2 受験生探偵は、現場に引き出されるのです。
藻岩警部からの気の重い電話から、瞬く間に一日が過ぎた。
今は既に、放課後の時間になっている。
いつもなら退屈な授業も終わってそれなりに解放感のある時間帯だけど、今日は少し違っていた。
何せ、警察からの捜査協力依頼なのだ。前回の事件に引き続き、2回目である。
でも、前のときとは違い、今では受験生という立場の私たち。気分は、どうしてもピクニック気分とはならず、決して軽いものではなかった。少なくとも、私は――。
さて。
もうお気付きだと思うが、我が親友のリナとルナは、その筋ではちょっと有名な女子高生探偵である。プライバシーの関係から世間には実名等は明かされていないが、今までもいくつか事件に会って警察に協力し、真実を明かしてきた。カラオケ屋の殺人に、マンションガス爆発事件。
それは彼女たち、いや、私たちの高校生活のモニュメントとなっているのだ。
そんな状況の中、私と双子の三人は、この街のやや郊外にある住宅街へとタクシーで向かっていた。
後部座席に仲良く並んで座った、私たち三人。中央は、私だ。
道路の轍による段差でタクシーが揺れるたび、私たちの制服の肩の部分が擦れ合って、シャララと音を立てる。
擦れ合う回数が増えていくということは、その数だけ現場に近づいていることを示していた。いつもはちょっと軽いノリのリナとルナも、さすがに今日は、その顔付きが時間とともに険しくなっていくのが、この私にも分かった。
でも――たった一つだけ我々乙女の華奢で健気な心を満足させてくれたことがある。それは、公共交通が最大の味方である私たちにとって滅多には乗れないタクシーの経費が、警察持ちであるということだった。
女子――特にお小遣いが毎月カツカツの幸薄い高校女子――は、無料という言葉に、からっきし弱いのである。
なんてことを考えていると、私の右隣りのJKが口をつんと尖らし、不満を漏らし始めた。最近、漫画を読んでいる姿しか見ることのできない双子の妹、ルナである。
「んもう、藻岩警部は横暴よね。いくら私たちが優秀な探偵だからといって、受験生を無理矢理に事件に巻き込むなんて……」
「まあ、そうだけど……。でもそれよりさ、藻岩警部にいっつもセットでくっついてくる大倉山っていう刑事の顔を見る方が、私には憂鬱だけどな」
すっかり葉が落ち、まるで魔女のまたぐ箒のような形になってしまった背の高いポプラの木々をそのぱっちりと開いた大きな瞳で窓越しに眺めながら、姉のリナが溜息混じりに呟いた。
「そうそう! アイツ、本当に鬱陶しいよね。もう、ちゃっちゃと片付けて、早く帰ろうよ」
私の言葉に、ともに肩まで伸びたセミロングの黒髪を揺らし、二人が同意する。
やがてタクシーを降りると、何故かそこに、リナとルナの兄で今H大医学部5年のナオキさんが立っていた。
まだ秋の終わりだというのに、厚めのダッフルコート。かなりの寒がり体質のようである。
「ごめんね、レオナ。どうしても、ウチのバカ兄貴が付いて行くってうるさくってさ」
「いや……。別にそこ、私に謝るとこじゃないし」
ちょっと冷やかすような口調のルナに、私が即座に応戦。
横では、リナが口を三日月形にして、ニヤついている。
そんな風にごにょごにょと話していると、私たちの姿を認めたらしい双子の兄ナオキさんが、手を振りながら満面の笑みで近づいてきた。
「やあ、久しぶりだね、レオナちゃん。僕のアホな妹たちが、どうしても来てくれって云うもんだから……」
「誰がアホやねん!」
お得意のシンクロで声と動きを合わせ、肩をすくめるリナとルナ。その辺は、きっちりと双子である。
とそのとき、目的地の一軒家の2階窓から、タクシー車中での噂の主、そして我々女子高生の憂鬱の種であるあの男の、あまり聴きたくもない声がしたのだった。
「来やがったな、忌々しい女子高生どもめ。警部がどうしてもと云うから、仕方がないので入れてやる。早く、入って来い!」
「こらこら、大倉山君。捜査協力者に、なんて言葉使いを――」
今日はどうやら、「どうしても」という言葉が流行な一日らしい。
警部の大倉山へのなだめるような口調の説教を小耳に挟みながら、私たちは一昨晩事件のあったという、一軒家の敷地に足を踏み入れた。
その家は、明らかに所謂「建売タイプ」の一軒家ではなかった。
玄関までのアプローチはそれなりの距離があって、建物の造りもちょっとした豪邸。普通の家の2軒分はありそうな大きさで、白く広い壁が私たちを威圧的に見下ろしていた。
直立不動状態の制服警官の横を通り、玄関へと進む。
どう見ても高価な調度品の数々が、否応なしに、私の目に飛び込んでくる。
大理石の玄関床に、まるで羊を一匹丸ごと使ったかのようなムートンのふかふか玄関マット。いい香りのする背の高い木製の下駄箱の横に鎮座するのは、銀色に光るオシャレな傘立てだ。
くらくらと眩暈を感じながら、更に奥へと進む。
広めの廊下の壁にいくつもかかった、額縁に納まった絵画たちがこれでもかと自己主張をしてきた。もう、既にお腹いっぱいだ。
やっとのことで一階のリビングにたどり着くと、そこはウチの2倍はあるんじゃないかと思うような、ものすごい広さだった。
部屋の手前にどっしり構えた高級テーブルに、奥に設置された大画面薄型テレビ。
テレビの前には5、6人は座れそうな大きなふかふかソファーが置いてあって、かわいい猫でも膝の上にいれば、テレビを見ながらいつまでもそこで過ごせそうな感じである。
中でも存在感があったのは、やや高めの天井の中央に陣取るシャンデリア調の照明器具だった。電球自体は今どきのLEDのようだが、いくつものガラスランプのようなものがキラキラと眩しく光を発しながら環状に並んでいて、器具の中央からは先端に金属の小さな持ち手がついたチェーン状の20センチほどの長さの紐スイッチが、ぶら下っている。
――なんとなく、家主の趣味がわかるわね。
変な満腹感を感じながら部屋の雰囲気に圧倒されていると、大きなリビングの中で、微かだが、なんだか聴きなれた声が響いた気がした。
「おーい、そろそろ私たちの存在に気付いてくれていいかな?」
それは、ほとんどその存在を忘れかけていた、藻岩警部の声だった。
「あ、藻岩警部。いたんすか」
「いたんすかではないよ、君。ずーっと前からここに立ってた」
きっと、他のみんなも私と同じように、家の調度品に圧倒されていたのであろう。ナオキさんがとぼけた調子で云うと、いつもは温厚な警部が、少し声を荒げた。
夢から覚めたかのように、改めて部屋を見回す。
すると、藻岩警部と大倉山がしょぼくれた顔をして、目の前に立っているのに気付いた。
いつも通り口髭だけは立派な小太り気味の警部はもちろんだが、背が高くて黙っていればイケメンな存在の大倉山までもが部屋の高級な雰囲気にすっかり負け、ただの家具転倒防止用の細長い突っ張り棒のように見える。
と、気を取り直した警部が、私たちの足元を指差した。
「ああ、キミたち。足元、気を付けてね」
よく見ると、私たちの足元のすぐ横に、部屋の雰囲気にはそぐわない安っぽい工事用の青シートが敷かれていた。大倉山刑事がすぐにこちらに寄って来て、シートを床から引き剥がした。
そこから現れたのは、フローリングの床上に白チョークで書かれた二人の人型と、血だまりの跡らしき黒い影だった。比較的大きな体を示す人型に、横向きの形でもう一つの華奢そうな体のラインを示す人型が、すぐ横に並んでいる。
――どうやら推測するに、男女一組の死体が冷たいリビングの床で寄り添うようにして、倒れていたものらしい。
「ここが、事件の現場なんですね」
「ああ、そうだ」
普段の顔付きに戻ったナオキさんの質問に、警部が即座に答える。
するとすぐ、警部が若手刑事に顎を突き出して、事件説明の合図を送った。
「この場所で大量の血を流し亡くなっていたのは、この家に住む若い女性と、その愛人とみられる中年男性の二人。死因は、ともに失血死。
人物情報の詳細は後で話すが、付近の聞き込みで最近の二人の仲はあまり芳しくなかったことが判っている。それら周辺情報と現場の状況から、我々警察はこの事件、無理心中の線が強いと考えている。ただ、それが断定できないのは、ひとつ問題があるからだ。それは、なぜか二つの命を奪った千枚通しのような先の尖った道具――尖器――が見つかっていないことで……」
「ああ、もういいわ、それで十分よ、大倉山。警部が私たちに訊きたいのは確か、この事件が心中か殺人かということでしょ?」
「ああ、そうだが、本当にもうわかったと?」
「ええ、そうよ。これは殺人ね。間違いないわ。それを証明すれば、私たちを解放してくれるんですよね?」
「ああ、もちろんその通りだが……。でも、一体どうして?」
うろたえる警部と軽く呼び捨てにされ顔を真っ赤にして怒る大倉山の目の前で確信の口調でそう云い切ったのは、我らが双子探偵の妹、ルナだった。
私が二人を識別する特徴として最初に発見した彼女の右目下のほくろが、輝いて見える。
「だよね、リナ」
「うん。こんな簡単なこと、本当に警察は気付かないの? じゃあ、云っちゃうね」
ルナより少しだけ温厚で、左目の下にほくろのあるリナが意外とキツイ一言を発した。
そして二人は顔を見合わせながら頷くと、声の調子をピタリ合わせて、こう云い放ったのだ。
「だって、この部屋にはテレビのリモコンがないもの!」




