依頼者と、ユキの蹴り
エバナスの町もまたお祭りのように賑わっていた。皆地まで続く道にも、多くの商人がテントの店を広げている。
「これから船に乗る。依頼主は〝孤島のラスフィールド〟に住むドーラ家の主だ。上陸したら、まず精霊ティテールを探す予定だ」
「なんでティテール?」
港へと続く大きな道を進みながら、ユキはロイの背中に質問を投げた。
ユーファが歩みを落とし、隣に並ぶ。
「依頼人の娘さんが、闇の精霊に光を奪われちゃったらしいんだ」
「えっ、じゃあその子、目が見えないでいるんだね。そういえばティテールって光の精霊の中でも照らし出す力が強いから……それを打ち消してくれるのか」
「そうそう、よく知ってるね。ティテールは新鮮な魔力の集まった綺麗な森にしかいないでしょ? それに、他のところにいたとしても数が少なくて、見つけるのに困難だし」
「あれほど厄介な精霊はいない」
ロイが舌打ちするみたいに口を挟んできた。
「そうなんだよねぇ。難易度が高いから、まぁ空いているしお前らでどう?みたいな感じで僕らに話しがまわってきたんだけど――」
「どうして? 全然厄介なものじゃないよ?」
ユキが不思議に思って告げると、ロイは今度目を向けてきてまで「おい」と苛立った声を投げてきた。
「ボクは『おい』じゃないけど?」
「学校も卒業したのに、どうして初歩的な間違いを口にする? 俺は弟弟子のお守りまでするつもりはないぞ」
「ねぇロイ? 正しくは妹弟子――」
とユーファが指摘の声をおずおずと上げてみたが、もちろんロイは聞き流す。
「ティテールは姿を消す精霊で有名だろう。師匠に習わなかったのか?」
「いちいちそういう嫌味っぽい言い方しかできないわけっ?」
「ちょ、二人とも――」
「姿が見える魔術師の視界からも、完全に消えることができる。視認魔法でどうにかとらえることができても、光の精霊の中で強い。見えた魔力の球体も、一瞬の閃光と共にティテールは場所を移動してまた姿を隠す」
「はぁ? だから、姿を消すって何? ティテールってあれでしょ? 人に一番近い形をしていて、こーんなに小さくて、薄緑の四枚翅がある」
二人の足が止まった。
「……お前、ティテールの本体を見たことがあるのか?」
「そうだけど?」
それがなんだというのだろう。
ユキが不審に思いつつ見つめ返すと、ユーファが混乱したように彼女の顔をぐいっと覗き込んできた。
「あのね、ユキちゃん? ティテールってそもそも、古代語で『見えない精霊』っていう意味で名前がついているわけで――」
「そんなの初耳だよ。師匠、そんなこと一言も言ってなかった。師匠も普通に見えてたし」
「あの人は特別なんだ。エルフの血が流れている師匠の目は、魔眼でもあるからな」
「そうなの?」
実感がない。見ているものの話しが、ライファスとかみ合わないことはなかった。
ユキが悩むと、ロイが「バカらしくなってき」とため息交じりに言い、歩みを再開した。
「師匠がお前をすすめてきた理由が分かった。特殊な体質なわけだな」
「これは、かなり楽にティテールを見つけられそうだねぇ」
ユキは「行こう」とユーファに促され、反論もなくついていく。
(あの精霊って、消えるのかぁ)
ライファスと森に出かけた時、ティテールのことはよく見掛けていたから、見つけにくいとか言われても実感がない。
けれど、そうだとするといよいよ彼の役に立てるかもしれない。
いい方向の考えが脳裏に浮かんだ。たとえばライファスに、魔法薬の材料を集めてきてと言われてもユキなら苦戦しない。
想像するだけで、少し嬉しくなってくる。
(こんなボクでも、師匠の役に立てるかも――)
「ユキちゃんって、今いくつ?」
不意に、ユーファに質問された。
「あれ? 手紙で教えられたんじゃなかったの? 十八だよ」
「十八!?」
驚くユーファに、ロイが「教えたはずだが」と言ったところで、顎を撫でる。
「まぁ――俺自身、こいつを見て信じられなくなったのも確かだ」
「ロイ、絶対に忘れてたよね? 今思い出したって顔だよねっ? そうだよね、だって全然十八歳に見ないよ!」
勢いよくユーファの顔が向き、ユキはいたたまれない気持ちになった。
「学校に通っていたのは一年だとは覚えていたから、てっきり十五歳くらいかと思った……!」
「……よく、言われる」
どうも十五歳くらいの外見、というか身長や華奢さであるとは、昨年から魔術師学校に通い出して周りの子たちと見比べてから自覚した。
「ユキちゃん、ちゃんと食べてるの?」
「失礼なっ、師匠が毎日美味しいごはんを作ってくれるもん! しっかり毎日ちゃんと食べてるよ!」
言い返した途端、ロイが呆れたような表情を浮かべた。
「お前、師匠に作らせているのか? 普通はこちらが用意する側だろう」
いったい何をしているんだお前は、と彼の眼差しは語っている気がする。
確かにユキだって世話になり出した当初は考えていた。自分にできることは少ないし、いつも教わっている身だから、少しでも恩を返そう、と。
「だって、料理できなくて……今、練習中なの」
これまで、ライファス指導のもと作れたのはほとんど殺人料理だ。
(そんなことこいつに言ったら、バカにされる)
絶対に、言えない。
ユキは基本的に滅多に『練習』もしていなかった。試しに食べさせた野良犬が痙攣して倒れて以来、完全に自信をなくしている。ライファスは人には向き不向きがあるからと励ましてくれたが、まずい料理をつくる才能しかなかったら、どうしようと恐怖だ。
「……おい、急に静かになるのはやめろ。こっちが怖くなってくる」
「たぶん僕と同じこと考えてるよね。えーと、ユキちゃん? まさかだけど、君の作る料理って――」
その時、甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
ユキはハッとして顔を上げた。大通りの進行方向の脇に、あきらかに商売繁盛している店とは思えない人だかりができている。
目を凝らしてみると、人々の視線を集めているのは赤毛の女性と大男みたいだ。
「あれ、たぶん船乗員じゃないかな。気が短そうだねぇ」
「放っておけ。女のほうも気が強そうだ、自分でなんとかするだろ。もしくは周りの誰かが止める」
少し心配そうにしたユーファがちらりと目を向けたが、ロイは人の集まりのほうを眺めたまま煩わしそうに顔を顰めただけだ。
ユキはその態度に腹が立ち、ロイの靴を踏みつけた。
「おいっ、急に何をする――」
「優秀みたいだけど性悪! 最悪! こんなのが兄弟子とかサイテー!」
ロイが両耳を塞ぐ。ユーファがそばで「ぶはっ」と笑い声をこぼし、遅れて口に手をあてていた。
「女性が困ってるでしょう!? こういう時は、男が助けてやるものだろ!」
「ユキちゃんかっこいい――て、待って待って!?」
ユキは走り出した。
(どう聞いても女性側が因縁つけられてるっ)
その大男は何やらピリピリしているようで、女性側の主張を聞くに正論ではあるが、あの状態だと逆効果だ。
「ぶつかってきたのはそっちじゃないの! どうして私が酒瓶を買ってこいってことになるわけ!? ねぇ、みんなもそう思うでしょっ?」
「煩ぇ!」
筋肉で膨らんだ男の腕が、乱暴にぶんっと上がった。ようく危機感を覚えたのか、女性が悲鳴を上げて反射的に顔を伏せる。
「やばいんじゃないかっ?」
「お、おい、誰か止めないとっ」
そんな声が上がって周りの男たちが動こうとした時、その間を素早く通り抜ける小さな影があった。
人々の「え?」という疑問の声が上がる。
彼らが気付いた時には、ユキは人々の視線の先に飛び出していた。着地した瞬間、地面を蹴り上げる。
「あ?」
大男が腕を止め、ふっと顔を向ける。
「相手は女性だぞ! やめろバカ!」
飛び上がったユキの膝が、大男の顔にめり込んだ。