お裾分け
そうしてのんびりと歩く。
時間を進めてささっとパンを焼いても良いんだが、パンが焼けるのを待つのもこれはこれで楽しいものだ。
……のどかだ。
車やバイクなどが通らないので機械音もしない。
遠くで鳥や虫の声が響くだけだ。
ある意味、日本よりも遥かに田舎らしい。
更に言えば空気が良い。
深呼吸するだけで肺の中に爽快な空気が入ってくる。
排気ガスなんて代物は無いので空気が良くて当たり前ではあるんだが。
なんてノロノロと歩いていたらパンが焼けた。
さて、どんな出来か……。
取り出してみる。
「あちっ!」
さすがに200度の中に入っていたパンは熱い。
触れる前に熱気で火傷するかと思った。
少し冷まそう。
この辺りも生活魔法EXで時間を進め、触れる程度の温度にする。
確かパンによって食べるのに理想的な時間があるとかなんとか。
「おお……」
出来上がったパンを取り出す。
母さんが生きていた頃も焼きたてのパンを食べる機会はあまり無かったが、良い匂いがする。
さすがにこのままでは熱くて食べられないので時魔法でパンを冷まし、食べられる温度にしてから口に入れた。
「うん、美味い」
日本の市販で売られているパンとは違い、独自の風味があって美味しい。
これはフアル天然酵母が理由だ。
何を酵母の材料にするかで風味が変わるからな。
ミフシーも上手くロースト出来ていた様で、味に深みが出ている。
何より自分で作った食べ物というのは美味しいものだ。
それが手作りの醍醐味だし、多少の贔屓が入ってしまってもしょうがない。
とはいえ、料理なんてほとんどした事の無いオレにしては良く出来たと思う。
多分だが、生活スキルと生活魔法による補正も掛かっているんじゃないだろうか?
それを商売にしている人には負けるだろうが、料理も生活の一部だ。
家庭料理なんて言葉もあるしな。
だから生活スキルの補正が入っていたとしてもおかしくはない。
でないと説明出来ない部分もあるしな。
そうして……食べ終わる頃にはイリエル村に到着していた。
迷宮の森でのんびりしていた事もあり、お昼を回っていた。
日本で言うなら1時か2時くらいだろう。
「あ、リリステラ様、こんにちは」
リリステラ様……相変わらず慣れないな。
オレは今でも自分を元先誠一郎だと認識している。
しかし、この世界では天から授かった真名を偽る行為は良く思われない。
幼女先生と呼んだ生徒もいるしな。無礼にも程がある。
先生を何だと思っていやがるんだ、アイツ等。
と、ともかくその傾向は都市部よりも田舎の方が如実だ。
田舎の農村で暮らしていくなら、オレは元先誠一郎ではなく、リリステラとして生きていくしかない。
「こんにちは、ルルリナさん」
ルルリナさんは村長のお孫さんだ。
金色の髪を肩まで伸ばしていて、体型も女の子と言った容姿をしている。
村でも器量の良い娘さんで通っており、歳は15歳だそうだ。
正直に言って、オレの教え子達よりも大人びて見えるから不思議だ。
まあ時代……いや、世界か。
世界が変われば成人年齢も変わる。
成人年齢が変われば大人にならなければいけない年齢も変わる、という事だろう。
実際、地球でも昔は現代よりも成人が早く、今よりも大人にならなければいけない年齢は早かったそうだ。
ちなみに、村長には子供が何人かいるんだが、更にその子供……孫の一人が村長の天職を得ているので、この村は安泰である。
その他の子供達は全員村人なので権力争いも起こらないだろう。
オレが言うのもどうかと思うが、生まれた時から村人って夢も希望もないような気もしなくもない。
異世界召喚というシチュエーションだからこそオレは村人姫で我慢できたが、村人って一生無能の烙印を押されたような気持にならないのだろうか?
オレ自身も召喚された直後は混乱したというのに……。
この辺りは生まれ育った環境によって変わる物なのかもしれない。
あれだ。知らない事が幸せという奴だ。
ペットの犬や猫に特別な日だからと贅沢な餌を与えると今までの餌を食べなくなると聞いた事がある。
そんな感じで日本の様に可能性を感じさせる要素が無ければ何の疑問も浮かばないのかも知れない。
おっと思考が脱線した。
今はルルリナさんだ。
さて、オレは先程のパン作りを多重展開で行なっていた。
なのでそれなりの量を確保している。
これもそれもお裾分けの為だ。
「丁度よかった。ルルリナさん、これお裾分けです」
そう言ってフアル天然酵母で作った手作りパンと今日取ってきた野草やキノコを生活用アイテムボックスから取り出して、渡す。
「こんなによろしいんですか?」
村長の家は大家族だ。
分けるにしてもそれなりに量が必要だろう。
何より、村の権力者と懇意の関係を築くのは生きていく上で必要な事だ。
いつまでも姫様という地位に甘んじて居てはいけないので、ここ等辺で良い所を見せておきたい。
「はい。よかったら皆さんで食べてください」
「ありがとうございます」
そう言ってルルリナさんは受け取ってくれた。
やがて嬉しそうに口を開いた。
「リリステラ様が来てからこの村も明るくなりました」
うん、これはお世辞という奴だ。
見た目が良いとはいえ、8歳の少女が来た程度で明るくなる村があるはずもない。
そうは思うが『いや、ありえないでしょ!』なんて言う程、オレは空気の読めない奴ではない。
教師というのは生徒達の些細な感情の機微に気を配るものだ。
ちょっとした油断が学級崩壊やイジメなどを起こしてしまうからな。
まあ、その感情の機微を察した結果、こんな田舎に引っ込んで余生を送っているんだけどさ。
「自分も村の皆さんに助けられてばかりで……この村はとても良い場所ですね」
こちらからもお世辞を言っておく。
環境的に悪い場所ではないが、田舎は田舎だ。
オレの教え子達がここに着たら三日もしない内に飽きたとか言い出すだろう。
まあアイツ等は今頃、異世界の刺激的な生活を送っていると思うが。
とはいえ、オレみたいな35を過ぎた、後は下り坂の人間には良い場所だ。
田舎は排他的で陰湿……余所者への敵意も、国と侯爵が後見人であり、神託によって召喚された存在である、という理由からほとんど無い。
むしろ農民の間にも広まっている教会の教えもあってか、オレの扱いは良い物ばかりだ。
住民の悪意の無い田舎というのは実に良い。
のどかでゆっくりとした時間が流れる、放牧的な楽しさがある。
不便な所も多いがオレの天職とスキルは生活系なので、その不便さも改善出来る。
そういう意味では本当に良い場所だ。
「そ、そうですか?」
あまり褒められ慣れていないのか、ルルリナさんは照れた様子で聞き返してきた。
まあ正直に言って何も無い村だもんな。
森や山、川での採取や魚釣り、狩りなんかも人によっては興味も湧かないし、生きる為の過程としか考えない人も多いだろう。
オレみたいな異世界人、それも都会暮らしの人間からすれば、それ等は魅力的な要素なんだけどな。
「はい。まだここに住み始めて長くは無いですが、とても気に入っています」
「それはよかった……最近は王都に憧れている人も多くて、お爺ちゃんが愚痴っている事が多いんです」
ほう、そうなのか。
どこの世界でも田舎の若者は都会に憧れるという事だろう。
彼等は自身がどれだけ恵まれているのかを知らないからな。
なんだかんだで王都の方は危険が多い。
ハッキリ言って、兵士や剣士、魔法使いの様な天職を持っていない者が王都に行くのはやめた方が良い。
オレはこの世界に召喚されて一ヵ月程王城で過ごしたからわかるが、戦闘能力や製造能力など、何か突出して優れる部分が無いと上手くやっていけないだろう。
そもそも魔物や魔族の影響もあって、この辺りと比べると治安が悪い。
人や権力が集まるんだからしょうがない事だけどな。
とは思ったが、こんな暗い話はしない方が良いだろう。
「まあ、自分は天職が村人姫なので、この生活が合っているのかもしれません」
割と本気でそう思っている。
オレの教え子達が天職に合った生き方をしてやり甲斐を見つけた様に、この村での生活はとても馴染む。
もしかしたら教師よりも向いているかもしれない。
「そういう訳で、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそリリステラ様に気に入っていただいて嬉しく思います」
なんて感じの会話を繰り返し、お裾分けイベントは終了した。
しかし、外見八歳の少女相手に媚びるのは大変だろうな。
我ながら他人事ではあるが、偉い人ってこんな感じなんだろう。
……とりあえず他の住民にもお裾分けに行くか。
こうしてオレはイリエル村での立場を少しだけ向上させたのだった。