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第2話 推し(の概念)との衝突事故 (続き)

「だ、大丈夫!? こはる! ちょっと、今の誰!? すごいイケメンだけど、感じ悪くない!?」


 みつきちゃんの声で、私はようやくフリーズ状態から再起動した。そうだ、私、今、推し(の弟)に「邪魔」って言われたんだった。ひどい。解釈違いも甚だしい。いや、そもそも何の解釈も始まってなかったけど!


「…大丈夫じゃないかも……みつきちゃん、私、見ちゃった……生ける伝説の弟……しかも性格が絶対零度……」

「ええっ!? あの人がやっぱり一ノ瀬葵の弟!? うわー、なんかオーラ違ったもんね! でも、もうちょっと愛想よくてもいいのにねぇ」

「それな! 葵さまはあんなじゃなかった! デビュー前の秘蔵映像によると、もっとこう、子犬のような愛らしさが…いや待て、迅くんは迅くん。別人格。同一視、ダメ、絶対。私はスタッフ、冷静沈着、業務遂行……」


 ブツブツと自己暗示をかけながら、床に散らばりかけた荷物を慌ててかき集める。幸い、トランクの奥底に封印した葵さまグッズは見られていないようだ。セーフ…いや、アウトか? もう何がセーフで何がアウトなのか分からない。


 みつきちゃんが私の腕を引っ張って立たせてくれる。

「ま、まあ、アイドルなんて変わってる人も多いっていうし! きっと何か事情があるんだよ! それより、早く部屋行こ! どんな部屋かなー、楽しみ!」

「う、うん……そうだね……(事情…兄へのコンプレックスとか…? だとしたら地雷原すぎる…)」


 私の不安をよそに、みつきちゃんは完全に寮探検モードだ。私たちは、案内された寮の奥へと進んでいく。廊下はピカピカで、すれ違う男子生徒たちは、練習着姿でさえキラキラしたオーラを放っている。これが…アイドル候補生…! 私たちスタッフ研修生とは、明らかに人種が違う感じがする。なんか、背景にキラキラしたエフェクトが見えるもん。


「うわー、見てこはる! 中庭に噴水あるよ! しかもライトアップされてる!」

「ほんとだ…無駄にゴージャス……」


 案内されたのは、「スタッフ研修生棟」と呼ばれる一角にある、質素…いや、シンプルで機能的な二人部屋だった。部屋番号は「S-773」。SはスタッフのSだろうか。だとしたら、アイドル棟は「I」とか「KiraKira」とか付いてるんだろうか。


 部屋には二段ベッドと、小さな机が二つ。壁には『エーデルスター心得・スタッフ編』という額縁に入った心得が飾られている。


 一、アイドルはダイヤモンドの原石! 魂込めて磨き上げよ!

 一、黒子に徹すべし! アイドルより目立つべからず!

 一、寮内風紀を遵守! アイドルとの不要な接触は慎むべし!

 一、常に笑顔! ただしアイドルへの媚び笑顔は厳禁!

 一、……(以下、細かいルールがびっしり続く)」


「……なんか、思ってたより体育会系だね」

「だね……。特に最後の『以下略』が気になる……」


 私たちは顔を見合わせ、乾いた笑いを漏らした。配られたのは、揃いの地味なグレーのジャージ。…うん、黒子感マシマシだね!


「よしっ! 荷解きして、ちょっと寮内探検してみよ!」

「え、大丈夫かな? アイドル様たちの邪魔にならない?」

「大丈夫だって! 私たちも寮の一員なんだから!」


 ポジティブなみつきちゃんに引っ張られ、私たちは再び廊下に出た。スタッフ棟とアイドル棟は一応分かれているらしいけど、共有スペースやレッスン室は同じ敷地内にあるようだ。


 きょろきょろしながら歩いていると、いくつかの防音扉が並ぶ一角に出た。どうやらレッスン室らしい。


「わー、本格的! ここでみんな練習するんだね!」


 みつきちゃんが感心したように呟いた、その時だった。


 一つのレッスン室から、微かにピアノの音と…歌声が漏れ聞こえてきた。


(……この曲……)


 切ないピアノの旋律。絞り出すような、それでいて芯のある歌声。

 それは、一ノ瀬葵がソロ活動後期に発表した、ファンの中でも特に「泣ける」と評価の高い、超難易度のバラード曲だった。


(誰が歌ってるんだろ…? こんな難しい曲……)


 気づけば、私の足は自然と、そのレッスン室の扉の前へと吸い寄せられていた。扉には小さな窓がついている。


「こ、こはる? ちょっと、覗きはまずいんじゃ…」


 みつきちゃんの制止も耳に入らない。私は、そっと窓に額を近づけ、中の様子を窺った。


 がらんとした広いレッスン室。グランドピアノの前に、一人きりで座り、弾き語りをしている男子生徒がいた。


 窓から差し込む夕陽に照らされた、その横顔。


(―――!!)


 息をのんだ。


 間違いない。さっき私に「邪魔」と言い放った、あの氷河期の貴公子――一ノ瀬迅くんだ。


 昼間見た時の冷たい印象とは違う。彼は、苦しそうな、何かに耐えるような表情で、必死に声を絞り出していた。音程は少し不安定で、声も震えている。完璧だった兄・葵の歌声とは、まったく違う。


 でも、なぜだろう。その不完全な歌声が、私の胸を強く打った。


(……苦しんでる……?)


 彼が抱える、兄への劣等感。プレッシャー。

 その片鱗が、彼の歌声から痛いほど伝わってくる気がした。


 その時、彼が歌うのをやめ、苦しげに鍵盤に突っ伏した。


(あ……)


 何か、声をかけなきゃ。いや、ダメだ。私はスタッフ。しかも、彼には嫌われている。


「――おい、七海」


 突然、すぐ隣から低い声がして、私は「ひゃっ!?」と蛙みたいな声を出して飛び上がった。


 心臓が口から飛び出るかと思った。恐る恐る横を見ると、そこには――


 腕を組み、心底呆れたような、あるいは面白がるような表情で私を見下ろす、もう一人のイケメンが立っていた。赤みがかった茶髪に、少し挑戦的な瞳。さっき廊下ですれ違った時も、やけにキラキラしたオーラを放っていた人だ。


「え、あ、あの……」

「スタッフがアイドルの練習覗き見か? しかも、よりによって一ノ瀬の」


 彼は、私の胸についている「七海こはる(研修生)」と書かれたネームプレートと、レッスン室の中の迅くんを交互に見て、ニヤリと意地悪く笑った。


「感心しないな。ま、あいつの今の歌じゃ、聞いても耳が腐るだけか」


(な……!?)


 なんて失礼な言い草! 迅くんは、あんなに苦しそうに歌っていたのに!


 私が何か言い返そうとした瞬間、レッスン室の扉が勢いよく開き、中から氷のようなオーラをまとった迅くんが出てきた。


「……黒瀬。うるさい」

「お、怖っ。聞かれてたか?」

「何の用だ」


 迅くんは、私とみつきちゃんのことなど視界に入っていないかのように、黒瀬と呼ばれた彼だけを睨みつけている。


 ああ、どうしよう。最悪のタイミングで、最悪の場所に居合わせてしまった。


 私の波乱万丈な寮生活は、どうやら始まったばかりのようだ。しかも、いきなり人間関係が複雑すぎるんですが!?

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