縁どられた夜
まだそれは一番星しか輝けない時代。
中央大陸の中心に建国されたイリージア王国の歴史は古く、かつてその大陸半分を手中に収めたといわれている。時代の流れを経てイリージア支配下の国家は独立運動をはじめ、イリージア王国は独立を容認、支持したことで今もなお絶大な力を維持している。
これを華の独立時代とよぶ。
そんなイリージア王国で独立容認派と反容認派が争った中、唯一王女のみが時代の混乱に命を落とした。その名はセシリア・ルーエ・ジゼット、最期の華とよばれる。
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「私が死んでもうすぐ20年ですね。カルティエ。」
この星空もあの城壁まで続いているというのに。
月にも劣らず輝く星々が広がる夜空をこの丸い窓が切り取っている。
肌を撫でる風は以前よりも冷えてきましたね。
あの夜も少し冷える夜でした。
肩にかけたストールを握って目を閉じる。
私に触れないようにと掛けられたコートの温もりは今でも覚えています。
貴方に捕らえられて自ら死を選んだのに、生まれ変わってしまうなんて、、、、。
私よりも一回りほど小さい手を月明りにかざす。
なぜでしょう。
セシリアとして最期に願ったのは「「あの日に戻りたい」」でしたのに。
セシリアのまま貴方との再会をやり直しできれば、その菫色の瞳を見つめて心からの笑みを向けるはずでした。
ですが、と頭の中で続けたところで自嘲の笑いが漏れる。
そうしたところで貴方は結局私を裏切ったのでしょうね。
「恨んでしまえれば楽なはずですのに。」
私の後ろで王女付きの騎士として控えていた貴方を視界の端に捉えた時、どれだけ嬉しくて切なかったのか貴方は知らないでしょう。
あの城壁でのひと時も、部屋から抜け出す手のかかる王女に仕方なく付き合っていたのでしょう。
だってこの物語の結末を王女は知っているのですから。
全ては邪魔な王女を消すため。
ゆっくり瞬いて星を眺める。
公爵令嬢として新たな生を賜った私はこうして屋敷に引きこもってばかりです。
父は私が心に傷を負い塞ぎ込んでいると思っているようですが、申し訳ないけれど本当はただの我儘なのです。
父の勘違いに付け込んで社交界も婚姻からも逃げているだけです。
社交界に出て家の繁栄のために努めるのが責務であることは理解していますのよ。
そうすれば公爵という家柄、多くの婚約話がもたらされることになります。
それがとても怖いのです。
王女と騎士では結ばれることはない。
セシリアとして生きていた時も覚悟はしていたけれど無意味になりましたもの。
貴方と再会してすぐに婚約も相手側の不祥事で解消されましたし、慎重になった父が婚約相手を選りすぐりしていたうちに国政の派閥争いで私は死にましたから。
今頃貴方は愛しい方と家庭を築いているのでしょうね。
ああ、あのブロンズヘアがよく似合う伯爵令嬢でしょうか。
社交界で顔を合わせる度に後ろにいる貴方へ熱い視線を送っていましたものね。
私には敵意丸出しでしたし。
苦しい胸の痛みが貴方への想いの何よりの証拠。
丸い窓の向こうに広がる星空を見つめて自分へと言い聞かせる。
「もう貴方のことは忘れなければいけませんね。」
・・・・
「お嬢様、またこちらに。」
屋根裏部屋の丸い窓から涼やかな風が少女、いや大人びた女性の髪を心地よく揺らしていた。
月の明かりだけに照らされるその髪は銀色に光り、職人が丹精こめて紡いだ絹のようである。
ランプを持った侍女へ振り返ると憂いの表情はそこになくなっていた。
「ジア、探さなくていいのよ。」
彼女を初めて見たものはこう思うだろう。月の女神と。
あまりの儚さに瞬きをすればもうそこにはいないのではないかと思うほどである。
「そのようなこと、、、。」
彼女はキャベリア国宰相のフォンゼル公爵の一人娘シャリア。
生まれて19年、屋敷に閉じこもったままの彼女は時折姿を消しては屋根裏部屋で夜を明かしていた。
美容や宝石、ドレスなどには興味を示さない彼女が唯一星だけに瞳を輝かせ、そして憂いだ。
父のフォンゼル公爵は母を失ったことで繊細な心になったのだと思い、成人を迎えた今も社交界デビューどころか婚約者さえあてがっていない。貴族の思惑が蔓延る世界から遠ざけることを願っていた。
使用人達も無駄な干渉は控え優しく見守ることにしているが、乳母であるジアだけはシャリアをほおっておくことは出来なかった。
窓の横でシャリアが腰掛けている椅子は使用人達が用意したものである。
それを見たシャリアが翌朝使用人達にありがとうと微笑む姿に瞳を濡らす者もいたほど。
「失礼ながら申し上げます。なぜお嬢様はこのように、、、。」
シャリアは頬を撫でる髪をゆっくりと耳にかけるとそのまま手を止める。
沈黙からくる圧を拒絶と捉えたジアはすぐにでも謝らなければと口を開こうとした。
「ここがね、よく見えるのよ。星。」
ジアに向けた彼女の背中が少し笑ったように感じる。
「お嬢様。」
返事といえば返事だが、ジアの求めていた回答ではなかった。
それでも拒絶されたのではないと分かると安堵し、持ってきていたハーブティーの存在を思い出す。
冷めにくいようにと少し熱めにしていたのが功を奏した。
「秋も近いですので夜は冷えます。」
注がれたハーブティーの香りがたつと、シャリアはそうねと呟きティーカップへ手を伸ばす。
「秋は嫌いよ。」
自分以外の声はシャリアのものであることは間違いない。
そのはずなのに今まで聞いたことのない影を含む声にジアは耳を疑わざるを得なかった。