8 女子高生探偵は、模造紙で答え合わせをするのです。
ナオキさんの一声で、それまでかかっていた強力な催眠術が解けたかのように一変し、活発化した現場。
双子は、それをあらかじめ用意させていたのであろう。
ナオキさんが当たり前の顔をして、背中のデイバッグから折りたたまれた真っ新な模造紙を取り出し、警部に許可を取ったうえで、それを皆の見える壁の位置にセロテープでとめた。
これで、ナオキさんの役割は終了――。
マネージャーさんよろしく、二人にマジックを渡すと私の横にやって来て、観客の仲間入りをした。
黒マジックを手にしたリナが、きゅっきゅと音を立てながら、模造紙を均等に縦に三分割する線を引く。右、中央、左の位置に、3つの欄が出来上がる。
その右横では、腕を組み、部屋全体を見渡しながら、ルナが仁王立ち。
リナが線を引き終るや否や、声を張り上げた。
「まずは、偶然」
右詰めを意識しながら、リナが右欄に『偶然』と書き込んだ。
「この事件における偶然は、現場からテレビのリモコンが消えたことね。恐らくは、たまたま自分の指紋が付いてしまったが上手く拭き取ることができなかったとか、もしくは――」
ルナの鋭い視線が、容疑者の藤井さんを貫く。
「同じ機種の自宅のリモコンが壊れてたので、戦利品とばかり、気紛れに持ち帰ったとかが考えられるわね」
だが、藤井さんの表情はピクリとも動かない。
リナが、右側の欄に『犯人、リモコンを持ち帰る』と縦書きで記入する。
「次は、必然ね」
ルナの声とほぼ同時に、リナがいかにも女子高生な丸い文字で『必然』を書きこむと、警部がこくりと頷いた。
この間も、ルナの視線は藤井さんに固定されたままだ。
「この事件の必然――それは、犯人の性格です。もっというと、事件現場での一連の現象は、からかい好きで裏をかくことの好きな犯人の性格を、必然的に表してるわけです」
「犯人の……性格?」
警部が少し不満げに、確認的質問をする。
「ええ。ほら、この犯人、心中に見せかけようとしたり、刺し傷のフェイクだとか、小細工が好きでしょ。もちろんそれはミス・ディレクションを意識しているのだけれど、どこか子供じみたところがあるのよね……。ただ、リモコンの件は偶然だったと思うけど、それも子ども的な突発的発想で、結果的には捜査の攪乱には役立ったのよ。」
「なるほど」
リナが説明を付け加えると、警部が納得の表情を見せる。
「つまり――犯人は、悪戯好きな子どもみたいな性格なの!」
リナが、力のこもった太い字で、中央の欄に「犯人は、いたずら好きなこども」と書き込む。口元をほんの少し歪ませた藤井さんが、ちらり視線を動かして、ルナの視線と交錯させた。
「そして、この事件における“当然”――凶器の行方になるわけですが」
「今までの流れで、わかるのか?」
今度は、脇に居た大倉山刑事が厳しい口調で質問。
それを聞いたリナが、ぷっくり頬を膨らませながら「もちろんよ」と答え、模造紙の左の欄に『当然』を書き加える。
「要するに――凶器は現場から消えたようで、消えていなかったのです!」
「何だって?」「一体、どこにあるというんだ?」
警部と大倉山刑事が、まるで双子探偵のように声を合わせた。
だがその内容は、本家のように上手くいかず、ちっとも揃っていなかった。
「ということでぇ、この事件における“当然”は、こうなります!」
ルナが叫ぶと同時に、リナが模造紙に勢いよく書き込む。
やがて文字を書き終えたリナが、一度ルナと目を合わせた後にこちらに向き直り、それを読み上げた。
「凶器は、この部屋の一番目立つところにある!」
数秒間、まるで時が止まったかのように、誰も身動きしなかった。
警部も大倉山刑事も、あまりのことに言葉が出ないようだ。代わりに、私が話を進めることにする。
「じゃあ、もしかして――凶器のある場所って、そこ?」
リビング中央の天井部分からぶら下がるシャンデリア・ライトに、人差指を立てた右手を向ける。それはちょうど我々の配置の真ん中に位置しており、確かにそれは、挑戦するかの如く、堂々と我々の視野に入っていた。
「レオナ、正解よ! 二人を死に追いやった凶器は、そのシャンデリア風照明器具のスイッチ紐の部分に隠されてるわッ!」
「何だって!」
決まり文句のように、警部が叫ぶ。
と同時に、慌てて手袋をはめた大倉山刑事が、照明器具へと近づいて行く。それから彼は、高身長の彼が背伸びして届くほどの高さにぶら下がった、金属チェーンでできたスイッチ紐の部分に、手をやった。
「あわわ、これはどういうことだ……。警部! よく見ると、釘状に尖った千枚通しのようなものがチェーンに巻かれて、透明接着剤でくっつけられてます!」
「何だって……」
もう、警部の口からは「何だって」しか出てこないようだ。
多少口調に変化は有るものの、急に語彙が少なくなってしまった警部が「信じられない」という顔つきで大倉山刑事に近寄って行った。べりべりと金属の棒のようなものがチェーンから大倉山氏によって剥がされ、それが白い手袋をはめた警部の手へと渡された。
それをしげしげと眺めた警部が、「もっと信じられない」という表情をして、実は他にも語彙があるんだぞと示すかのように、コメントを出した。
「これは……いわゆる“コンクリート針”という建築関係で使われる道具だな。長さは約20センチ、太さは普通の釘より少し太いくらい。柄の部分が金属でできていてちょうど指で摘まめるぐらいに小さく、全体が金属のチェーン状の紐で巻かれていたために目立たなかったのか……。気が付かなかったとは、一生の不覚だ」
なぜか、説明的な台詞。
警部が、悔しそうに唇を噛み締めた。
――しかしそれにしても、何と嫌味な性格の犯人なのだろう。
凶器は、常に我々の目の前に提示されていたのだ。今日も、この前も、事件直後から。
何だか憎たらしい気持ちになった私が藤井さんを睨もうとすると、既にリナとルナの二人がハンパない目力で彼を睨みつけているのが見えたので、私はその役を彼女たちに任せることにした。
「大倉山君、すぐにこの針のルミノール反応を調べてみてくれ。あと、出ないとは思うが、一応、指紋もな」
「了解!」
警部に命令された大倉山刑事が、非番だというのに、張り切り勇んでリビングから出て行った。
それを見届けたルナが、推理の解説をする。
「初めて現場に来た時に私が感じた、この部屋の漠然とした違和感……それは、たった20センチという、この紐の短さだったのよ。だって、長身の大倉山が手を伸ばしてやっとの高さにまでしかライトのスイッチ紐が垂れ下がってないなんて、よく考えてみればおかしいでしょ?」
それを聞いた藤井さんが、突然、ぱちぱちと拍手を始める。
すっかり夜の時間帯に突入した故人の部屋で、それは金属的な反響音を持って響き渡った。
「すごいすごい! この女子高生たち、確かにすごいね。でも、謎解きは凶器捜しで終わりかな? 君たち程度では、犯人は分からないってことか。それに、論理がおかしいというか、不完全な気がするね。“偶然”のところで触れたリモコンのことが、結局、推理には何にも役立っていなかったじゃないか。まあ、期待してたほどじゃなかったってことだね。……とにかく、僕はあんな凶器らしき道具など初めて見たし、ここには初めて来たし、僕が犯人だということはなかったってことで、結論していいよね?」
得意げにニヤつく藤井さんに、今度はリナが反応する。
「せっかくパズルをひとつ解いてやったのに、感動の少ない男ね……。もちろん、もうひとつのパズルの答え合わせは、これからよ。警部……では、説明をお願いします!」
「わかった、リナ君……。
先ほど、藤井さんに任意同行を求めた際、もちろん同意の上でだが、室内を調べさせていただきました。そこで分かったのは、藤井さんのお宅にあるテレビが事件現場にあるテレビと同じ機種であることです。そして、これも同意の上ですが、藤井さんのお宅にあったリモコンの指紋について調べさせてもらいました。その結果――」
藤井さんの目が、一瞬、険しくなる。
「外側部分からは、藤井さんの指紋以外には検出されませんでした」
警部はそう云って、新米の劇団員がするかのような、いかにもという感じの残念そうな表情を藤井さんに見せた。
藤井さんが、穏やかに目尻を下げる。
「ほらね。そんなリモコンなどで、僕の有罪は証明できない」
「でもね――」
そこで、警部と藤井さんの会話に口を挟んだのは、リナだった。
「今でこそ“リケジョ”が巷に溢れてるけど、女子ってだいたい、機械が苦手なものなのよ」
「だから?」
「まだわからないの? アンタも、期待したほどじゃなかったわね」
イラついたルナが、お返しとばかりに、つっけんどんに云った。
「リモコンが効かなくなったら、すぐに“故障かも”って思ってしまう女子もいるわ。だから、女子は傍にいる男性に、それを見てもらおうとする。すると男性は大概、こう云うわね――“ああ、これね。たぶん、電池切れだよ”」
男役の宝塚スターのように声を低くした、ルナ。
それを受けたリナが、図に乗ってはしゃぎ出す。
「ウチのお母さんとお父さんなんて、いつもやってるわ」
今度はリナが、ちょっと科を作ってお母さんに成り切り、舞台役者のような口調で台詞を云った。
『なんかリモコン壊れたみたいなのよ、お父さん』
お父さんになり切っているらしいルナが、増々声を低くして、それに答える。
『それは、電池が切れただけだよ、きっと』
『そんなこと、機械の苦手な私には、分かりませんわ』
『いやいや。それくらい、母さんにもわかるだろう?』
『とにかくね、お父さん。リモコンの面倒はお父さんが見て。お願い!』
気恥ずかしそうに真っ赤な顔を伏せたナオキさんの前で、双子による素人演劇が繰り広げられる。
「その小芝居、要るのかね……?」
苦笑いする、警部。
すると、まるで初めてクレヨンを手にした子どもが画用紙に色を塗るかのように、みるみると容疑者の顔が青ざめていった。
それにつれ、彼の両目が裂けんばかりに見開かれていく。
そんな容疑者を睨めつけながら、警部が云った。
「藤井さん。あなたのお宅にあったテレビリモコンの中の電池から、被害者男性の指紋――あなたとは接点の無いはずの男性の指紋――が検出されましたよ。さて……これをどう説明されますか?」




