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佐伯純也

「小手ぇぇーっ!」


 七月の放課後。風通しの悪い道場で俺は一年半振りに竹刀を握っていた。

 純也の竹刀が防具の上から俺の手を叩く。技ありだ。


 俺たちは開始線に戻り、蹲踞そんきょをして納刀した。

 礼まで終えた純也が、面具を外す。俺も外して顔の汗を拭いた。


「強くなったな純也。もう俺じゃ敵わないか」

「なにいってやがる、俺は二年にしてこの部で一番強いんだぞ? 一年以上のブランクがあってそこまでやれる方が異常なんだ」


 純也が俺の頭をコツン、と小突いて笑う。


「和臣が剣道辞めたのは惜しいよなぁ。続けてりゃ当然俺より上だったろうに」

「仕方ない。ウチの親は知ってるだろ? 剣道とか忌み嫌ってるからな」

「確かに。おまえのかーちゃん怖かったわ」


 おどけながら肩をすくめてみせる純也。

 俺にポカリのペットボトルを投げてよこすと、校庭に向けて開かれた軒先に座ろうと促してくる。


「サンキュ」


 スポーツドリンクが凄く美味しく感じられた。

 火照った身体が欲していたのがわかる。

 夏の道場では水分補給を欠かしてはいけない。剣道は面具を始めとした防具を付けるので、とても汗を掻くのだ。


 軒下に座ると爽やかな風が心地よかった。

 外した胴を横に置き、胴着の裾をはだけて風に当てると一気に熱が引いていく。

 横でポカリを飲み終えた純也が、俺の顔を見ずに言った。


「どういった風の吹き回しだよ?」

「ん?」

「道場に顔を出すなんてさ」

「ああ」


 俺もまた、純也の顔を見ずに。


「たまにはいいか、と思ってさ」


 そう言って笑った。

 このあいだ高嶺さんに剣道の話をして、少しすっきりしたのだった。

 剣道を辞めたことに、今なら向き合える気がした。

 だから、久しぶりに竹刀を持った。


「そっか……、そうだな。たまにはいいよな」


 純也と俺は、そこからしばらく無言で軒下の風を楽しんだ。

 目の前に広がるグラウンドでは、野球部やサッカー部が練習をしている。

 そんな活気ある風景が、俺にはちょっと懐かしい。

 この一年、そういうものから目を逸らしていたような気がした。


「覚えてるか和臣? 初めて俺たちが剣を合わせたときのこと」

「もちろん。あの時は俺が純也のことをコテンパンだった」

「そうそう、中学の部活でな。俺も道場通いしてたから、マジでヘコんだよ」


 俺は肩をすくめて純也の方を向いた。


「本当にヘコんでたのか? だっておまえ、次の日」

「次の日俺は和臣にまた挑んだんだよな、納得いかないって」


 純也もまた、俺の方を向いて笑う。


「あのときの純也はめっちゃしつこかったなー」

「結局、一本だけ面をとれるまで、一週間だっけか?」

「そう。一週間毎日俺に挑んできた」


 俺たちは二人、膝を叩いて笑いあった。腹を抱えて笑い、苦しくなるまで笑った。

 純也が、ヒーヒーと息を切らしながら背を伸ばし、寝転がる。


「うぜーな俺」

「うざかったぞー」


 横で寝転がった純也を見やり、俺はクスリと笑った。

 純也はまだ息を切らしながら、


「ところで時子さんは元気なの?」

「ん? ああ。元気元気、あいかわらず唯我独尊」

「いいのかそんなこと言って。最近毎日お弁当作って貰ってる身だろ?」


 羨ましいぞ、このぉっ! と、寝転びながら俺の脇腹を突いてくる。

 そうだった、そういう設定になってた。


「時子さんの料理うまいもんな。中学の頃、練習後に『トレジュアボックス』でよく食べさせて貰ったのが懐かしいよ」

「あはは、懐かしいな」

「高校に入ってからご無沙汰だ。一度挨拶に行かないとなー」


 ――! それは困る。

 今は高嶺さんがアルバイトをしているのだ、かち合ったら面倒なことになってしまうじゃないか。


「あ、いや。今は止めといた方がいいかな。このところ時子さんは機嫌が悪い」

「なんで?」

「え、さあ? ……馬が言うこと聞いてくれない、とか言ってたかな?」

「あいかわらず競馬好きなのか。笑う」


 競馬で負け続けだから機嫌が悪い。――若い女性に対してだいぶ酷い風評被害な気もするが、純也は普通に納得したらしい。つまりは時子さんが普段からどう見られていたか、という話だ。そこに関しては俺が悪いわけではない。だからごめん、時子さん。


 俺も純也に倣って軒下に寝っ転がった。

 また、俺たちはしばらく無言だ。

 道場ではまだ練習している剣道部員の声と音。グラウンドでは野球部の声と音。


 汗を掻いて寝転んでいると、さわさわと頬を撫でる風が一層気持ちいい。

 近くの木の葉を揺らしてくるからだろうか、風には緑の匂いが乗っていた。


「最近なんか良いことあったんだろ?」


 突然、純也が言った。俺は少し間を置いて、


「なんでそう思う?」


 と訊ね返した。


「和臣、気づいてないのか? おまえ最近いい顔してるぞ」

「へえ?」


 そうなのか? 自分ではわからない。


「そんなにか?」

「そんなに、だ」


 純也が嬉しそうな声で笑う。

 そうだな、嬉しいことは、あった。色々とあった。和音ちゃんと出会って、高嶺さんと話して、二人と仲良くなって。

 だけどこれは純也には言えない。少なくとも今はまだ。言えば高嶺さんに負担を掛けてしまいかねない。

 どう誤魔化そうか、俺は悩む。


「純也、俺……」

「いいよ和臣」

「え?」

「話せるときになったら、でいい。今はまだいい」


 寝っ転がったまま、純也が俺の頭をくしゃりと掴む。


「俺もおまえのことを心配してる。それは覚えておいてくれよな」


 ああ、こいつは。


「……うん。すまない」


 俺は純也の好意に甘えた。今は言えない。だからこいつに感謝しながら、甘えた。


「ワックの素バーガー四個」

「……二個で、純也」


 口止め料。問わない料。こういうのをどういうべきなのかわからない。

 俺たちはこうやって、よく奢り合う。儀式のようなものだった。


「三個だな」


 純也が笑った。これで俺たちの契約は成立だ。『奢ってもらってやる』のが、俺たちなりの思い遣りの形なのだった。


 ――そんな、なんでもない一日の話。

 俺はもう一度、大きく伸びをした。


●大切なお願い

この物語の先が気になるなぁ、これからも更新続けて欲しいなぁ、と思ってくださいましたら、評価やブクマで応援して頂けますと飛び跳ねます!

ぴょんぴょんさせてください!


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