天職の影響
「お前は何を言っているんだ?」
何故オレが美用品会社の社員にならなければならない。
今はこんな生活をしているが、昔は教師だったんだぞ。
「だって、先生って世界史の教師だよね?」
確かに世界史の教師がフローラルウォーターやポプリに詳しいのは違和感があるか。
「そうだなぁ……普段オレ達が何気無く使っている物は大昔の人達が作った物なんだ」
「ああ、そっか」
まあ、明らかに世界史の範囲からは外れているが。
オレが昔の人達が使っていた物とかについて調べるのが好きだっただけだしな。
それにこの村に来てからフローラルウォーターばかり作っていた。
綿貫の回し者発言もわからなくはない。
とはいえ、元は入浴剤を作る為に作った精油の副産物だった。
それがルルリナさん達の間で流行った結果、フローラルウォーターがメインになって、精油が余ったからポプリを作った、という色々な意味で回り道をしている。
「その化粧水……フローラルウォーターだっけ? 私ももらって良い?」
「良いぞ。どれでも好きなのを使ってくれ」
そう言って、生活用アイテムボックスの中にある複数のフローラルウォーターを取り出す。
材料のハーブによって効能や香りが変わるので好みで使うのが良いだろう。
……何より、女の子が化粧水を使うというのは、剣聖ではなく普通の少女に近いだろうしな。
「じゃあコレにするね」
と言って綿貫が取ったのは花の香りがするフローラルウォーターだった。
リューティナという花の花びらから作るフローラルウォーターで、ルルリナさん達の間でも人気の品だ。
やっぱり香りも選ぶ基準になっているんだろうな。
「使い方は普通の化粧水と同じで良いの?」
「ああ。成分的に飲む事も出来るから、普通に使うんだったら日本の奴と同じで大丈夫のはずだ」
まあ余程おかしな使い方をしない限りは問題ない。
綿貫は日本で育った少女だし、オレの想像を超える使い方はしないだろう。
実際、フローラルウォーターの使い方はオレの想像通りだった。
常識の範疇で使っている。
「でも、やっぱり先生がかわいくなってたの、私の勘違いじゃないね」
「は……?」
フローラルウォーターを薄く顔に塗り終わった綿貫の言葉に思わずそう言ってしまった。
昨日から定期的にオレがかわいくなったと言うが、何を根拠にそんな事を言うのか。
「化粧水に石鹸、入浴剤だよ? 先生は元も良いんだし、良くなって当たり前だよ~」
……確かに。
綿貫の言葉に思わず納得してしまった。
元も良い、というのは現在の姿、つまり八歳の少女の事だろう。
派手な桃色の毛髪こそ気になるが、誰がどう見ても可憐な少女だからな。
少なくとも日本人の感性では美少女に分類されるはずだ。
それは異世界でも変わらず、大抵の人はかわいいと思ってくれて、見た目で嫌悪を向けられた経験はない。
そんな子がフローラルウォーターを常用し、石鹸で身体を洗い、入浴剤を入れたお風呂で身を清めたら、どうだ?
しかも全てが天然の手作り品である。
天然素材で作られたから最高、などと言うつもりはないが、少なくとも何もしないよりは良くなるのではないだろうか?
「これが天職の影響……?」
オレは35歳元教師である。
当然ながら男だった頃は化粧水なんて使っていなかった。
石鹸と入浴剤くらいは使っていたが、それも特別こだわりがあった訳でもない。
そりゃあ知識として作り方を知っていたのは事実だが、あくまで知識は知識だ。
それが、今はどうだ?
フローラルウォーターは様々な事情で製作頻度が高い事もあり、質もそれなりに上がってしまった。
材料のハーブによって効能もマチマチだが、その効能によってその日毎に使い分ける程度の事はしている。
石鹸や入浴剤だってそうだ。
ハーブから摘出した精油を入れ、品質としてもそう悪い物ではない。
これが仮に『村人姫』になった影響とするなら相当深刻だ。
オレ自身が気付かない内にそうなっていたんだからな。
つまり、天職の力は精神にも作用する可能性があるって事になる。
まあ姫なら美用品くらい使用人に作らせろよ、と思わなくもない。
本来、王族や貴族が自分の使用人に作らせていた物ばかりだからな。
それも村人の姫なのだから、自分で作ったという可能性まであるのが怖い。
「綿貫の気持ちが少しはわかったかもしれん……」
Lvが上がる毎に剣聖に近付いていくのが嫌だと言った綿貫。
自分の気が付かない所で村人姫に近付いていたオレ。
もちろん思い込みや勘違いの可能性もあるが、身体や精神の変化に戸惑いはある。
「先生、ごめんね……そんなつもりじゃなかったの」
オレがショックを受けている事に気付いたのか、綿貫は謝ってきた。
……今は教え子の方が大事だ。
「気にするな。むしろ綿貫のお陰で気付けた。教えてくれてありがとうな」
多少、無理をしている自覚はある。
けれど、オレは村人姫である前に教師だ。
教え子の前では良い格好をしたいって、無駄なプライドを発揮してしまう。
「しかし……考えてみれば当然だったのかもしれない」
「当然?」
「ああ。人間、得意な事があれば、当然その影響を受けるだろう?」
村人姫なら生活における快適さとかだろうか。
家事が得意だとしたら、当然生き方も変わる。
これは村社会に溶け込む能力も含まれているだろう。
今にして考えれば尋常じゃない位、イリエル村に馴染むのが早かったしな。
綿貫の天職である剣聖もそうだ。
ある日突然、剣を扱う事が尋常ではない位、上手くなったとしたらどうだ?
練習したら練習した分だけ吸収して、メキメキと実力が上がっていく。
そんな状況になった時、以前の様な自分で居られるだろうか?
「綿貫、昔語り鬱陶しいと思うかもしれないが、聞いてくれるか?」
「え? う、うん」
「ありがとうな。昔、オレは社会科、それも歴史が得意でな――」
まだオレが学生だった頃……オレは日本史や世界史と言った科目が得意だった。
特別勉強していた訳じゃないし、この時代が好きという確固とした思いがあった訳でもない。
ただ、いつもテストで良い点を取れていた、という誰にでもある得意科目の話だ。
気が付けばオレは大人に近付いていて、将来の選択を迫られていた。
その頃になるとオレは昔の人達がどんな風に生きて、どんな生活をして、どんな時代だったのかを調べるのが好きになっていた。
だから、出来ればその道で食べて生きたい考えていたんだ。
「とは言っても、オレは特別頭が良い訳でも、学歴が良い訳でもなかった。だから学者にはなれなかった」
オレよりも歴史に詳しい奴はそこ等中にいる。
オレよりも勉強が出来て、頭の良い奴も沢山いる。
何より、特定の時代を調べたい、という強い探究心があった訳でもない。
「でも、どうしてもその道で食っていきたくてな。数ある関係職の中から、オレがなれる職業は教師くらいなモノだった」
誰かに自分の知識を教えたい、という崇高な理由で教師になった人達には悪いが、オレの教師になった理由はこんな感じだった。
まあ、教師も上から下までピンキリだ。
人格者で頭の良い奴だけが教師になれる訳でもない。
日本だけでも数え切れない程に学校があって、その学校を運営する為に教師がいるんだから、その中にオレみたいのが混じっていてもおかしくはない。
「先生は先生が好き?」
「……そうだな。我ながら向いていたと思う」
自分に実力が無いから結果的に辿り着いた職業だが、やってみたらそう悪い物ではなかった。
そりゃあ新米教師の頃は毎日が新しい事の連続で困りもしたが。
何より、物を教えるというのが想像以上に難しいとも思ったな。
「まあ、教えるのが上手だったかと言われると微妙かもしれないが、何かが得意というのはそれだけ人に影響を与える」
ここで昔話から現在に戻ってくる。
長話をしてしまって綿貫には悪いが、そういう事だ。
以前のオレがそうだった……そして、村人姫であるオレもまた、同じだ。
「綿貫、勘違いだったらすまないが、剣聖という天職を受けたお前は……剣を振り回すのが楽しいんじゃないか?」




