さよならの記録
『人は何かをしてしまった後悔よりも、それをしなかったことに、より大きな後悔をする―。』
その夜―。
仕事で帰りが遅くなった僕は、最終電車に飛び乗りようやく家路についた。
そして、電車がゆっくりと駅のホームを出て行こうとしたその時、内ポケットの携帯電話の着信音が混雑した車内に響き渡った。
僕はドアに押し潰されながら胸元から携帯を取り出し、待受画面を見る。
そこには恋人である彼女の名前が・・・。
執拗になり続ける着信音に乗客の視線が僕に集中している。
(こういう時に限ってっ!)
僕は仕方なく携帯の電源を切った。
電話に出られるような状況ではなかったにしろ、話をしないまま切ってしまったことに、僅かながら罪悪感を感じつつも、僕はそのまま携帯を胸元にしまい込んだ。
ここから自宅の最寄り駅までは約30分の道のり。
(駅に着いたらかけ直そう。)
そう安易に考えていた・・・。
彼女とは大学の時に知り合って、もう5年。
長く関係が続いていることは決して悪いことじゃない。
ただ・・・。
いつまでも出逢った頃と同じというわけにはいかないのも確かだ。
もちろん、彼女のことは以前と変わらず愛している。
―いや、本当に変わらず愛しているだろうか?
恋愛も長く続けば惰性になる。
学生時代ならともかく、社会人になり、ある程度の時が経てば仕事だって任されるようになる。
学生気分は終ぞ消え、僕自身も驚くくらい日々の業務に追われている。
何よりそんな自分を僕は嫌いじゃなかった。
30分後―。
駅に着いた僕は彼女に電話しようと携帯電話を取り出した。
そして、待ち受け画面に留守電のマークがあることに気がついた。
(きっと彼女だ。)
僕は留守電を聞くことにした。
『メッセージが1件です。』
『・・・・・。』
留守電はまだ終わってない。
ただ、吹き込まれているのは風の音と、彼女の微かな息遣いだけ。
それも携帯電話を耳に強く押し当ててじっと聞いていないと分からないくらいの音。
そして、その数秒の沈黙の後、彼女はその消え入りそうな微かな声で、
「さよなら…。」
と言った。
その後、彼女とは連絡が取れなくなった。
(もしあの時電話に出ていたら?)
そう思わなくもない。
だから、今でも僕の携帯電話にはあの夜の彼女のさよならと一緒に、電話に出なかった僕の後悔がずっと消せずに残っている―。