目が見えなくなってしまった少女
ドーラ家は、表通りから十字路を右折した先の住宅街にあった。
家々の中でも、なかなかに大きな煉瓦造りの二階建てだ。半円状に出ている一階の大きな出窓もお洒落である。
「ようこそ、おいでくださいました。お返事をいただいた時は、もうなんと感謝したらよいかと――」
家を訪ねると、依頼者ヴァムド・ドーラの妻、ティジーが出た。
なんとも綺麗なご夫人だとユキは密かに驚いた。ロイを筆頭に自己紹介をしたのだが、有難いと微笑んだディジーの表情にも、気疲れした様子がうかがえた。
「ご主人は仕事ですか?」
「はい。革職人をやっておりまして、今日も遅くまで帰れないかと。私のほうでお話しをさせていただけましたらと思います」
ディジーは、ユキたちを家の中へと招いた。
建物の中は厚地の絨毯が敷かれ、内装も温かみを感じる立派なものだった。リビングはかなり広々としている。
「紅茶か、コーヒーはいかが?」
「いえ。マリーに会わせてくれますか?」
「ありがとうございます。では、こちらへどうぞ」
先程よりも心なしか歩みが速くなったディジーのあとに続き、みんなで階段を上がる。
ディジーの話によると、マリーは十四歳だという。
「あなたよりも一つくらい年下かしら?」
ふっとディジーの目が、最後尾をとことこと歩いていたユキに向く。
「え?」
「若いのに、魔術師デビューだなんてすごいわ」
ロイとユーファの視線が、同じくユキに向いた。
ユキは内心ほろりとしたものの、少し明るくなったディジーの微笑みに水を差せなくて、本音を呑み込む。
「……は、はは、そうですね」
そう相槌を打ったら、ディジーが納得してにこりと微笑み、娘のマリーがいるという二階寝室への案内を再開する。
ユーファが、ユキのそばについて耳打ちした。
「ユキちゃんどうしたの?」
「綺麗な微笑みだったから流れで……」
ロイに「貴様は男か」と呆れたように小さい声で言われた。ユキも「せっかくの好意をばっさり断った男に言われたくない」と弱弱しい声ながらしっかりと反論してやった。
「こちらが娘の寝室になりますわ――あら? いかがされました?」
振り返ったディジーに、二人の間に入っていたユーファが「なんでもありませんっ」と答えていた。
目が見えなくなった少女、マリーは寝室のベッドに腰かけていた。
ディジーが声を掛けると、くすんだ栗色の髪をふわりと波を打たせてマリーが顔を向けるが、瞳はユキたちのほうには定まらない。
(本当に――見えてないんだ)
ユキは衝撃を受けて固まる。よくよく見てみれば、彼女の明るいブラウンの目には〝光〟がない。瞳の周りについた精霊の力に光りを食われているせいだろう。
マリーは可愛らしい顔立ちをした少女だった。小さな顔に、桃色の唇。目の上で切り揃えられた前髪が、小窓から吹き込む風に揺れている。
「こんにちは、マリーお嬢さん」
ユキの「可愛い」と言う声を防ぐみたいに、ユーファが彼女の口を塞いでやや早口でそう声をかけた。
マリーは入口に耳を傾けたものの、ユーファではなく、先頭にいたディジーとロイのほうに向かって微笑み返す。
「こんにちは。足音からすると、もっといるみたい」
「――ええ、そうね、マリー。魔術師様が三人もいらしているわ」
ディジーが痛む胸をこらえるみたいに、呼吸で一度大きめに上下した胸元に手をあて、それから続ける。
「二人は大人の、一人は見習いみたい。あなたと少ししか変わらないそうよ」
「未成年の魔術師様もいらっしゃるの? 紹介してくださる?」
もちろんと答えて、ディジーはロイ、ユーファ、そしてユキのことをマリーに教えた。紹介された際に、一人ずつ名乗っていく。
「若い声だわ! あなたが見習いのユキ様? お顔が見られればいいのに」
「えぇと……どこにでもある顔だよ?」
「綺麗な声だわ。きっと、美しい人がそこにいるのね」
途端、斜め上から鼻で笑う声がした。
ユキは、ギッとロイの横顔を睨み上げる。
「どうどう、二人共そこまで……目が見えない女の子を不安にさせることはやめようね? それにほら、ユキちゃんは端正な顔立ちではあると思うよ」
「そんなことより」
ロイがユーファの話しを遮り、マリーの前に片膝をつく。
「マリー、君に確認したいことがある。手紙には、痛み、悪夢、身体の異変はない――と書かれていたが、間違いはないか?」
「はい。船でいらしていた魔術師様を父が連れてきてくださった際に、光の精霊にも対処できる人を寄こすと言われました。神官様ではどうにもならないそうです」
「神官自身は魔力を持たない。法具と呼ばれる魔力の源を使うが、精霊から魔力を取り出したりといったことはできない。この症状と対処法では、魔術師の管轄になる」
ロイが、近くからじっとマリーの両目を見る。
恐らく精霊の気配を探っているのだろう。強い魔術師だと、魔力から精霊の招待へとたどり着くこともできるとはユキも聞く。
確認したうえで『魔術師の管轄』と口にしたのだとすると、マリーの目の症状が、どれによるものなのか分かったのだ。
「はい……わさわざ訪ねてくださった神官様にも、同じことを言われました。それから、必要になる光の精霊も、かなり難しい上級精霊である、と」
「これは〝光食いの蝶〟によるものだ。鱗粉の魔力が、君の目で増殖しているのが見える。ある光の精霊が持つ光りの力で、焼いてもらわないといけない」
以前、ロイが『厄介だ』と言っていた〝光食いの蝶〟だったようだ。
「だが、ご安心を。光の精霊は見つけることも難しいが、うちには目のいい人材がいる。今日の夕暮れまでには、視力を取り戻せるはずだ」
ユーファが「ん?」と言って、小窓のほうを見た。
ユキもつられてそちらを見るる。外の陽は少し傾いている。時刻は、午後の二時だ。
「んん? 今は太陽が出ているけど――あ、なんでもない」
ユーファが慌てて言った。
またくることをマリーに告げ、ディジーを残して先に寝室を出た。
「ったく、目のいい奴がいると言っただろう」
「うっ、ごめん……」
「どういう意味?」
ユキは前を歩く二人の背に尋ねた。
「光の精霊の力は、太陽が出ている時が一番強い。だが、魔力も効かないお前の目なら見つけられる。昼間に見たことがあるんだろう?」
「うん。昼間も普通に飛んでるよ」
「なら話は早い。とにかく、夕刻前の儀式が始まるまでにこの依頼を終わらせる」
ロイを筆頭に階段を下っていく。
その背中に質問を投げたのは、ユーファだ。
「ユキちゃんがいて心強いとはいっても、さすがに海の匂いをつけたままじゃまずくないかな?」
「あ、そっか」
ユキは思い出した。
「海の精霊はちょっと凶暴だから、光の精霊くらい繊細だと苦手意識があるよね」
海の精霊は、闇属性の力も持った精霊も多く存在している。その本能が、光の精霊たちとは根本的に噛み合わないのだ。
海が荒れて海の精霊が顔を出していると、近場から光の精霊のみならず、光属性しか持っていない精霊の種が姿を消すとさえ言われている。
ロイが階段の途中で足を止め、面倒臭そうな顔をした。
「……この仕事、下のランクやつに振ればよかったな」
「あ、さては忘れてたね? 僕たちもたっぷり海の気配をもとっているから、そのまま森に入ったら生粋の光の属性の種は、全部隠れると思うよ。その状態で隠れている精霊を捜す手もあるけど、余計に時間がかかるのは目に見えてる」
隠れた精霊を見つけるのは至難の業だ。
その時、上から声がした。
「なんのお話ですか?」
声をかけてきたのは、寝室から戻ってきたディジーだ。比較的近い位置にいるユーファがざっと事情を述べると、彼女は「まぁ」と口元に手をあてる。
「魔術は準備も必要だとは聞いていましたが、そういうこともあるんですね」
「この陸地には、海の気配を断つための浄化ゲートもないですから……」
「そうですよね、魔術師協会が置かれている都会ではありませんから。そういうことでしたら、ゼンさんの経営している温泉なんてどうでしょう? 今日は船からのお客様も少ないようですし、今の時間でしたら地元の人たちもまだいないかと」
温泉、とユキは目を輝かせた。
それはここから近い場所にあるいう。一階に降りたあと、ディジーは軽く地図を書いてくれた。
「――感謝する」
ロイが受け取り、そしてユキはユーファと一緒に彼のあとについて、ドーラ家を出た。
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