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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

神器使いの聖女は、自ら婚約破棄を申し出る。 ~民を救わない王族など、こちらから願い下げです!~

 もう、我慢の限界だった。今代の聖女であるイリーナは自室を飛び出し、王城の廊下を突き進む。


「聖女様、お待ちください! いったいどうなされたのです!」

「どうもこうもありません!」


 贅を尽くす王族、貴族。恵まれた環境で培われた優れた肉体や技術を自分たちのためだけに利用する。

 ごく一部のみがその恩恵を受けているが、この国に住む者たちのほとんどは酷い状況だ。民は飢え、重い税を負担させられながらもギリギリ生かされている。

 生きず、されど滅びず。それを意図的にやっているんだから、この国の領主たちはさぞ有能なのだろう。政治の方向性が致命的なまでに邪悪なだけで。


 イリーナは歩く、歩く。生まれは庶民だった彼女も、もう長いこと王城に住んでいる。その足に迷いはない。

 聖女とは神器に選ばれた女性の総称だ。この国にはいくつか神器があるが、そのほとんどは宝物庫で眠っている。生まれつき特殊な紋章を肌に持っている女性……"聖女"のみが、紋章に対応する神器を扱うことができる。


 そんな力を、みんなのために役立てたいと思っていたのに。実際にするのは王族貴族への奉公や王城だけを守るような結界の魔力充填くらいなもので。

 与えられた権限で無理やり書庫に押し入り、農学・薬学・天候学・経済学・魔術学など役立ちそうな学問を片っ端から吸収した。数少ない良心的な貴族の教えを受けて、拙いなりに政策をプレゼンしたりもした。


 だが、ダメだった。そんなことをやり始めてもう4年ほど経つが、彼らの結論はいつもこうだ。


──「それで、我々はどう得をするんだ?」


 字面通りの意味ではない。「そんな面倒なことをせずとも、今まで通り民から搾り取ればいいではないか」「民が得する分、税を増やせばよいではないか」、そう言っているのだ。

 イリーナだって馬鹿ではない。政策を実行する領主にも相応のメリットがあるようなものを提案しているのに、彼らはいつだって遠慮を知らないのだ。


 彼らに馬鹿にされたことや、いくつかの政策を盗られたことは苦ではない。ただ、彼らを説得できないことだけが悔しかった。


 だが、そんな生活も今日で終わりだ。

 警備兵を無理やり押し退け、王の玉座がある間の扉を開ける。


「王よ!!」


 当代国王、デライスト・フォン・アインツベルグがそこにいた。冷たく黒い瞳をイリーナに向ける。彼の持つ感情が如何様なものか、彼女には推し量れなかった。


「何事だ。"虚人の"聖女、イリーナよ」

「ここは聖なる場所だ! 聖女と言えどみだりに入ってはいけないと何度も言っただろう!」


 静かに、されど重く言葉を発す王と違って甲高くさえずる鳥がいた。ライン王太子だ。

 王太子といえど、この玉座の間にやすやすと入って来れる存在ではない。何かを王に奏上していたのか。

 ……そして、もう一人。この場にいるべきでない女性がいた。


「イリーナじゃない。その芋臭い顔、相変わらずね。ライン様の仰る通り、とっとと退場してくださいな」


 マルシュベール・トリスタン。トリスタン公爵の令嬢にして、"薬草の"聖女。数少ないイリーナの聖女仲間であるが、実情は到底「仲間」といえるものではない。元庶民であるイリーナを目の敵にしている節があり、彼女には何度も嫌がらせを受けていた。


 だが、もう彼女のことなど気にならない。イリーナは王のことをまっすぐ見据え、言い放った。


「ライン王太子との婚約破棄、そしてわたくしの外出許可を要求します!」

「はあ!?」


 食ってかかったのはライン王太子だ。王がそばにいることも忘れたのか、声を荒げて立ち上がる。


「お前はそんなことを要求できる立場にない! お前はその聖女の魔力を役立ててればよいのだ!」

「王よ、御返答を」


 彼の叫びは無視し、今一度言葉を王に届ける。

 聖女として正式に王城に入ったとき。彼の甘い顔や声が好きだった時もあった。明らかな政略結婚だったとはいえ、こんな美しい人の伴侶になれるのは嬉しかった。

 それがいまやどうだ。彼の美しい顔はたった皮一枚のハリボテで、内側には醜悪な欲望と財産が蠢いているのがわかる。もう彼のことを「魅力ある男性」などとは、口が裂けても言えなかった。


 王はイリーナの要求を吟味するかのように目を数瞬閉じた。


「どちらも許可できない」

「何故ですか!」

「婚約破棄を行う権限は貴殿に無く、実行するメリットもない。そして同様に外出させる必要もない。以上だ」

「わたくしにはあります!」


 イリーナはそう反論したが、王の返答は無慈悲なものだった。


「問答は終わりだ。"薬草の"、排除しろ」

「かしこまりました、王よ」


 "薬草の"聖女であるマルシュベールは、幾重にもツタが絡む杖を掲げた。"治療の奇跡杖"と呼ばれる、神器だ。

 彼女が神器をイリーナに向けた瞬間、無数の巨大なツルがいつの間にか壁や床から生えてイリーナに襲いかかった。太さは人間の胴体ほどだろうか。この質量の物体がこの速度で人間にぶつかったら、ひとたまりもないだろう。


「あなたさえいなければ! 私が! 正妻になれたのに! 魔力を出すしか能がないくせして、私より少しくらい魔力が多いからって……!」


 半狂乱になりながらも、マルシュベールは杖を振り続ける。振り続けるたび、新たなツルが生えてきてイリーナに突撃する。

 神器に供給する魔力が尽きたのか、息を切らしながらもマルシュベールはその場に立ち尽くした。


「もう終わりですか?」


 だが、イリーナは平然としていた。全てのツルが彼女を襲う直前で折れ曲がり、潰れていた。まるで透明な何かに守られているかのようだった。

 彼女もマルシュベールと同様に、自身の神器である"虚人の指骨"を発動させていた。


「な……んで、全部、防がれて……」

「禁書庫の伝記にありました。"虚人の"神器に適合するには、他の何倍もの魔力を要すると」


 "虚人の"神器の適合者が少なく、その能力の全容を彼女しか知らないのには、そのような理由があった。


「ですが、魔力以前に鍛錬の差でしょう」


 マルシュベールがライン王太子と愛を紡いでいることはイリーナも知っていた。そのこと自体は構わないが、彼らが愛にかまけて何もしていない間にイリーナは勉学や聖女としての鍛錬に励んでいたというのみだ。


「また抵抗されても困るんで、いったん預かっておきますね」

「あっ……」


 イリーナがそう言うと、神器"治療の奇跡杖"がひとりでにマルシュベールの手から離れ、玉座の間の端っこまで浮遊していく。


 聖女には聖女でしか対抗できない。この規模の戦闘を見るのは初めてなのか、ライン王太子など既に腰が抜けている。

 マルシュベールが封じられた以上、誰にもイリーナを止められなかった。


「王よ」


 イリーナの再度の呼びかけに、しかし王は応えない。


「わたくしが最後にここに伺ったのは、けじめをつけるためです」

「……」

「わたくしは、外に出ます。わたくしの力で、民を救う道を見つけます」


 そう言って、イリーナは踵を返す。入ってきたときの勢いは嘘のように静かに、しかし力強く歩いていた。


「バカね! 忘れたの!?」


 が、そんな彼女を呼び止めたのはマルシュベールだ。


「左腕の紋章! それがある限り、私たち聖女は王城の結界から出られない! 現実も知らない庶民が、そんなことも忘れたようね!」


 神器の紋章とは別に、王族から人為的につけられた紋章だった。聖女認定と同時につけられるため、これから逃れる術はない。これは左腕の骨の髄にまで刻まれるため、少し塗りつぶしたり皮を剝ぐ程度ではどうにもならない。そしていくら魔力があろうとも、この紋章に反して結界から出ることはできない。

 そう、紋章がある限り。


「ああ、そのことですか」


 イリーナは振り返り、マルシュベールを一瞥した。その瞬間、風を切るような音がして──イリーナの左腕が、落ちた。


「は……?」

「ひ……っ!」


 王太子とマルシュベールの声にならない悲鳴が上がる。文字通りイリーナの左腕は紋章ごと切り落とされ、その場に赤い血だまりを作った。

 神器の力か、イリーナ側の切断面から出血する様子はない。が、それ以上治癒したりする様子もなかった。

 イリーナは狼狽する王太子とマルシュベールを見下ろした。そして、一言だけ残して今度こそ王城を去っていった。


「これが、わたくしの覚悟です」


 これ以降、彼らがイリーナの姿を見ることはなかった。



 イリーナの行脚は果てしなく続いた。彼女は村や町を歩き回り、自身の修めた知識や技術を伝来して回っていた。

 あるときは村に流行っていた病の特効薬を人数分作り、治るまで付きっきりで看病した。

 またあるときは道にたむろする盗賊団や魔物を殴り飛ばし、村や町の孤立を防いだ。


 "虚人"の力は直接人を癒すことはできなかったが、力仕事や繊細な仕事、それらを同時に複数こなすことには非常に長けていた。それと彼女自身の知識があれば、おおよそなんでもできた。


「次の村まで……あと南南西に四里ってところかしら」


 そんな生活を続けて、何年たっただろうか。今は隣国との境界に近い領域で活動を続けていた。

 これに終わりが来ることはないだろう。この国がある限り、困る民がいる限り彼女は救い続ける。


 不意に強い眠気が彼女を襲った。もしかして前の村で働きすぎたか。王城の柔らかいベッドなどさして恋しくもないが、しかし満足に寝たのはいつが最後か。

 益体もないことを考えてるうちに、意識が遠く──


「気がつきましたか、聖女様!」


 聞き覚えのある声が耳に入った。目を開けると、今までの生活とは似ても似つかぬような豪華絢爛な部屋。イリーナは、そのベッドの上で自分が寝ていることに気が付いた。


「国境付近で倒れていたのです。それで、あわててこちらまで運んできたんですよ」


 そう説明する青年の顔に見覚えがあったが、しかしイリーナはよく思い出せずにいた。


「驚きましたよ。あの"虚人の"聖女様が、あんなところを独りで歩いているだなんて。それに、左腕も無くなっているじゃないですか」

「結局……王は、私の脱走を隠蔽したのね」

「ど、どれほど放浪していらしたのですか」

「数えておりません」


 そうイリーナが言うと、青年は愕然としたようであった。今は替えられているが、彼なら自分の服装も見ていただろう。旅のしやすい衣服を何年も着古したのだ、一目で聖女とはわかるまい。


「それで、あなたは」

「メイガスです。メイガス・トーチュア。覚えていらっしゃいますか」

「あ……」


 その言葉で思い出した。聖女となった自分に、貴族界の常識や政治学などを叩き込んでくれたトーチュア伯爵。数少ない良心的な貴族の、跡取り息子がそんな名前だった気がする。あんなに幼かったのに、どうやら思っていたよりも時間が経っていたらしい。

 確かに、顔には当時の面影がある。剣と運動にしか興味がなかった彼が、こんなに落ち着いた感じに成長しているのは不思議だったが。


「まさか、このようにあなたとお会いすることになるとは思ってもおりませんでしたが……」

「……何の、話ですか」

「ここは私たちの王国ではありません。隣国……帝国なのです」

「嘘」

「嘘ではありません。先代であった父は暗殺され、トーチュア領はズァラス領に飲み込まれました。行くあてもなかった私をこの国が拾ってくださったのです」


 よく見れば、この部屋の調度品の数々や壁紙の色調は王国の文化でのそれらとは異なる。

 そして、青年は衝撃的な言葉を口にした。


「あの国はいくら貴族や資源が優秀と言えど、それを支える民が先細っている以上限界が近いです。この国の帝は、そこを叩くおつもりです」

「戦争、ということですか」

「この帝国にも神器持ちは多くいます。それに、王国の聖女たちは結界の紋章に多くの魔力を割かれている。先手を取り王城を制圧すれば、被害は最小限に抑えられるはずです。それで、帝はあの腐った貴族王族を一掃し、帝国式の健康的な政策を敷かれるおつもりです」

「なるほど……どうですか、ここでの生活は」


 突然、異なることを聞かれた青年は困惑しながらも返答した。


「最初はある子爵の補佐をしておりましたが、今はその領の一部を任されておりますよ。まだ、その子爵には頼ってばかりですが」

「……」

「あなたが目指された、民も領地も潤う領をこの国では皆が目指しております」


 イリーナは青年の顔を見た。長く旅をして、いろんなことがあった。一人で旅をする彼女を騙そうとする者も多くいたが、彼らには共通する雰囲気や顔つきがあることを学んできていた。


「まっすぐな顔をしていますね、あなたは」

「え……?」

「いいでしょう。私の聖女としての力があれば、さらに被害を小さくできるかもしれません」


 この国の帝に言えば、自分も戦争に参加できるかもしれない。

 そう言って起き上がり、歩き始めたイリーナの右手を青年が取った。


「どうしたのですか?」

「聖女の立場に甘んじず、ひたむきに努力するあなたをいつか迎えたいと思っておりました。どうか、私を手伝ってはくれませんか」

「それは……」

「イリーナ様。私はあなたの左腕になります。ですから……私の、生涯の伴侶になってください」


 まぎれもないプロポーズだった。

 イリーナは少し考えた後、こう返した。


「それは……この領地の民の様子を見て回ってから、考えますね」


 帝国の歴史書いわく。

 帝国はかねてより腐敗政治を行っていた王国に宣戦布告を行ったが、着実に力をつけていた帝国に表面上のみ豊かだった王国は全くかなわず、たったの数日で戦争は終わった。特に悪質な政治を行っていた王族貴族は処刑され、それほどでなくとも贅を尽くしていたものたちはどんなに高貴であろうともまとめて帝国の技術訓練所に送られたという。その中には"薬草の"聖女をはじめとするさまざまな聖女もいたという。

 一方で、王国出身の片腕の聖女が同じく王国出身の領主の正妻となった。彼らは自らの領だけでなく、たびたび敗戦した王国にも出向き、様々な寄付や援助を行った。

 彼らの睦まじき仲がほころぶことはなかったという。

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