第28話 夏の始まり
一年が入って、スタメンが数人入れ替わった。
今年の一年が逸材揃いとはいえ、戦力的にはややダウンな気もする。まぁ、育成も見越してるんだろう。
最近は、期待の新人・水島を鍛えるのにハマってる。あいつ、見た目はヒョロヒョロなのに球速は140近く出る。筋トレさせりゃ150もいけるんじゃないかと思ってる。
でも筋トレをさせている理由は球速アップよりも、怪我の予防だ。
人間の肘の靭帯ってやつは、そもそも投球用にできてない。強い力で物を投げると筋繊維がどんどん切れていく。つまり完全に消耗品だ。だからこそ、前腕の筋肉を鍛えて、靭帯にかかる負荷を減らすのが重要ってわけだ。
投球数が増えると肘を壊すのは、前腕の筋肉が疲れて靭帯に負荷が直でかかるようになるからだって説もある。
意外なことに、手首の筋肉を鍛えるのも肘に効くらしい。理由は俺も医者じゃないからよくわからん。でも効果があるならやるに越したことはない。
あと、もう一人。一年の一般枠で入ってきた左腕。こいつも期待している。シニア経験者だけど、成長痛のせいであまり試合に出られなかったらしい。スカウトに見つからなかったのもそれが原因だろう。変化球はカーブ一本。でも左ってだけで十分。こいつも当然、筋トレ行き。左投手ってなかなか貴重だし、バッピとしても重宝する。
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今日はセンバツのご褒美として導入された新兵器のお披露目日。バッティングマシン2台。1台あたり約80万。懇意にしている記者の話だと、最近は一部の高校で導入され始めてるらしい。
このマシン、ストレートは140キロまで出る。おまけで変化球も投げられるが、変化量はかなりしょぼい。正直、ストレート専用だな。10万追加してローターの角度が変えられるモデルにしたけど……ぶっちゃけ金ドブだったかもしれない。
でも、これで打撃練習の比率をガンガン増やせる。部内でも順番待ちの行列ができるくらいだ。普及が進んだのはここ数年で、ミズノやSSKだけじゃなくて他のメーカーも参入してるらしい。
それと、俺の新しいバットも届いた。記者にツテがあると、こういう最新のモノにすぐ触れられるのはありがたい。
この時代、金属バットに規制なんてものはほとんどない。反発係数も、肉厚も、直径も野放し状態。令和じゃありえないが、当時は完全に無法地帯。その無法地帯の中でも最強格なのが、新発売された「グランドスラム」だった。
で、このバットがまたヤバい。少し振っただけで飛距離が段違いなのが分かる。重心が先端寄りだから最初はちょっと扱いにくいけど、慣れたらこれは革命的だ。打撃音からしてもう違う。
「カキーン」という高音の打撃音がこの時代の金属バットの特徴だ。
この音は消音バットが義務化された平成以降では聞くことはできない。
何人かに試し打ちさせて感想を聞いたけど、全員「エグい」の一言。部として10本まとめて注文した。でも1本2万。高い。でも、これで打球がひと伸びするなら安いもんだ。
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2年目の夏の予選が始まった。
今日は俺はベンチスタート。スタメン落ちしたわけではなく、控えに出場機会を与えるため。
いわゆる舐めプというやつだな。
セカンドには俺の代わりに、1年の隅田が入っている。彼、守備がうまい。というか、下手したらもう俺よりうまいかもしれない。
正直、俺はここ最近守備練習をほとんどしていない。筋トレに偏って、体重は増えたし、動きも重くなってきた。
その影響もあって、最近は外野へのコンバートも視野に入れて練習している。
ベンチでエースの富浦先輩と並んで、一年の水島の投球を眺める。
「水島、ちょっと制球が甘いですね。急に筋肉つけすぎたんでしょうか」
「うーん……ほんまに投手に筋トレって必要なんか? 桑原なんか細身やのに140出しとるやろ」
実際、今の3年生ピッチャー陣は筋トレをあまりやってない。俺もなかなか勧めきれなかった。
打者と違って、成果がすぐに数字に出るわけじゃないからな。
「肘の負担も減りますし、フォームも安定するんですよ。本当は前腕と手首の筋肉、大事なんですけどね」
そんな話をしてる間に、ウチの打線が爆発。
あれよあれよという間に点が入って、5回コールドで試合終了。
1年がスタメンの半分を占めてても、公立校相手なら十分戦えるんだな。
この時代の高校野球は、明確に公立と私立の力が開き始めていた。
PFやうちのような学校は、全国から有望な「野球留学生」を集め、専用設備でみっちり鍛える。
80年代はまだ過渡期ではあるけど、もう差は明らかだった。
監督はかなり本気で、1年生に実戦経験を積ませようとしている。
それは次の試合――夏の予選準決勝でも見て取れた。相手は五條高校。ここでも水島が先発した。
序盤2回はなんとか抑えていたけど、そこから四球を連発して崩れた。
まぁ、ボールをあまり振ってこないチームには、こうなるわな。制球が不安定だと、四球でじわじわやられる。
ということで、富浦先輩がマウンドへ。
正直、水島のままでも点差的には勝てただろうが、あまり打たれすぎるのもメンタルに良くない。
とはいえ、打線の援護が圧倒的で、結局は大差の勝利。
チーム全体の底上げが進んできて、もう奈良県内では敵になる高校が見当たらない。
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甲子園への出場が決まっても、クラスの空気は淡々としていた。去年はもっと大騒ぎだったのに、慣れてしまったんだろうか。
俺に対する扱いも変わらず。どこか腫れ物みたいな距離感なんだよなぁ。フレンドリーでコミュ力高めの庄内くん、なのに何故だろう。
やっぱり、いつもつるんでる筋トレ馬鹿《野球部》たちのせいかもしれない。体がデカくて威圧感あるからなぁ、あいつら。
俺はこの前の中間テストではクラス1位だった。他の野球部と違って知能があるのに先入観で避けられているのかもしれない。
右隣で3人組がアニメの話で盛り上がってた。盗み聞きすると去年までやってたアニメ、超時空要塞マクロスの話らしい。
俺は見たことはないけども、前世でマクロスFなら観たことある。似たようなもんだろし、これは話題についていけるのでは。
近づいてそっと話に加わろうとした。
……が。
「ごめん、うるさかったよね。すぐ出るから」
すぐに3人は小走りで教室を出ていった。
背中がやたら遠く感じた。周りの目線が冷たい。そんなつもりではなかったのに。
クラスメイトと仲良くするために、話題についていく必要がある。
今は何と言ってもファミコンの時代だ。マリオ、ゼビウス、クラスの男子はみんなその話ばっかりしてる。
PC-9801は部室にあるけど、ファミコンはない。流行りに乗るためにそろそろ買っておいた方がいいかもしれない。
あと、松田聖子とか中森明菜とか、アイドルの話もよく耳にする。クラスの女子は皆同じ髪型。いわゆる聖子ちゃんカットってやつだ。
邦楽はあまり詳しくないけど、レコードでも借りてみようかな。話題にはついていきたいし。
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放課後、数学研究会へ。
3年の山本先輩は、最近チャットボット作りにハマってる。
もちろん、この時代にChatGPTなんて作れるわけがない。あれは「LLM」――大規模言語モデルっていう、膨大なデータを使ったニューラルネットワークの集合体が必要だ。
でも、80年代でも簡単なチャットボットは作れる。いわゆる「人工無能」ってやつだ。
先輩は作った人工無能の返答に悩んでいるらしい。
「マルコフ連鎖でそれっぽく返してくれるようにしてんねんけどな。いつも同じ回答しかしないんよ」
「出現頻度に対して、ちょっとスムージングかけた方がいいですね。確率がゼロになる単語は、稀にでも拾えるようにしとくと精度が上がります」
「スムージング?」
「ラプラスとかカットオフとか。まぁ、詳細は後で紙に書きますよ。文脈を完全に切らさないのがポイントです」
山本先輩のコードはかなり読みやすくて丁寧。俺も手伝ってて楽しい。
「先輩がこの分野を極めたいならアメリカの大学を目指すのはどうですか?例えば、MITは世界で一番コンピュータサイエンスが進んでます」
「でも、英語がなぁ……」
先輩は黙ってキーボードを叩いていたけど、口元はどこか笑っていた。
確かにこの時代じゃ、チャットボットもマルコフ連鎖も最先端だ。でもその先に進もうと思えば、世界を見ないと届かないものもある。
先輩は東大の理一を目指すらしい。受かるとは思うけど、どこか勿体無いなぁという思いもあった。




