船へ!ロイの頭痛
大男が衝撃でよろめく。ユキは地面に落下する前に、さらに身体をひねると、今度は足を伸ばして男に回し蹴りを放った。
「うわあぁ!」
男たちが大慌てで避けた間を、大男が飛んだ。彼は地面に転がり落ちると、そのまま動かなくなる。
周りが一気に静かになった。
「ったく、すぐに手を上げるなバカ」
ユキは身軽に着地すると、呆れ返ったように口にした。
数秒の沈黙ののち、周りから拍手喝采が上がった。女性から礼を言われ、男たちから大袈裟に褒められまくって、ユキは慌てて退散する。
(や、やりすぎてしまったかも……!)
ロイとユーファを捜す。猛反省しながらチラリと後ろを見ると、町の人たちが大男に「お前が悪い」などなど言いながら数人がかりで道から移動していた。どこの誰だとユキが問い詰められることはなさそうだ。
ほっとした時、人込みから抜けたところでユーファが正面にいた。
「あ」
「あーっ、ユキちゃんいた! すごいねえっ」
予想していた反応と違った。褒められるようなことではないかなと思い、ユキはぎこちなく笑みを返す。
「えぇとボク、こういうことくらいしかできないから……」
「戦闘派の魔術師なんて、聞いたことがないぞ」
そんなこと知っている。
ユキは、ロイへの反論が浮かばず苦しい表情になる。
「しょうがないよ。ボクの取り柄って、これくらいしかないもん」
「僕はすごいと思うけどな? 魔術師って多くは素手での勝負事って全然だめだから、旅の途中で襲われることもあるんだけど。うん、小さいのに強くて男の子にしか見えなかったよ……かっこいい男の子に……」
ユーファの視線が泳ぐ。
(性別忘れて、褒めたね?)
呆れたものの、理由は自覚しているのでため息しか出ない。
「……ボクも正直、性別忘れる時がある」
ライファスに拾われた頃、スカートを着せられていたことが短い期間あったが、そのまま暴漢をぶっ飛ばしたりしていたためズボンスタイルに定着した。
外で女性を見かけるたび、長い髪をなびかせている女性たちと自分が同性とは思えないでいる。
なんというか、こう、何もかも違っている気がする。
「ボクってどこからどう見ても男の子なのに、どうして胸は徐々に大きくなっていっているんだろう」
ユーファが咳込んだ。
「ユキちゃんっ、それ口にしちゃいけない思考っ」
「実のところ師匠の性別診断が違っていて、ボクって男の子なんじゃないかなと思ったんだけど、師匠みたいにガッチリにならないんだよね」
「おい待て、お前まさか、男女の違いを知らないとかは……」
ユキは「ん?」とロイを見た。ロイは、初めて見る冷や汗をかいたような妙な表情を浮かべていた。
視線を移動すると、ユーファはこれまた妙なポーズで固まっている。
「……いや、それは師匠が教えることだからな」
「何が?」
「どちらにしろ自分のことを『ボク』と言う女も、男の顔面に躊躇なく蹴りを入れる女も、俺は見たことがない」
ロイがふいっと背を向けた。
「船の上では騒ぎを起こすなよ」
彼が大通りを足早に進んでいく。ユキも、ユーファと一緒に置いて行かれないよう慌てて足を動かした。
向かう先に、目的地の港の入り口が見えだした。
大きな船の頭部分が見え始める。あれがラスフィールドに向かう直行便だろう。
「ラスフィールドは、聖獣戦争で周りの陸地が吹き飛ばされたといわれている。その周りを囲む広い海は不思議な魔力が流れ、魔力稼働の船についても影響を受けない特殊な造りが必要とされ、これだけ巨大になる」
船に乗り込んだあと、甲板から遠くに見える島を眺めてロイが言った。
乗り込む客の姿もかなり少ない。チケットを確認した係の者も、観光客も今日はほとんど港には着ていないので寂しい様子ですと苦笑していた。
「依頼者は一週間前、十三歳になる娘のため商人からネックレスを購入したらしい。夜、それを娘が取り出した時、天然石から模様だったはずの黒い影が飛び出した、と。それを直視した娘が視界から光を奪われた」
予約していた客が本当に少ないらしい。
乗り込んでそう経っていないというのに、船は出向の合図を出し、動きだす。
「その黒い模様が、闇の精霊だったんだね」
「偶然閉じ込められてしまうこともあるからな。その手の相談は、意外と多い」
説明も面倒臭がるタイプかと思ったら、そこはしっかりしているらしいと、ユキは場違いな感想が浮かぶ。
「師匠にも説明されたことがあると思うが、ラスフィールドは聖獣戦争の際に消えなかった場所だ。聖獣界を開くゲートの一つがあり、光と闇の魔力の両方を濃く宿している。夜になると闇、日中は光の魔力の作用が増す。その影響を受けて、天然石に閉じ込められていた闇の精霊が夜になって逃げ出したんだろう」
幸いにも、両親は少し離れたところにいたので精霊の姿は見ていないという。飛び出した黒い何かは、すぐそばの開いていた窓から出ていったそうだ。
「光を奪うだけとなると〝黒蝶〟か〝光食いの蝶〟のどちらかだ。とはいえ対応が違う。前者はかかってしまった闇を、ティテールの光を採取して与えるだけで打ち払える。だが後者だと厄介だ。遠隔的に宿主の光を食い続ける鱗粉を仕掛けられている。それが常に光を食べるため、目が見えない。その場合、ティテールの光りでその邪気を焼いてもらわなければならない」
「何が問題なの? どちらであっても、精霊本人に頼めばいいじゃない」
ロイとユーファの視線が向く。
「……無言で見つめる感じ、やめない? なんか苛々するから」
「は? 説明聞く様子は素直だったのに、お前――」
と口にしたロイが、パッと口を押えて横を向く。
「何、急に言葉を切られると気になるけど?」
するとユーファが、何やらピンときた様子で「あー……」と声をもらした。
「確かに? ロイがああやって普段から面倒だのどうと言っていた説明を自らするなんて、なかなかない――いたっ」
「お前は目がいいようだ。つまりはエルフの血を引いている師匠と同じく、精霊の姿が見えやすい。とすると、日頃師匠のそばにいて精霊関係の対応は見ているだろう」
なんだか無理やり話を変えられた気がしないでもないが、彼に頭をギリギリと鷲掴みにされているユーファが気になる。
ユーファは涙目で何やら必死に無言の訴えをしてきている。
かわいそうになってきて、ユキはひとまずロイにうなずいて見せた。
「そうだね。見てきたよ」
「ティテールは光属性の精霊の中でも、上級だ。魔法で言うことを聞かせるには、かなり難しい相手ではある。俺とユーファには、残念ながら〝精霊との交渉〟において高等な技術は持ち合わせがない」
それもあってユキを引っ張り込んだのかもしれない。
(なるほど。ここは、師匠のためにも期待に応える時!)
ユキは二人の視線を受け止めると、頼もしく胸を叩いた。
「交渉なら任せて! ティテール相手は初めてだけど、それならティテールに『黒蝶のせいで目が見えなくなっちゃったんだけど、光を戻してあげられないかな?』って、正直に話せば大丈夫だと思う! 光の精霊は優しいから!」
ユーファが対応に困ったように、必死に笑みをたもっている。
「――頭痛がする」
彼から手を離したロイが、手に顔を押し付けていた。それにユーファが「同感……」と同意した。