後も先輩は、道端で怒鳴っているおじさんや、パチンコ屋の前で号泣しているギャンブル中毒者を興味深そうに見つめていた。
俺はそのたびに、「あれは演劇の練習をしているのかもしれません」「あれは大当たりを祈願する関西人特有の儀式なんですよ」といった言い訳を繰り返し、なんとか誤魔化し続けた。
確かに尼崎と聞くと治安が悪いイメージを持たれがちだけど、この塚口周辺は治安が特にいい地域なんだ。静かで穏やかで、ファミリー層も多い。
俺の故郷を危ない街だと認識されるわけにはいかない。故郷の名誉を守るべく、熱弁をふるっていた。
数々の試練を乗り越えて実家に到着すると、久しぶりに会う母が玄関で出迎えてくれた。
思ったより元気そうで、なんだかホッとする。
婚約者を連れて行くことは事前に電話で伝えていたのだが、先輩の姿を見た瞬間、母は一瞬固まった。
そしてすぐに俺の耳元に顔を寄せて、小声でひと言――どこでこんな美人を誘拐してきたの?
なんて失礼な……!
母は最近、ボウリングにハマっているらしい。
腕前はめきめきと上達していて、近所のボウリング場ではちょっとした有名人なんだとか。
最高スコアは180だと自慢げに言われたけども、正直、言われてもどれほどすごいのかピンとこない。野球でいうと120km/h のストレートが投げれるくらいだろうか。
さらに最近は仲の良い男性もできたらしく、週末にはデートにも出かけているらしい。
……なんというか、想像するのはちょっと複雑だけど、苦労してきた分、母には幸せになってほしいと心から思う。
アメリカに呼び寄せることも考えたこともあった。けれど、慣れない異国で孤独にさせるよりは、住み慣れた町で、気の合う仲間たちと楽しく暮らす方がきっといい。
俺がメジャーリーガーになった暁には、ボウリング場付きの立派な家をプレゼントしよう。
先輩に向かって母が思い出話を語り始める。
俺はもう何度も聞いた父との馴れ初めの話だ。
「夫とはね、丸ノ内の本社の研修で出会ったの。で、この塚口の工場に配属されて……」
「この子ったら、お父さんと同じ東大に受かったって喜んでたのに、すぐに辞めて。名前も聞いたことないようなアメリカの大学に行っちゃって」
UCLAだって、それなりにすごい大学なんだぞ!
言い返そうとしたけど、隣で笑っている先輩の表情を見て、なんとなく怒る気も失せた。
帰り道、先輩がふと口を開いた。
「お母さん、すごく優しい人だったね。安心した!」
母は、いつだって優しかった。
俺が野球をやりたいと言ったときも、家計に余裕があるわけじゃなかったのに道具を揃えてくれた。
阪急ブレーブスの試合を見たいと言えば、何度も西宮球場に連れていってくれた。多分、野球にはまったく興味がなかっただろうに。
奈良のド田舎にある高校の寮に進学するときも、俺の決断を尊重して背中を押してくれた。
東大を辞めて、「名前も聞いたことがない海外の大学」に進学したいと言ったときだって――母は驚きながらも、やっぱり止めることはなかった。
先輩の言葉に、俺はうまく返せなかった。
肯定も否定もできず、ただ照れくさそうに後ろ髪をかいた。
塚口駅に戻ると、ふと視界に大きな垂れ幕が目に入った。
行きは気づかなかったのに。
「国鉄が…あなたの鉄道になります」
「62年4月 JR西日本 出発進行」
ああ、そうか。
日本国有鉄道――国鉄は、この春で解体されるのか。
30兆円の負債と、50万人もの従業員を抱えていた巨人は、その重みによって身動きができなっていた。
そして、国鉄解体を掲げて総選挙に圧勝した自民党によって、その身は7つに引き裂かれようとしている。
政治と労働組合に翻弄されながらも、高度成長期の背骨として走り続けた国鉄。
それは間違いなく、昭和という時代の象徴だった。
変わらないように思っていた尼崎の町も、日本の風景も、静かに姿を変え始めている。
俺は足を止め、垂れ幕をしばらく見上げていた。
感慨に耽っていると、背後から奇声が聞こえてきた。
「キョェー! エッ! クエッ!」
……行きにも見かけた、あの道端で叫んでいたおじさんだ。
少し訂正。日本がどれだけ変わっても、この街、尼崎は、変わらない気がする。
元気そうに暴れているおじさんを見て、俺はそう思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
実家への挨拶を終えた俺たちは、梅田の新阪急ホテルに泊まっていた。
先輩は大阪駅と梅田は別の場所だと勘違いしていたようだ。ホテルの目の前に見える大阪駅にビックリしていた。
「トップガン」でも観に行こうかと、梅田ピカデリーに行くことを提案したら、先輩は別の映画館がいいと駄々をこねる。可愛い。
そういやピカデリーって松竹系だったな。
先輩パパは東宝グループ勤めだし、多分ライバル企業だから嫌なんだろう。俺たちは茶屋町まで歩いて、三番街シネマに向かった。あそこは東宝系列のはずだ。
この映画の大成功によってアメリカ海軍は大量のパイロットに憧れる志願兵をゲットすることに成功した。
俺のチームメイトも映画を見た翌週に、進路を軍に変えてて笑った。彼にはこれから始まるイラクの地獄でも頑張ってほしい。
新阪急ホテルの地下一階には、バイキングレストラン「オリンピア」がある。
母の話によれば、幼い頃に父と一緒にここを訪れたことがあるらしい。
けれど俺には、その記憶はまったく残っていない。
今夜は、広瀬先輩と一緒にその「オリンピア」でディナーだ。
明るい照明に照らされた広い店内には、料理の香りが満ちている。
目移りしそうなほど並ぶメニューのなかで、俺はひたすらステーキばかりを皿に盛って、先輩に笑われてしまった。
ホテルの客室から外を眺めると、国鉄大阪鉄道管理局の建物が見える。
巨大な敷地に建てられた、戦前の様式を色濃く残す立派なビルには、今日も忙しなく人が出入りしていた。
その横には新梅田食道街。国鉄を解雇された労働者の雇用を守るためにつくられた、戦後の焼け跡のような迷宮めいた飲食街だ。
すぐ近くには広大な梅田貨物駅が広がり、昼夜を問わずコンテナが行き交っている。
この時代、大阪駅の北口一帯は国鉄の王国だった。
国鉄の解体により、この街は大きく変わろうとしている。
北口の超一等地にある大阪鉄道管理局は、巨額の国鉄債務返済のために売却される。
その広大な跡地には、やがて日本最大の家電量販店ヨドバシカメラ梅田店が建つことになる。
そして、「東の汐留、西の梅田」とまで称された梅田貨物駅も、140年近い歴史に幕を下ろす。
長く関西の物流を支えてきたその機能は終わりを迎え、跡地はグランフロント、そしてグラングリーンと名付けられた無機質な超高層ビル群へと姿を変える。
梅田貨物駅と引き込み線で結ばれていた大阪中央郵便局もまた、前年の鉄道郵便全面廃止によって役目を終えつつある。
その跡地には、梅田でも最大級の高層ビル「JPタワー大阪」が建設される。
激動の時代のうねりに呑み込まれるように、街は静かに、しかし確実に変わっていく。
ホテルの窓から見える梅田の景色を、俺は目に焼き付けるようにじっと見つめていた。




