6 恋バナ好きの探偵は、特別な恋に気がついたのです。
今の状況を冷静に判断すれば、二人きりで閉じこめられてしまったことぐらいは、この私にも理解できた。
息詰まる暗闇の中、健気に動きまわって状況を打破しようとする、ナオキさん。
それは、視覚が発揮できない分、敏感になった私の肌の感覚が捉えた空気の流れでわかった。
だがそれも、結果としては空しい行動だった。
暫くの後、自力での脱出はできないと判断したナオキさんが、覇気の無い声でこう呟いたのだ。
「いや、困ったな。どうしよう……」
「どうしようって、とにかくここから出るしかないでしょ? まだ、お昼ご飯も食べてないのよ。ここにずっと閉じこめれたら私、本当に餓死してしまう!」
「そうか、そっちの方が問題か。暗いところで僕と二人きりということじゃなくて……」
「一体、なんのこと? とにかく、早く誰かに電話して、助けを呼んでください!」
「そうか、そうだね……。うん、わかったよ」
ナオキさんの声の調子にちょっとしたがっかり感のようなものを感じたのは、きっと私の気のせいだろう。
「じゃあ、とりあえずリナに電話してみるか……」
ごそごそと携帯電話を取り出したナオキさんが、電源を入れる。
すると、その画面は眩しいほどの光を発して、懐中電灯の如く辺りを照らし出した。
「そうか、こうすれば明かりが確保できたんだ……。まあ、分かってたけどさ。
……とにかく、ミステリ小説の華やかかりし昔ならいざ知らず、今は21世紀。こんなところに閉じ込められても、直ぐに外部に連絡が付く便利な道具があるのだぁ。さあ行くよ、お決まりのセリフ。せーの、携帯電話ぁ」
彼の中で、ついに何かが弾けたらしい。
ナオキさんは、かの有名な青い猫型ロボットの口調でその電子機器の名前を叫ぶと、手にしたそれを天井に向かって突き上げた。
「そういうの良いですから、早くしてください」
「あ、そうですね……。はい」
ナオキさんは、自分の妹で双子の姉、リナの携帯の登録画面を呼び出すと、そこに指を当てて、発信した。
「ああ、リナ? ナオキだ。実は今、大変なことになっててさ……。え? 帰りにデパ地下で苺タルトのケーキを買って来てくれって? だから今、それどころじゃないんだって。俺の話を――ああ、わかったわかった、口を挟んで悪かったよ。買うよ、買うからさ、俺の話を――あれ、ルナに代わっちゃった? え? 私はグレープフルーツのタルトが良いって? ああ、わかったって。後で買ってやるよ。買ってやるからさ、今は俺の話を――」
いつまでたっても埒の明かない会話に、イラついた私。
ナオキさんから携帯をひったくると、会話を始めた。携帯電話の明かりが、役立たず感満載の悲しげな表情のナオキさんを仄かに照らし出した。
「ああ、ルナ? 実は今、閉じこめられちゃったんだよね……」
“あれ? どうしてレオナがウチの兄貴と一緒に?”
「どうしてって、リナとルナがナオキさんにそうお願いしたんでしょ?」
“ええーッ? そんなことしてないよ!”
どうやら、私たちの現在のシチュエーションを、双子はあまり理解していないようだった。私が経緯の説明を進めていくに連れ、声を荒げ、二人がヒートアップしていくのがわかった。
“あの、バカ兄貴! ははーん……でも、状況はわかったわ。バカ兄貴へのお仕置きは後にするとして、とりあえず大倉山にそちらへ救助に向かうよう連絡しておくね! っていうか、私の予想では、多分もうそろそろ警察がそこに顔を出すんじゃないかしら。とにかく、ちょっと待ってて”
通話を切り、ナオキさんに携帯を返却する。
「ナオキさん……。ルナたちは、私が一緒に居たこと知らないって」
「ええーと、それはですね……ちと、事情がありまして」
暗闇で研ぎ澄まされた私の嗅覚が、ナオキさんの背中と脇あたりに流れているのであろう大量の汗の臭いを捉えた。
と、そのときだった。
突然、ドアの向こう側でがんがんと衝撃音が響き渡った。その数秒後、ぎいと音がして扉が開いた。注ぎこまれる待望の陽射しに、私の視界が一瞬、真っ白になる。
器具室に飛び込んで来たのは、見知らぬ若い男だった。恐らくは、ルナの云う通り、警察官――若手の刑事なのだろう。
「大丈夫か? なんて無茶なことをするんだ、君たち!」
一人の若手の刑事の前で、いきさつを説明する、ナオキさん。
その後、刑事さんたちからの説教が続く。
「我々警察も、彼の行動を監視するために尾行していたんだ。明らかに素人の若い男女が同じように彼を尾行していることに気付いたんだけど、彼に我々の存在を知られるのも困るので声を掛けられずにいたら、この有様だよ」
「す、すみません……」
ナオキさんが、縮こまる。
一応、私も頭を下げる。
「それで――容疑者は?」
「ああ、それなら大丈夫。もう一人の刑事が追ってる」
と、そのとき、リナとルナが現場に到着。あれから、直ぐにタクシーでここに乗り付けたのだ。
私たちの姿を認めた二人が、間髪を入れずに、まくし立てる。
「ちょっと様子を見て来てって云っただけでしょ! どうして、レオナを巻きこむの?」
「そうよね、ルナ。半分、冗談だったのに!」
「あ、いや、すまん……。って、冗談だったのか?」
「だから、半分よ。半分」「そうね、半分よ。半分」
何か云い返そうとするナオキさんに、今度は警察の男性が畳みかける。
「尾行など、素人がやるものじゃないぞ! 返って捜査の邪魔になるのが分からないのか?」
「そうよそうよ、そんなことも分からないの?」
「兄貴が危険に巻き込まれるのは仕方がないとして、レオナを巻きこむなんて、サイテー!」
今度は、警察と双子のダブル攻撃に合う、ナオキさん。
もうなんだか、可哀相になってきた。そろそろ解放してあげてもいいんじゃない?――なんて思っていると、突然、ルナが叫んだ。
「そうか、わかったわ!」
「な、何が?」
「何って……」
したり顔のルナが、右手人差し指をナオキさんに向ける。
「密室の恋よ。これね……これなのね! これこそミステリ界で有名な、あの、密室の恋なのね!」
と、その言葉で瞳を輝かせた、リナ。
「そこに気付くなんて、さすがルナ。まさに、密室の恋だ……私、初めて本物を見たわ!」
興奮し、ボルテージの上がる双子たち。
私には、何を云っているのかわからなかったが、ナオキさんが頻りに首を傾げながら呟いた。
「それって、もしかして未必の故意のことか? ちょっと違うんだよなぁ」
「みひつのこい?」「密室じゃないの?」
「大体、恋じゃないし」
驚く双子に私が訂正の言葉を入れると、刑事さんが説明を始めた。
「未必の故意、とは刑法の法律用語です。犯罪の実現自体は不確実だが、犯行者が実現される可能性を認識し認容している、というものですね」
双子探偵が、揃って目をぱちくりさせる。
「わかったような、わかんないような……。でも、今の刑事さんのセリフ、きっと漢字ばかりでちっとも面白くないセリフだったことは間違いないよ」
「そうね、それだけは間違いないわ。ところで――」
明かに話をそらそうとする、二人。
と、急にリナが真顔になる。
「でも、わかったことがひとつあるわ。この容疑者、かなりの悪戯好きのようね。まるで尾行されるのを楽しんでるかのように罠を仕掛け、二人を閉じこめたから……。ねえ、ルナもそう思わない?」
「そうね、私もそう思う。あ、そうか。だから――」
続きの言葉を遮るように、このとき大倉山刑事が現場に到着した。
ちっ、と舌打ちしたルナが、「ほんと、アイツって間が悪い奴よね」と、ぶつぶつ文句を云う。
「くっそー。何だよお前ら、非番の俺を気安く呼びつけるなよ!」
こちらにも、文句を云いたい人がひとり。
どうやら、双子が電話で彼を呼びつけたらしい。
余程急かされて来たのだろう、はあはあと、彼の息が上がっている。
「ちょっと、アンタ遅すぎるわよ! そんなことじゃ、私たちのような幼気な美人女子高生たちの命と生活を守れないわよ!」
「な、なんだよ。呼びつけといて、いきなり説教かよ」
「違うわ、文句よ。――ところで私、分かっちゃったの。あの日、現場で感じた違和感が何だったのかってことを」
「違和感だって? そんなこと初耳だが……本当に?」
「ええ、本当よ。だから、大倉山! 今から容疑者の藤井さんを任意同行で現場に呼びなさい。早速、事件現場で謎解きの答え合わせだわ!」
「こら、小娘ども。まだ息も落ち着かない私に命令するな! と云いたいところだが、警部からはお前らの云うことはきけと云われてるし……。わかった、仕方がない。彼を、任意同行しよう」
「そうよ、そうこなくっちゃ。あ、それからね……」
「何だよ、まだあるのかよ」
嫌がる大倉山に、何かの命令をすべく、リナがこそこそと耳打ちした。




