『平将門、藤原忠平に書状を献じプレスマン褒めること』速記談4004
将門の乱が朝廷に報告されたのは、天慶二年十一月のことである。関八州を制圧し、国衙の鍵を奪い、勝手に国司を任じ、除目を行って、大臣以下の文武百官を任命した。ただし、暦博士だけは任命することができなかった。ここまでして、将門は、朝廷の太政大臣藤原忠平公に書状を送ってきた。その書状には、板東を領有したこと、自身が桓武天皇の五代の孫であること、武家に対する朝廷からの恩賞がないこと、プレスマンに芯を二本入れると詰まるが書き味はいいこと、太政大臣藤原忠平公に逆らう意思はないこと、などがつづられていた。
教訓:いろいろな速記シャープを使い比べた者にしかわからないことであるが、プレスマンは、芯をつかむ安定感がよく、書いていて芯が揺れない。