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ろくでなし  作者: 藤本諄子
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終章

終章

「こちらへどうぞ。」

愛子は、亜希子を台所に連れて行った。亜希子は、その間周りをきょろきょろ見渡していた。

「ねえ、人の家をじろじろ見るもんじゃないわ。」

「ああ、ごめんなさい。お宅の中にかわいいものがたくさんあるな、と思って。」

亜希子はそういったが、かわいいものと呼べるものは何もなかった。壁に写真などを張り付けてもいない。

「はい、水。まだ打ち合わせが終わってないんだし、飲んだらすぐに、部屋に戻って頂戴ね。」

愛子はそう言って、自分のコップに、水を一杯入れ、亜希子にわたした。亜希子は受け取って、持っていた巾着の中から錠剤を一個取り出し、それを水で飲みこんだ。

「ありがとう。ねえ、愛子さん。」

「何よ、早く戻って。」

「いや、このコップ、かわいいわね。それにまだ買ったばかり?これ男性用よね。もしかして店長が使ってたの?これ、どう見てもペアのマグカップでしょ?愛子さんのもあるの?」

亜希子が、なれなれしく質問した。愛子は思わずギョッとした。これは、友人からもらったものであるが、当時流行していたペアのマグカップだったのである。

「ええ、まあ。」

「でも、これ、新品のままじゃない。お茶を入れたりしたら、あとが付くはずだと思うけどな。」

確かにそうだ。彼女の言う通り、そのマグカップは、入れた茶の跡などが何もついていなかった。

「ねえ、愛子さんのもあるんですか?」

「そんなこと聞いてどうするの?」

「いえ、ごめんなさい。店長のこと思い出してしまったんです。このマグカップを見ていたら。」

「いいわ。」

と、愛子は、茶箪笥から自分のマグカップを出した。それは、普段から使用していたから、はっきりと茶の跡があった。

「へえ、こっちのほうは結構使い込んでますね。」

「ええ。私はお茶を飲むけれど、あの人はコーヒーも紅茶も、何ものまなかったからね。もともと、好きじゃなかったみたい。」

「そうですか?私、店長と話したけど、紅茶飲んでた時ありましたよ。午後の紅茶とか。」

「なんでそんなことがわかるの?」

「だって、私、多い時には週に一回は着物を買いに来ていましたから。いつもたくさん買ってくれてうれしいと店長は言ってましたよ。」

「暇人ね。そんなに頻繁にうちの店に来るなんて。遊女ってのは。それにその格好だって長じゅばんだわ。マナー違反もいいとこよ。」

「ごめんなさい。電話をもらったとき、もうパニック状態だったの。着物を着つけている暇もなかったから、急いできちゃったわ。」

「なんでもいいから、何か着たらどうなのよ。そのうちお坊様だって来るわよ。その時には、あなたには外に出てもらうわ。遊女にはこういう儀式には出てもらいたくないし。」

「じゃあ、ここにある喪服を一枚課して頂戴。売れ残りでいくつかあるんじゃない?」

「図々しいわね。今日だけよ。」

愛子は、店舗部分へ行って、売れ残っていた喪服を一枚出し。帯と一緒に亜希子に渡した。

「ひもはどこ?これでは着られないわ。」

亜希子がまたいうので、愛子はそれらも出してきた。

「ありがと。」

と、亜希子は愛子の目の前で、愛子が着るより速く喪服を着こんでしまった。

「ずいぶん速いのね。」

「まあ、毎日着物で生活してるからね。仕事柄。でも、私、今台所見て変だとおもったわ。」

「何よ、何が変なのよ。」

「私の思い違いだといいんだけどな。」

「何よ!言ってみなさいよ!」

「教えましょうか?だって、今、茶箪笥を見たけれど、器も何も、汚れている器とそうじゃない器と、落差がありすぎるのよ。」

「まあ、あの人は、きれい好きだったから、念入りに掃除してたからじゃない?私たち、二人そろって食べたこと、ほとんどないもの。」

「そうかしら、病気で苦しむ人が、そんな風に丁寧にするかしら。そんな余裕ないんじゃないかしら。」

「いい加減にしなさいよ!人を馬鹿にするもんじゃないわ!」

愛子は思わずテーブルをたたいた。

「いいえ、私はまだ納得できないわ。」

亜希子はさらに続ける。

「調理器具だって極端に少ない。二人分の食事を作るのに、お鍋ひとつだけってありえない。私、一人暮らししてるけど、一人分の食事を作るのに、鍋とフライパンは持ってるわよ。それにゴミ箱を見せてもらったけど、ほとんど、容器ばっかりじゃないの!」

「一体何がいいたいのよ、あなたは!」

「私は、店長さんのことが好きだから、見ていられないの!」

亜希子は涙を流し始めた。それは、本当に悲しみで流しているのであり、決して演技ではないことに愛子は気が付くことはできなかった。

「かわいそうに。店長さん、ろくにご飯を食べさせてもらえなかったのね!だから、あんなにがりがりに痩せて、早く逝っちゃったんだ。それはきっと、冷たい奥さんの仕業だったんだわ!」

「あなた、何を言ってるの?テレビドラマの見すぎなんじゃないの?そんな細かいところまでなぜ気が付けるの?」

「だって私、お客よりも店長さんのほうがずっと好きだったから!女郎として、いろんな男の人と寝たけど、店長さんのほうがそういう人よりずっと優しくて、私を女性らしくしてくれたきがするのよ!奥さんはきっと、そういうことしてもらったことないでしょ?だから、健太っていう唖の男と付き合って。まるで立場が逆になったみたいね。女郎は、好きなったのか、そうじゃないのかを見分けるのは得意なのよ!」

「人の夫をそうやって利用するのも遊女の悪いところよ。遊女のくせして、人妻に文句言うもんじゃないわ。」

「いいえ、利用したのはそっちじゃないの!店長さん、ご飯もろくに食べられないで、さぞかし、悲しかったでしょうね。まあ、そういう私も犯罪者になるのかもしれないわね。あのね、私、教えておきたいことが一つあるの。あなたが想ってる唖の男は、もう、この世にはいないわよ、たぶん。」

亜希子は、だんだんによく知られている、女郎の顔になった。

「どういうこと、、、?」

愛子が慎重に聞くと、

「ええ、私がやったのよ。どうしても、店長がかわいそうだったから、合成映像を作って、彼の枕元で毎晩流してやったの。私、学生時代に映画作って、合成映像作ってたから、その程度ならまだできるわよ!」

「と、いうことは健太さんは、」

「まあ、もう、まもなくあの世の人ね。私も、似たような存在になるのかもしれない。でも、私とあなたとはっきり違うところは、私は愛してた人のためにやったけど、あなたは単に自分のためだけ!そこが違うところね!」

愛子は、思わず近くにあった包丁に手をかけようとしたが、

「愛子さん、亜希子さん、何をしているんだ。明日は通夜だよ。早く支度しないと。」

と、和美がやってきたので、それまでにした。

「今日のところはここまでにしとくから。また、ガチバトルしましょうね。」

亜希子は、和美たちがいるほうへ戻っていった。

「愛子さん、何やってるんだ。喪主は君だよ。肝心の人がいてくれなければこまるでしょうが。」

和美がそういうので、愛子も急いで戻り、再び会議は始まったが、愛子はほとんど耳に入らなかった。

翌日の夜。しとしと雨の降る中、通夜が行われた。参列者はそれほどでもないと見込んでいたが、着物を買った客たちがぞろぞろとやってきた。参列者は高齢者ばかりではない。中には20代から30代の若い人もいる。しっかりと喪服を身に着けている人もいれば、着物のルールをほとんど知らないで、黒いウール着物を身に着けている人もいたが、マッチ箱を縦にしたような小さな店はあっという間にいっぱいになった。参列者の受付や、接待係は、亜希子や和美がした。誰一人チャラチャラしたものはおらず、みな僧侶の話をしっかりと聞いていた。

翌日の葬儀にも、同じ人たちが来た。そのため和美は急きょ近くの旅館に問い合わせて、座布団をもってきてもらった。正座をしなければならなかったが、誰も文句は言わなかった。

出棺の儀も、納骨の儀も、彼女たちはついてきた。途中で抜けたものは誰もなかったので、結局払いの膳は用意しただけでは足りず、座布団を借りた旅館の一室を借りて行うことにした。払いの膳で、参列者たちは、それぞれの席について、食事を食べながら、次々に語りだした。

「残念ですね。とても親切な店長さんだったのに。」

「私は、正絹と化繊の違いを知らなくて、別の呉服屋に笑われたりしましたけど、店長さんは親切に教えてくれたことが忘れられないわ。」

「そうね。私なんて、絽と紗の違いも知らなかった。わかるところまで教えてくれたのが、店長さんなのよ。」

「そうそう。柄の意味も詳しかったもんね。定め小紋の由来まで説明してくれたりしてさ。」

「ほかの呉服屋では年が合わないって拒否された着物も、ここではちゃんと似合うように、帯を選んでくれたりして。」

「ああ、そういえば、作り帯の作り方も教わったことあったわよ。そういっても、太鼓だけどね。私、体が不自由で帯、結べないから。」

「そうそう。教えてくれたけど、帯のお金だけ払ってくれればいいと言って。なんだか安すぎませんかって言っても、何も言わなかった。この人は本当に着物が好きなんだなってのが、にじみ出ていた人だったなあ。」

「そうなると、そういう人が亡くなるってのは、本当に寂しいわね。なんで世の中って、こういういい人は早く逝って、悪い人ばっかり長生きするようにできているのかしら。」

「まあ、敬ちゃん哲学的。確かに、いい人は早く逝っちゃうわよ。でも、私たちはここにいいる。」

「そうかあ。私も、生きていかなきゃいけないよね。ごめんさい、店長さん。」

と、そのおばあさんは、持っていたコップを置いて再び合掌した。その人は、かつて店に来てくれた、あのおばあさんだった。

「でも、本当にやさしい人だったね。それだけはきっと確かだわ。もちろん、世の中ってそれだけじゃ生きて行かれないけどさ、でも、一番素晴らしいものを持ってるから、こんなにたくさんの人が来てくれたのかなあ。」

その人たちの会話を聞いて、愛子はなにかよぎった。自分は、尋一が、他の人間にやさしすぎると思っていたし、それをねたんでいた。他人にやさしすぎて、自分のことなどそっちのけでいたのかと思っていた。でも、結果として、彼はこの人たちにこうして感動を与えているのである。かつて、引きこもり生活をしていた時もそうだったけど、自分が一番悲しかったのは、自分が社会から必要とされていなかったことだ。そのためにはどうするか、何もわからずに怒りばかりをぶつけていた。でも、こういうことではないのか。具体的に必要といわれるのではなく、その人たちの心に残るように生きること。それが、自分に一番欠けていたことなのかもしれない。

大きな教訓だった。

尋一は、その役割を立派にはたしている。そして、彼女たちは、これからも、尋一が生きていれば、それを続けることもできただろう。

不意に、悪いことをした、という感情が愛子に走った。

自分は、彼女たちにそれをできなくさせた。

彼女たちはまだ、彼が生きていたら、店にやってくる。今なら言えることだ。確実にやってくるだろう。

私は、彼の命だけではなく、彼女たちの希望も奪ったのである。

やがて、払いの膳も終了時刻が来た。和美が、終わりのあいさつをして、参列者たちは帰ることになった。彼女たちは、用意したマイクロバスで駅まで向かっていった。愛子は、葬儀を手伝ってくれた和美や美栄子、そして亜希子にまで丁重に礼を言い、今日は一人で自宅に帰るから、送らなくていい、と言って、和美たちとは別の道を取って、歩いて行った。その

方向に、警察署があることを愛子は知っていた。

と、その時だった。愛子の背に鋭い痛みが走った。振り向く暇もなく愛子はぱたりと倒れたが、その耳にやはり女性の声でこんな言葉が聞こえてきた。

「お前か、うちの子を殺したのは!」

答えはなかった。

健太の母は、凶器を放り投げて、戻っていった。赤い血が、愛子の背かだらだらと流れてきて、彼女の手を染めた。


終わり





最後まで読んでくれてありがとうございます。

感想でも残してくれると嬉しく思います。

ありがとうございました。


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