ラムネモドキ
お裾分けを配り終わる頃には夕方になっていた。
異世界でも昼間は空が青く、夕方になると赤くなる。
つまり地球と同じ大気があるって事だよな?
あるいは地球で言う所の大気に魔力的な粒子とかが含まれていて、色々な偶然が重なり合って夕陽が赤いのかもしれない。
「ふぅ……今日も働いたー」
実際は言う程働いてはいない。
山菜採りに行って、パンを作って、配っただけだ。
まあ行き先が迷宮の森というファンタジー感のある場所だが、ゲームの様な魔物は出て来ないしなぁ。
尚、あそこは人を襲わない魔物が生息しているので、魔物が居ない訳ではない。
ともかく、のんびりとした生活である。
余生を送るにはもってこいの村だよな。
若者にとっては暇でしょうがない場所も、歳を取ったオレみたいな奴には丁度良い。
何も無い暇な場所とは、それだけ変化が無いという事だ。
歳を取ってくると身体が世の中の変化に付いて行けなくなってくるのだ。
「ただいまー」
なんて考えていると自宅に到着した。
異世界、それも田舎の村らしく、極々普通の家屋だ。
最初は村長が自分の家で養うみたいな事を言っていたが、オレは八歳の女の子に見えるけど本当は大人。
何より国や領主、神託によって召喚された少女が家に居たら気が休まらないだろう。
そんな感じで、オレの強い要望もあり、オレは一人暮らしをしている。
幸いと言えば良いんだろうか。
戦いでは役に立たなかったオレのスキルは、この村では役に立っている。
村の援助もあるし、食料は迷宮の森から取って来れるので心配は無い。
余った分は行商人にでも売ってお金にしようと思っているしな。
むしろお裾分け出来る位には稼いでいる。
家の掃除なんかも、ハッキリ言ってこの世界に来る前より上手くなった。
オレは日本でも一人暮らしだったのだが、まあ男の一人暮らしなんて想像に容易いだろう。
その点、村人姫なる天職の力を発揮すれば自宅の掃除程度なら余裕でこなせる。
これも生活スキルEXと生活魔法EXのお陰だな。
生活用アイテムボックスも当初は教え子達の下位互換と聞いて、なんでオレだけと落ち込んだものだが、今はそんなに悪い物ではないと思っている。
アイテムボックス内の時間が進むという事は時間と共に物が劣化するという事だ。
逆に考えればアイテムボックス内で様々な作業をする事が出来るという意味でもある。
今日の天然酵母作りにしても、パン作りにしても、普通のアイテムボックスでは出来ない事だろう。
そういう意味では生活に彩りを与えてくれる便利なスキルだ。
これからもこれ等の便利なスキルを活用して、余生を楽しもうと思う。
「さて……」
家に着いたオレは室内にあるイスに座る。
……村人が使う様な必要最低限の家具は揃っているが、現代人的には必要な家具が足らない。
この辺りは今後、日曜大工でもして作ってみようと考えている。
それはともかく……これからどうするかな。
この村は夜になるとすぐに眠りに就く。
それだけやる事が無いという事だ。
中には読書の出来る者が本を読んだりする様だが、それも村長クラスの金を多少持っている家に限る。
大体の住民は文字書きすら出来ないそうだ。
だから……生憎とオレは見た事がないが、精々男女の営みをしている程度の内容だろう。
しかし、オレは現代人。
夜と言えばテレビを見て、ネット探索をしながら晩酌、という流れであるべきだ。
当然ながらテレビは無いし、ネットも無い。
それ以前に電子機器すら無い。
念話のスキルとかあれば遠い知人と話が出来たりするのだろうか?
退屈を紛らわせるのにそんな使い方もどうかとは思うけど。
何より、今のオレは八歳。つまり未成年だ。
晩酌はダメなのだ。
元とはいえ、これでも教師だったからな。
この世界の人達に飲酒の年齢制限が無くても、オレは日本の法律を守ろうと思っている。
だから酒を飲む訳にはいかない。
そうでなければ生徒達に示しが付かない。
なので、ここでも一工夫必要だ。
オレは村に来てから作ってもらった大きな桶の近くに向かう。
そして生活スキルと生活魔法を起動させ、生活用アイテムボックスに入れていた大量の水を温め始めた。
温度は42度位かな?
沸騰させるのは簡単だが、調整するのは意外と難しいんだ。
さすがに45度を超えるときついしな。
まあ、要するにお風呂である。
この世界は過去の地球と比べて住民は清潔感がある。
それは生活魔法で自分の身体を清潔に保てるからだ。
だから厳密にはお風呂に入る必要はない。
オレも面倒な時は生活魔法でちゃちゃっと身体を清潔にして終わらせちゃうしな。
とはいえ、子供の頃からお風呂に入る習慣のあるオレにとって、生活魔法を使っておしまい、というのはどうにも違和感がある。
そういう訳で、オレは川の水を生活用アイテムボックスに入れて、定期的に風呂に入っている訳だ。
「お、沸いたか?」
お風呂が沸くというよりは温度が丁度良くなったと表現した方が正しいか。
43度と当初の予定より少し超えてしまったが、誤差だ。
入っている内に冷めるだろう。
などと考えながら、オレは生活用アイテムボックスから浴槽を模した桶にお湯を入れていく。
そうして浴槽にお湯が溜まり、お風呂が完成した。
すぐに着ていた衣服を脱ぎ、お風呂に入る。
「よいしょっと」
自分の行動を口にするのはおっさん臭い気もするが、ついつい出てしまう。
まだまだ若いつもりだったが、オレも歳を取ったという事だろう。
いや、現在の姿は八歳の少女だがな。
「はぁ……」
温かいお湯に浸かる事で一日の疲れが癒される様だ。
やはり日本人は風呂だよな。
などと、これまたおっさんが言いそうな事を思い浮かべながら、別の事を考える。
……ワンランク上の生活を目指すなら石鹸くらいは欲しいか。
今はまだ、浴槽にお湯を入れただけの風呂だ。
お風呂と呼ぶならシャンプーや石鹸が欲しいだろう。
まあ必須という程ではないが。
しかし、今のオレは色んな意味で時間が余っている。
教師をしていた頃ならともかく、石鹸作り程度なら暇潰しには丁度良い。
この村で石鹸が欲しいなら自作するしかないからな。
問題は重曹や苛性ソーダをどうやって手に入れるか、だ。
重曹は炭酸水素ナトリウムで、苛性ソーダは水酸化ナトリウムの事なのだが、入手先がわからない。
炭酸水素ナトリウムの天然物は鉱石でも手に入ると聞いた事がある。
市販されている重曹は何かの混合物だったはずだが、作り方を忘れた。
日本ならどちらも簡単に手に入るんだが……まあ日本だったら石鹸を自作する必要も無いんだけどさ。
う~ん……割と難しいかもしれない。
オレの教え子なら簡単に作れそうなんだけどな。
まあ髪や肌に関しては特に困っていないから良いか。
何かの拍子に思い出せたら作れば良い。
現在のオレ……少女の髪は非常に艶がある。
桃色という信じられない色だが、地毛なので傷んでもいない。
男のオレがする様な適当な身嗜みでも当初の外見を維持出来ている。
というか、染めた訳じゃないからな。
そもそも風呂に入らなくても生活魔法があるのでボサボサになったりしない。
ああ、だから石鹸が無いのか?
もちろん探せばあるのかもしれないが、オレの知っている範囲では見つけられなかった。
なので、今ある道具から作れる物で我慢しよう。
持っている道具で作れて、風呂を充実させ、尚且つオレの暇を潰せる品々か……。
あれだ。入浴剤だな。
入浴剤なら作り方を知っているし、手持ちの材料で作れる。
必要な手順も生活魔法と生活用アイテムボックスでなんとか出来るはずだ。
よし、明日は入浴剤を作ろう。
そう決めた所で……突然、閃いた。
「……そうだ」
パッと何気無く思い付いた事を試してみようと思う。
まずオレは生活用アイテムボックスに空気を入れた。
どれ位必要なのかわからないので大量に吸い込む。
そして、空気中の酸素と窒素、二酸化炭素を分離……出来た!
おお! こんな事も出来るのか! なんでも試してみるものだ。
現代科学よりも簡単に出来たんじゃないか?
オレは二酸化炭素を冷却しながら加圧、気化熱を奪う。
そしてカチンコチンになった物体――ドライアイスを作った。
いや、これ結構凄いんじゃないか?
まあドライアイスで何をするんだって話だが。
とはいえ、ドライアイスがあるならアレが作れるよな。
オレは生活用アイテムボックスに入っている水に蜂蜜を混ぜると蜂蜜水が出来上がった。
ここに香り付けに……フアルの果汁を少しだけ垂らす。
本当はレモンとかライムみたいな柑橘類が良いんだが、持っていないのだからしょうがない。
後はドライアイスを投入し、混ぜ合わせる。
蜂蜜水にドライアイスが溶けて大変な事になっているな。
そうしてしばらく待つと、ラムネモドキが出来あがった。
本当は蜂蜜の代わりに砂糖を使いたかったんだが、あれは少し高価でな。
オレの教え子なら割と簡単に作ってくれるんだが、この辺りでは結構貴重品だ。
それはともかく、オレはラムネモドキを木製のコップに入れてから取り出す。
コップの中で炭酸独自の泡が立っている。
温度も冷たくしてあるので普通に美味そうだ。
「んくんく……ぷはー!」
口内に広がる炭酸独特のしゅわしゅわ感。
特別炭酸飲料が好きではなかったが、懐かしい味に心が踊る。
何よりお風呂に入っているので身体が暑い。
そこに入ってくるラムネの清涼感は筆舌し難い幸福感だ。
日本で売られている奴より少し炭酸濃度が高いのが特徴か。
この辺りもオレ好みに調整して行くのが良いだろう。
味は日本で売られている物と比べたら数段は落ちるが、まあそこは原材料がドライアイスだからしょうがない。
本来は食用の重曹とクエン酸を使うのだが、意外に上手く行った。
これも生活スキルの効果かもしれない。
「うん、悪く無いな……」
こんな感じで生活を豊かにしていけば良いんだ。
オレはまた一つ賢くなり、田舎生活を満喫したのだった。