4. オネエでショックな巡り合い
秘密基地とはなんぞや。
史朗以外の面々の頭上にハテナマークが飛び交う。
「秘密基地って何のことだよ?」
「正義のために戦う戦士の活動拠点となる所だ! 例えば部室とか!」
史朗の言う秘密基地とは、家庭科研究部の活動場所のことだった。戦隊ヒーロー用語で言われてもすぐには分からない。一般人にも分かる言葉を使って欲しいものだ、と光之介は思う。
「部室という名の秘密基地があるんだろ?」
「残念だけど部室はないのよ」
「えっ!? じゃあどこで何するんだ?」
史朗は家庭科研究部がどんな活動をするのかも分かっていなかった。何をする部なのかも知らずに入部するというのも、普通ではなかなか出来ないことである。さすが、校内変人番付に選ばれるほどの逸材だ。常軌を逸しているという意味での逸材だが。
しかし史朗の言う通り、活動する場所がなければ何も出来ない。桃花たちはどこで行うつもりなのだろうか。
この西尾ノ宮学園・高等部の部活動は他の学校とは異なり、特殊なルールがいくつか存在する。
学校公認の部ならば、各々部室という活動場所が与えられる。また公認の運動部はグランドや体育館を、部室ではなく特別教室を使うような文化部はその教室を優先的に使うことができるのだ。
しかし、公認ではない非公認の部活は同好会扱いとなり、部室は与えられない。教室で活動をする場合も、その都度借用の申請を行わなくてはならないのである。
家庭科研究部は調理と裁縫を主な活動としている。だから、部室よりも被服室や調理室といった特別教室を借りる必要がある。だが、既に手芸部と調理部が存在するので、それらの特別教室を使うのは不可能だった。
空いている時に使わせてもらえるよう交渉するという手もあるが、手芸部と調理部それぞれの現部長の顔を思い出して、それは無理だと光之介は一瞬で悟った。
極度の男性恐怖症で、半径1メートル以内に男を近付かせない手芸部部長・戸ヶ崎美唯。文化部どころか高校生には見えないガタイと迫力を備え、『料理の父』の異名を持つ調理部部長・北旭多聞。どちらも一筋縄ではいかない人物だ。
「ふっふっふ……」
不意に桃花が妙な笑い声を上げた。流し目で不敵な笑みを浮かべているので、なんだか気色が悪い。そんな普段とは違う雰囲気の桃花は、チャキと鍵らしきものを顔の前に掲げた。
「こんなこともあろうかと、使える場所は借りたぜよ……」
「桃花、どうしたの? 口調が変わってるわよ?」
「あたしだってクールにキメる時はキメるもん! じゃなかった、キメるぜよ……」
「なぁんだ、吉良さんの真似だったのね」
「おい、やめろ」
オレはそんな語尾じゃない。胡散臭い坂本龍馬みたいな話し方なんてしない!
そう激しく抗議したいが、ここでキレたらスマホ動画の餌食になってしまう。校内一の人気を誇るイケメンとしては、これ以上弱みを握られるわけにはいかないのだ。光之介は心の中で歯噛みする。
「とりあえず、ついて来るぜよみんな~!」
ぐぬぬと唸っている光之介の心中など知らない桃花は、1人テコテコと歩き始めてしまった。慌てて3人もその後を追う。
しばらく進むうちに、光之介の先ほどの疑問も氷解した。旧校舎に向かっていることが分かったからだ。
この学校の校舎は、新旧の2つに大きく分けることが出来る。その新旧の校舎もそれぞれ1つの建物ではなく、いくつかの棟で構成されている。
新校舎は数年前に建てられたばかりだ。内装も綺麗で最新の設備が揃った新校舎には1年生から3年生までの教室だけでなく、大体の特別教室も備えられている。それでも旧校舎が残されているのは、西尾ノ宮学園が県内でも屈指のマンモス校であるが故だ。
生徒の数が多ければ、それに比例してクラスの数も多くなる。学校生活を快適にするため、またクラス担任の負担を減らすために1クラスあたりの生徒数は30人と決められている。そのせいでクラス数はさらに多くなっていた。
そして、クラスの数が多ければ同じ時間に被る授業も増える。そうなると新校舎にある特別教室だけでは足りない。予備の教室として、旧校舎の特別教室は使われているのだ。
旧校舎の被服室。その扉の前に、4人は辿り着いた。旧校舎は築年数もかなり経っている上、新校舎の教室が使えない時にしか使用されないのでそこまで手入れも行き届いていない。
桃花が扉の鍵を開ける。中に入ると埃っぽいような古い教室独特の匂いが漂ってきた。
「おおー! ここが俺達の基地か! なんだか燃えてきたぜ!」
「裁縫だけじゃなくて料理もやるんだろ? 調理室も借りてるのか?」
「調理室は学校の公認がないと借りれないから、残念だけど今は被服室だけなんだよー」
光之介の問いに、桃花は口を尖らせて残念そうに答える。
調理室はこの被服室に隣接しているので、家庭科研究部の活動から考えるととても使い易い場所なのだ。だが、刃物や火気を扱うということで、顧問のいない非公認の部活では調理室を使わせてもらえないらしい。そう考えると、まずは公認の部を目指すのが、家庭科研究部の目下の目標だろう。
秘密基地に興奮冷めやらぬ史朗がムダにシャドーボクシングをしている。桃花は手近な机に鞄を置いて、史朗に書いてもらう入部届けの準備をし始めた。真夜は空気の入れ替えのために窓を開けていた。
彼らから視線をずらした時、ふと気になるものが光之介の目に飛び込んできた。教室の隅に近い場所で佇む人物。物憂げな表情で窓の外を見つめている青年がいる。視線に気付いたらしいその青年は、光之介の方を向いてニコッと微笑んだ。
まさか先客がいるとは思いもしなかった。
青年の緩く撫で付けた癖のある髪がふわりと揺れる。年の頃なら22、3歳ぐらいだろう。なんとなく見覚えのあるような顔だが、誰なのか全く思い出せない。
見覚えがあるならば、ここの教師か職員に違いない。しかし、カラフルな花柄のシャツに光沢のあるボトムスという派手な服装のせいで、教師どころか全うな勤め人にすら見えなかった。
他の3人はどうやらこの青年の存在に気付いていないようだ。先客がいたならば、この教室をこれから使うことを一言断っておいた方が良いだろう。
そう判断した光之介は青年に近付いた。
「あの、すみません。この教室、今からオレたちが使うんすけど」
「あら! アナタ、可愛い顔してるじゃない」
「……はい?」
どうやら、この青年はいわゆる『オネエさん』らしい。両手を胸の前で組んで、嬉しそうな表情でくねくねと動いている。しかも、人の話を聞かないタイプのようだ。余りにも脈絡のない青年の言葉に、光之介は思わず不躾な返答をしてしまった。
ふと覚える違和感。何かがおかしい。しかし、何がおかしいのか。光之介ははっきりと言い表すことが出来なかった。訝しげな表情で眺めていると、青年はさらに嬉しそうな声で続けた。
「アナタ、アタシが見えるだけじゃなくて声も聞こえるのね!」
「それは、どういう……」
言葉の意味を問う途中で、光之介は言葉を止めた。光之介がその姿を見られる、そしてその声を聞けることに青年はとても喜んでいる。それは裏を返すと、光之介以外の人間には見えていない、またその声が聞こえていないということではないか。
そんな馬鹿なことがあるか。そう思いかけた時、先ほどの違和感の正体が分かった。
桃花が鍵を開けた。鍵を開けて、この教室に入った。この被服室は外から鍵がかけられていたのだ。鍵を掛けられた状態で、中に人がいること自体おかしい。それに、こんな奇異な人間が教室内にいるというのに、桃花たちは気にならないのだろうか。普通ならば、真っ先に話題に上るはずである。
光之介はハッと後ろを振り向く。好き勝手していた3人がいつの間にか集まっていた。そして、緊張した面持ちでこちらを見ていたのである。
「……なあ、お前誰と話してんだよ?」
震え声で話す史朗の問いが、光之介の恐怖心に更なる追い打ちをかける。
誰と話しているのか。背後にいるこの青年は誰なのか。いや、何なのか。
その正体を表すであろう2文字の単語が脳裏に浮かんだ瞬間、光之介の背中に汗が一筋伝った。
そんな存在などいない。今まで見たこともない。だから、信じられるわけがない。現実にいるはずがない。
だが、その言葉に口にしてしまったら、現実になってしまう――そんな気がした。
「お前らには見えねぇ人間……っぽいのがいる」
「もしかして、幽霊?」
「うっぴゃああああぁぁあ!?」
真夜の言葉に、桃花が甲高い悲鳴を上げた。全身からぶわっと冷や汗が出る。
幽霊。
幽霊など生まれてこの方見たことがなかった。霊感らしきものも皆無だ。気配すら感じることもなかった。そんな自分が何故この幽霊を見ることが出来ているのか。突然霊感に目覚めたというのも有り得ない話ではないのかもしれない。しかしそれならば、何故この青年しか見えないのだろう。他にも幽霊は存在するはずだ。光之介は青年の幽霊を見遣る。
「やっだー、感激! アタシが見えて話も出来る子なんてハジメテよ!」
……なんだかあまり怖くなくなってきた。
自らを認識出来る人間の出現に、青年はぴょんぴょんと飛び跳ねて歓喜している。光之介が恐ろしさを感じなくなったのは、陽気なオネエ口調と仕草のせいだろう。
おどろおどろしい雰囲気の幽霊でなくて良かった。しかし、やはり幽霊は幽霊だ。このまま取り憑かれたり、呪われたりする可能性もあるのではないか。昔見たテレビ番組の心霊特集が記憶に蘇る。
この幽霊にどう対処すれば良いのか、皆目分からない。後ろを振り向く勇気も出ないまま、光之介は身動きが取れない状態となっていた。
そんな光之介を見て、桃花は真夜の腕を掴みながら泣き出しそうな声を上げた。
「うわああぁん、吉良さんがオバケに呪い殺されちゃうよぉ」
「くっ、俺の正義の拳が効けば、ブルーを助けられるんだが……!」
いつの間にかブルー扱いされている。勝手に戦隊仲間にするんじゃないと抗議したいが、今の光之介にそんな余裕はない。
「いや、諦めるんじゃない! タウエンレッドは言っていた……『ケーキがなければ、米を食え』と!」
敬愛する稲作戦隊タウエンジャーの台詞で、史朗は己を鼓舞する。全く意味の分からない決め台詞で、幽霊を殴って退治することを決心したらしく、拳を胸の前で握り締める。
史朗は体術に自信があるのだ。だが、如何せん相手は実体のない幽霊。攻撃が通用するとは思えない。いくら正義を愛する男でも、幽霊を殴り倒して退治することなど出来るはずはないだろう。
姿の見えない存在相手に一体何をするつもりなのか。光之介は不安げな表情で史朗を見詰める。
「必殺! 脱穀拳!」
「ちょっと待て! なんでオレに殴りかかってくんだよ!?」
突如、眼前に迫る拳。史朗は目を瞑り、光之介に殴りかかってきたのだ。
実体を伴わない存在であるならば、肉体の目ではなく心の目で見れば良い。そんな拳法の使い手のようなことを思いついた史朗は己の心眼だけを頼りに、幽霊の青年に攻撃を仕掛けた。
そして、その攻撃は一直線に光之介へと飛んできたのだった。
心の目も節穴じゃねーか!
光之介は必死の形相で、タウエンジャーの必殺パンチを真似た拳を受け止める。さすがは体力馬鹿。まとも食らっていたら吹っ飛んでいたに違いない。
「覚悟しろ! 悪のユーレイめ!」
「バカ! オレだオレ! 目ぇ開けろ!」
「いやァん、若いって良いわねぇ! 青春って羨ましいわァ」
「この状況、青春関係ねえぇぇぇ!」
まずい。このままでは本気で殴られてしまう。勢い良く殴り飛ばされてしまう。情けない姿を晒す羽目になってしまう。クールなパーフェクトボーイが無様に殴り倒されるなど、あるまじき事態だ。
史朗は目を瞑ったまま、体勢を立て直す。その隙に距離をとろうと後ずさった瞬間、何かに躓きバランスを崩してしまった。後ろに椅子があることに気付かなかったのだ。
椅子に手をつき、急いで立ち上がろうとする。それよりも史朗の動きの方が早かった。史朗のパンチが迷いなく光之介の方へと繰り出される。自らの身に降りかかるであろう惨事を想像した、その時。
スパーン!
けたたましい音を立てて、教室の扉が開かれた。
その音に反応して、史朗の動きが止まる。今しかない。注意が自分から逸れた隙に、素早く机の陰に隠れる。ここなら安全だろう。光之介は机からひょっこり頭を出して、史朗の様子を窺った。
史朗は教室の入り口を見ている。真夜も桃花も同じように見つめている。光之介もそのまま視線だけを移動させて、音のした方を見た。
大きく開け放たれた扉の前で、メガネを掛けた男子生徒がデジタルカメラを構えて立っている。
「話は聞かせてもらった! 幽霊はどこにいる!?」
まーた厄介なヤツが来やがった。
ややヒステリック気味に叫ぶその姿を見て、光之介は思わず頭を抱えたのであった。