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季節は秋から冬へと移り変わろうという頃だ。
海が近いこともあり風が強く、身体の芯まで凍えさせるような冷たく突き刺すような寒さだ。
もしもやる気と言うモノにメーターがあったのならば下限を振り切り、メーターが壊れるに違いないと馬鹿なことを考えながら歩く。
まずは現状を把握しておく必要がある。
そのためには地元警察の世話になる、もしくは周辺住民から聞きこむかのどちらかだ。
どのような場所で、どのような環境で、どのような人間が攫われているのか。
そして犯人像を作り上げていくのだ。
もっともそれは普通の探偵ならば、と言う話なのだが。
「何故俺はこんな田舎で、こんな寒い思いをしながら調査なんてしているんだ?」
無意味に口から出てきた言葉だった。
もちろん返答が返ってくるとも思ってはいない。
「そりゃアンタが探偵で、依頼を形だけとは言え引き受けたからだろ」
だと言うのに、こんな観光地でも何でもない、基本的に人とすれ違う方が難しい地で返事が返ってきたことに違和感を覚える。
やや面倒くさくはあるが、返事をした人物の顔を見るためにゆっくりと振り向く。
「どうして桜ヶ咲街以外の場所でお前と遭遇するのか不思議でしょうがないが、あえて言おう。どうしてお前がここにいるんだ、夜原御月?」
過去に何度か共に調査を行った探偵、夜原御月。
未来を見ようとせず、過去ばかりを追い求める観測者にすらなれない半端者。
そこに在る物を見ないくせに、過去に在ったかも知れない物を必死に探す愚者。
俺はきっとこの男が嫌いなのではなく、この男の在り方が嫌いでしょうがないのだろう。
「依頼だよ、依頼。たぶんアンタと同じ内容だけどな」
その深淵を覗き込んだような深い黒の瞳が不愉快だった。
「解せないな。お前の世界はあの小さな街で完結していると思っていたが、一体どういう風の吹き回しだ?」
故に理解できない。
何故この男がわざわざ自身の計画の時間を削ってまでこのような依頼を引き受けたのか。
「………ただの気紛れだ、他意は無い」
一呼吸程の間を開けて返ってきた答えはそんな言葉だった。
確かにこの男、夜原御月の行動理念は稀に、気まぐれを起こしたかのように今までの基準から逸脱した事を行おうとすることもある。
敵対、害意、自身に関係の無い人間に対してはどこまでも残酷に冷徹になれると言うのに、自分の護るべき何かに該当するモノには優しさを持って接する。
如何にも人間らしいように思えるが、その実は全てが破綻している。
そもそもの目的が、その他大勢の人間を、自身の庇護する人間も含めやり直しと言う形で無かったことにするという事を知っていながらも、目に映ってしまった不幸で救われない人間を助けようと言うのだから。
「そうか、なら、これ以上は何も言うまい。お前がそう言うのであれば、そうなんだろうからなぁ?」
しかし、この男が調査をしているという事は実にありがたいことである。
こちらの想定する道筋から大きく遠回りこそするが、最終的には定められたゴールに到達し、依頼を確実にこなし解決してくれると知っているからだ。
人間性は好きにはなれないが、探偵としての能力は信用に値する。
都合のいいスケープゴートとして精々利用させてもらうこととしよう。
「それで、今現在の調査状況で何かわかっていることはあるのか?」
隠すこともなく、普通に情報を貰うとする。
「なんで俺がアンタにそんなこと教えねぇといけない?」
「なに、簡単なことだ。都合よく探偵が二人いるんだ。お互いに情報を提供すれば仕事も早く終わるだろう?」
「アンタが言うと途端に胡散臭くてしょうがないんだが?」
「だが提案としてはどこも間違ってはいないだろう?」
怪しいだろうが実際には良い提案であることに違いはない。
言葉や表情から嘘を見抜こうなど無駄なことだ。
何故なら嘘など吐いていないのだから。
特にないと言う情報を持っている、何一つ嘘は吐いていないのだから問題などどこにもない。
「はぁ、わかった。俺が持っている情報は犯人がインスマス面が関わってるって事と、何かしらの儀式が行われそうだってことだ。他は今から集めようって所だ」
「インスマス面とは偉く遠回しな言い方をするものだ。しかし、深きものたちが関わってると来たか……」
「まだ実際に見たわけじゃないからあえてそう言っただけだ。土師の方に確認は取ったが、築地の日本ダゴン教団本部の関与は見られないらしい。火之神にも同じような話をしたが支部のほうの動きもないときた。だからインスマス面って言い方にした、現段階では確証を持てないからな」
「ではこの地域の伝承や御伽噺等は既に調べているのか?」
「いいや、まだ調べてない。その辺に関してはアンタの方が得意分野だろ? こっちにも情報をよこせよ」
「今現在の現状では何一つわかっていない。そう、何一つ調査もしていないから渡せる情報などない。これが此方から渡せる情報だ」
どうやらこの返事が返ってくるだろうと想定していたらしく、特に文句などは言われない。
そもそも期待すらしていなかったと見える。
失礼な奴だ。【現状】でまだ調査していないと答えたというのに、実に腹立たしい。
胸ポケットから煙草を取り出し、火を付ける。
肺にニコチンとタールの煙を取り込み、ゆっくりと呼吸をするように煙を吐き出す。
やはり煙草を吸うと気が落ち着く。
「しかし、情報交換とはいえこっちの出した情報とアンタの出した情報じゃ釣り合わないと思うんだが……、そこの所はどう考えてる?」
如何にもワザとらしい素振りで言う物だなと思う。
しっかりと此方の言わんとしていることを理解していながら、わざわざ言ってくるあたりが厭らしい。
「そう急かすなよ、夜原ァ。わざわざこの俺が、現状ではと前置きを付けたんだぜ。何か有用な情報が手に入れば追って連絡する、それでいいだろう」
「アンタの場合は確認して、念押しした上で言葉にしてもらわんと信用できねぇのが問題なだけだろ。だから多少ワザとらしく言ってるんだ」
「全く持って心外ではあるが、まあいい」
早々にこの依頼をこなす条件が揃った訳だ。
贅沢は言わんでおこう。
「俺は伝承や御伽噺の方から探る。お前は行方のほうをできる限り洗い出せ」
そう言い残し、郷土資料館辺りで調査するかとその場を去った。
3
郷土資料館へ向かう途中、わざわざ自分で調べるという事が急に面倒臭くなってしまう。
確かにこう言った情報収集は苦手ではない。
しかし適任者がいるのならばそいつに任せてしまった方が時間的にも労力的にも楽である。
だがしかし、何かを得るにはそれ相応の対価が必要となってしまう。
そう、それは金だ。
稼いだ金を減らすことは不服だが、楽をするためには仕方がない。
そう結論付け、携帯を手に取り耳に当てる。
数コール鳴ったころ、相手の声が聴こえてきた。
「ハイハイ、こちら喫茶・Licht。まだ営業準備中なんだが、一体どんなご用件で?」
口調こそ軽いが、その声から伝わってくる雰囲気は全然軽くなどは無い。
「いい加減ナンバーディスプレイのついた固定電話に替えたらどうだ佐倉? 黒電話じゃ不便だろぅ」
佐倉悠里、表では喫茶店の店長であり、その実態はそこそこ名の知れた情報屋である。
「その声は金雀枝か。それで自称探偵を名乗る詐欺師がどんな要件だ? それとアンティークって奴だ、うちの店に来た事あんだろテメェはよ」
先ほどの口調から一変し、その声の雰囲気と一致する粗雑な言葉遣いとなる。
「一応客に向かってテメェ呼ばわりは無いだろう。まあいい、早速だが―――」
「先払いだ、それ以外なら受けねぇ」
まだ何も言ってすらいないと言うのに酷いものだ。
「何かを得るにはそれ相応の対価を支払う、当然のことだな。わざわざ言わなくても払ってやるさ、円か? ドルか? それともバーツか? 個人的には円が楽で助かるんだが」
「払ってくれんなら何でもいい。今どこにいる? 使いを出すからそいつに渡せ」
現在地を伝え、使いが来るのを待つ。
その間に昼食でも済ませておくとするか。
「近くの無難どころと言えば―――ん?」
今から何を食べようかと無難どころを挙げようとした所で、目の前を一台の灰色のセダンが通り過ぎた。
別に通り過ぎるだけならば何一つ、微塵も問題などなかったのだが……。
「こんな真昼間に、しかも車の中だと言うのにローブなんぞ着て、中高生と言った風体の女が俯きながら何処に連れて行かれるっていうんだろうなぁ?」
ナンバープレートを素早くメモするが、きっと当てにはならないだろう。どうせ偽造ナンバーだ。
流石に白昼堂々と誘拐をするような連中が、そんなことに気が付かないわけがない。
「行き先は沿岸方向と来たか……。これはほぼ決まりだな」
インスマス面、それは人間が付けた呼び名である。正式に呼び名を言うのならば深きものども、ディープワンズが正しい。
現在のインスマス面と呼ばれる連中は深きものども達と人間の間に生まれた混血種が大多数で、今は海底に眠っているルルイエと呼ばれる都市が起源となっており、星辰が正しい位置についたとき、クトゥルーは目覚め、ルルイエは再び浮上すると伝えられている。
もっとも、こんな事を知っている人間など大抵は狂気に囚われる事になるのだが。
「さて、金を払ってまで手に入れた情報が無駄になりそうだが仕方あるまい。だが、とりあえず、だ」
近場にある牛丼のチェーン店で牛丼でも食べてから働くこととしよう。
ついでに電話で夜原でも呼び出すか。
それからでも遅くはないだろう。