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第41話 赤門

 入学式のあと、俺はかの有名な赤門をくぐる──ことはなかった。

 赤門というのは実は本郷キャンパスにあるもので、1年生には用がないのだ。悲しい。


 駒場キャンパスの門の近くには、予想通り大量の部活勧誘の先輩たちが立ち並んでいた。

 どの部も大声で新入生に呼びかけていて、ざわつく空気に胸が少し高鳴る。

 俺は野球部の勧誘を探して、きょろきょろと周囲を見回していた。


「……そこのキミー!」


 後ろから声が聞こえた気がしたが、声はざわめきに紛れ、俺の耳にはあまり届かなかった。

 それよりも、目の前のやり取りのほうが気になっていた。


 少し太った新入生が、アメフトのヘルメットをかぶったガタイのいい男たちに囲まれている。

「一回だけでいいから見学おいでよ!」「絶対後悔させないから!」などと熱烈に口説かれながら、まるで人さらいのようにどこかへ連れて行かれていた。


 ……なんだあれ。

 何か新しい物語が始まりそうだな、なんて思っていると──


「……そこのキミ!ブレーブスの帽子をかぶってる!」


 こんどは、はっきり聞こえた。

 聞き慣れたブレーブスという単語に、思わず俺は振り返った。


 立っていたのは、一人の女性だった。

 目を輝かせ、まっすぐにこちらを見つめている。息をのむほどの美人だ。

 肩までの髪が春風に揺れ、整った顔立ちはどこか柔らかさと聡明さを併せ持っていた。

 彼女の視線はまっすぐ俺の額——ブレーブスのロゴが入った帽子に向いている。


「やっとこっち見た!」


 嬉しそうに笑った彼女は、そのまままくし立てるように話しはじめた。


「ブレーブスの帽子かぶってる人なんて、初めて見たから声かけちゃった!」


 何か喋っていたけど、正直言って俺の耳にはほとんど入ってこなかった。

 雷に打たれたような衝撃というのは、たぶんこういうのを言う。

 俺は衝撃で話も耳に入らず、相槌を打つだけの状態で彼女を見つめていた。


「はい…はい…そうですね…。」


「やったー!じゃあ、明日の夕方、サークル棟でオリエンテーションやるから、必ず来てね!」


 笑顔でそう言いながら、彼女は俺に紙を差し出した。

 何の紙かも分からないが、言われるままに受け取る。


「キミの名前は?」


「庄内、庄内毅です」


 彼女はメモ帳を取り出して、俺の名前を丁寧に書き留めると、また笑った。


「じゃあ、明日はよろしくね!」


 そう言って、俺の肩を軽く二度、ぽんぽんと叩いたあと、くるりと背を向けて軽やかに人ごみの中へと去っていった。


 その背中を、俺はただ呆然と見送るしかなかった。

 ああ、これが一目惚れってやつかもしれないな……。


 俺の手元には2枚の紙が残されていた。

「硬式テニス部入部案内」

 そして、「入部届」


 入部案内の片隅には、手書きのクマのイラストが添えられていて、吹き出しでこう書いてある。

《祝!関東リーグ4部昇格!》


 ……こうして俺のテニス人生が始まったのであった。

 目指せ、関東学生テニスリーグ優勝。




 …と、いうわけにはいかない。

 俺の夢は、野球で世界に通用する選手になることだ。

 どうやら、さっきの先輩に見惚れてボーッとしている間に、テニス部入部を快諾してしまっていたらしい。

 とはいえ、あれほどの美人が嬉しそうにしてくれていたのに、無碍にするなんてできないな。

 明日のテニス部のオリエンテーションには顔を出して、事情を話して、謝って、辞退するしかなさそうだ。

 それにしても……今まで見た中で、一番の美人だったな。明日、ダメ元で連絡先だけでも聞いてみよう。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


 5分ほどその場に突っ立っていた俺に、周囲の部活勧誘の先輩たちが怪訝な視線を向けてくる。

 ようやく我に返った俺は、再起動したかのように野球部を探して歩き出す。

 しばらくして、坊主頭の学生たちがユニフォーム姿で大声で新入生を呼び込んでいるのを見つけた。

 やっぱ部活といえば、これだよな。

 自然と笑みがこぼれる。俺はその集団へと歩み寄って、声をかけた。


「こんにちは。野球部に入部したいです」


 先輩の一人が俺の顔を見た瞬間、ピタッと動きが止まった。異変を察知した他の先輩たちもこちらを見て同じくフリーズする。


「……もしかしてだけど、庄内くん?」


「はい、庄内です。今年入学しました」


 ……あれ? そういえば、俺が東大に進学したことって、どこの新聞にも出てなかったかもしれない。

 合格したことをほとんど誰にも話してなかったし、そもそも3月は学校にも行ってすらいなかった。スポーツ紙にも俺は進路未定としか書かれていなかった気がする。


 そう考えるとこの先輩達の態度も当然か。

 いきなり岸原レベルの選手がアポなしで来て「入部したいです」なんて言ってきたら、誰でも固まるか。


 気まずい空気のなか、ようやく我に返った先輩に案内されて、俺は野球部のワゴン車に乗り込むことに。

 駒場から15キロほど離れた、本郷キャンパス北端にある東大野球場まで連れて行ってもらう。


 監督やコーチとも同じやり取りを繰り返し、ようやく入部届けを書き始める事ができた。

 学籍番号を覚えてなかったので、学生証を見ながら書いていると、それを背後からのぞき込まれている気配がする。

 提出された入部届けを囲んで、監督と先輩たちがヒソヒソ話しているのが見える。


 グラウンドでは、数人の先輩が練習をしていた。今投げているピッチャーの球速は、まぁ甲子園平均といったところか。

 リーグ最下位ということで期待してなかったが、そこまで酷い投球でもないな。

 ボーッと見ていると、ヘルメットとバットを手にした先輩が声をかけてくる。


「みんな、庄内くんが打ってるところを見たいって言ってるんだけど、お願いしていい?」


 快く承諾して打席に立つ。ピッチャーのフォームはオーソドックスで怪我しなさそうな綺麗なフォーム。見ただけでちゃんとした指導者で学んでいる事が分かる。

 初球は見送り、次の甘い変化球にバットを叩きつける。

 打球はフェンスを越え、防球ネットも越え、その先の森へと消えていった。……あれ、あの奥に住宅地とかないよな?


 誰も何も言わないまま時間が流れたが、やがて監督が口を開く。


「来週の土日に明大との試合があるんだけど、予定空いてる?」


 六大学リーグでは、試合前に登録メンバー25人のリストを提出するだけでいいらしい。だから、今からでも選手登録は間に合うんだと監督は言った。

「はい」とだけ答えると、監督は静かに頷いた。

 その後、特に何のやり取りもなかった。全員が黙り込んだまま、重たい空気だけが流れていた。


 しばらくして、我に返ったコーチが車のキーを取り出し、「駒場寮まで送るよ」と言ってくれた。

 助手席に乗り込むと、少しだけ春の風が窓から吹き込んできた。


 ……そういえば、俺の希望する背番号どころか、ポジションすら聞かれなかったな。

 まぁ、俺のポジションくらい、野球関係者なら誰でも知ってるだろうし、いまさら説明することでもないか。

 それにしても、来週の週末ってずいぶん急だ。ユニフォームは間に合うのか? サイズすら伝えてないんだけど――。

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― 新着の感想 ―
祝!再開!! お待ちしておりました!
再開ありがとうございます。 半年は東京六大学野球で大活躍?
ほう、ここでヒロインかあ。更新楽しみ、久々なんで3話くらい更新いかないですかあ。実は美人局も楽しみ
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