ラスフィールドと、大魔術師の弟子
ラスフィールドは透き通るエメラルドグリーンの海に囲まれた、新鮮で暖かい光の魔力が溢れる美しい土地だ。
大地はほとんどが緑に覆われ、海から眺めると森を取り囲むように町並みが広がり、その先に港が設けられているのが見える。
不思議な魔力の影響からか、陸地内では常に春の季節が続いている。
精霊や聖獣が多く生息し、森も豊かだ。場所によっては精霊や聖獣の通り道も存在するため、森は立ち入り禁止区域もある。中心地に位置する森の中央には大魔術師が約束の儀式を行う神殿があり、そちらは神官たちがいる。
ラスフィールドには魔術師の支部がなく、場所の重要性から〝神殿〟が管轄を持ち、神官たちが森の精霊や聖獣たちと住民たちの仲介役をしていた。
――とはいえ、ユキは話を聞いただけである。
ここはライファスにとって大事な仕事の一つ。留守番を申し訳なさそうに提案された際『師匠を困らせてはいけない!』と思い、ユキはいつも留守番だった。ラスフィールド大陸に来たのも初めてだ。
魔力動の最新式大型船での穏やかな船旅だった。
だが、観光気分も早々に終わり、ユキは今、ひどい船酔いに襲われていた。
(うぅ~っ、早く陸地についてっ)
「……ユキちゃん、大丈夫? もしかして船は初めてだった?」
甲板でぐったりしていたユキは、軽食休憩か戻ってきたユーファに横から覗き込まれ、どうにかうなずく。
「地面が揺れてるなんてありえない……」
美味しそうな匂いのする船内の食事も、泣く泣く諦めた。
ラスフィールドの港もかなり近付いてきたが、到着はまだ到着だ。今は、海がきれいだとか、潮風が気持ちいいだとか楽しむ余裕もない。
「船が初めてなのか? 師匠とは――陸地か」
隣に戻ったロイはすました横顔だ。
「そう、師匠とは大陸を横断するように旅はしてきたけど。うっ」
「吐くなよ」
「ユーファの優しさを少し見習えばいいのに。うぅっ、顔だけ男、血も涙もない鬼っ、腹黒! うっ、だめだ、話すと余計に気持ち悪い……」
大きく揺れる何かに運ばれていることに強い違和感を覚える。
「その悪口に関しては、船を降りてゆっくり話し合おうか」
「まぁまぁロイ、弱ってるし、年下なんだから」
弱っていたって、ロイのことだから気にしないだろう。
(むしろ足手まといだとか、ボクのこと腹の中でいろいろと嫌味っぽいこと言い続けているに違いない)
ライファスのところにやってきた時、ようやく視線を向けた際の顰め面は、こんなのが次の弟子なのかと認めたくない気持ちが強かったのだろう。
(絶対に、そうだ。無駄にプライド高そうだし)
その時、ユキは後ろから両脇に腕が差し込まれた。
「うん?」
何やら、身体がずるずると後ろへと引っ張られていく。視線を移動したら、呆気に取られた顔で眺めているユーファが遠ざかっていく。
てっきりユーファだと思ったら、違っていたらしい。
ユキは目を丸くした。
(とすると――)
と思った時、ユーファがユキの後ろへと目を向けた。
「ロイ、珍しいね?」
「海のほうを見るな。休むならこっちだ」
甲板から引き離されて、固定式のベンチにぽすんっと座らされる。するとぴったりくっつくくらい隣に、ロイが腰を下ろした。
びっくりして、ユキは声が出なかった。
暖かさは師匠と同じだが、彼の座高や体つきがライファスと違い過ぎた。
「おいユーファ、隣に座れ。こいつ、小さいから向こうに滑るはずだ」
「いきなりけなしてるの!? うっ」
「ああぁっ、ユキちゃん、お腹に力を入れるのはあとにしようっ、ねっ?」
反対隣にユーファが腰を下ろした。間にぴったりと挟まれたユキは、波に傾いた船の振動に「うっ」ときたが、二人に挟まれているせいで安定感があった。
ちらりと横を見上げると、こちらを見ていたのか、ロイがふいっと顔を背けていった。
(……悪いやつなのか、そうじゃないのかよく分からないな?)
いや、そんなことはどうでもいい。
(とにもかくにもっ、早く船から降りたい!)
間もなく船の動きが止まった。
到着を知らせる案内が響き渡り、ユキはぱっと表情を明るくすると――真っ先に走った。
「あっ、おい!」
「ユキちゃん大丈夫なの!?」
後ろから二人の声は聞こえた気がしたが、陸地へとかかった胸からの橋を構わず駆け下りていく。どうぞと笑顔で接客しようとしていた船乗りが「え」という顔でユキの姿を目で負いかけていた。
「はぁーっ、生き返る!」
直前まで船酔いしていたとは思えないほど軽い足取りで大地を歩き、ユキは進んで数歩の距離で思わず声を出した。
追いついたユーファが、不思議そうに様子を見る。
「ほんとに船酔い?」
「なんか、自分が大きな何かに揺られているのが慣れなくて」
やってくるロイも怪訝な顔はしたが、「まぁ船酔いだろうな」と考えを締めた。
「語彙力も少ない二番目の弟子の言い分だ。ユーファ、気にすることはない」
「それ、どういう意味かな!?」
「ラスフィールドは初めてか?」
「え? あ、うん」
そういえば楽しみにしていたのだったと思い出し、ユキはあたりを見渡す。
港は小さかった。削向こうにぽつりぽつりと建物が見えて、その奥は美しい森が主張している。
「へぇ、珍しいね。ライファス大魔術師様に、一度もお供したことないの?」
港の出口に向けて歩き出しながら、ユーファが言った。
「うん、出会って八年くらいだけどボクは来ても、近くの町で留守番だった」
「魔術師にとっては、早々に見に来てもいい場所なのにねぇ。ここ、自国からの観光も多んだよ。豊かな魔力の流れがあるし、自分の中にある魔力も探りやすくなったりするし」
魔法がほとんど使えないことを気にしてくれているのだろう。
ユーファは、いい人みたいだ。
(でも、言う相手を間違えてるんだよね)
魔法上達でその方法を勧められる相手は、魔術師の素質的な魔力を少なからず持っている人に限られるだろう。
「まぁ、そういう方法もあるのは知ってるけど、ボクはどうせ無理だから。そもそも魔力があまりないんだよね」
「えっ、でも」
「魔術師は、魔力の気配を意図的に消さない限り、お互いを『魔術師だ』って感じ取れるんでしょ? ボク、それさえないくらい魔力が少ないから」
「師匠様から魔力を抑える術を習っていたんじゃなかったの!?」
「うん」
ユーファが左側からしげしげと覗き込む。右側にいたロイも「そんなに魔力が微量なのか?」と言って、同じように頭を寄せてきた。
「……本当だ。ユキちゃんって気配を断つ魔法をかけているどころか、ほとんど魔力の気配がしないねっ」
「でも、妙だな。なんというか――」
ロイは難しい顔をすると、口をつぐんだ。
「『なんというか』?」
「――なんでもない」
気のせいだろうとロイは言った。
港を出た。森や大自然が多いとはいえ、港からは町が広がっていて人の行き来はあった。
「都会じゃない風景って、久し振りかも」
「今は各地の魔術師学校が卒業のタイミングだから、すいているんだよ。魔術師の観光も多いからね」
ラスフィールドは聖獣戦争で吹き飛ばなかった大地とはいえ、かなり広さがある。
森の位置によって精霊域、聖獣域と濃厚に魔力も偏っているそうだ。生息している精霊も変わってくる。
「清らかな魔力だからな。光の精霊も、そう深くない場所にいる。夕刻前には神殿で儀式が始まる。師匠と、もう一人の大魔術師が今回は担当するそうだ。それまでに光の精霊を見つけて、仕事を済ませる」
「はいはい、それをとっとと終わらせて本題の仕事に取りかかるってわけだね」
「本題の仕事って?」
ユキは、目をぱちくりとする。
「あっ、心配しないで。ユキちゃんがこなす依頼は光の精霊のことだけだから!」
ユーファが手振りを交えて慌てて言った。