3. シリアスでペテンな説得術
永遠に続くかと思われたじゃんけん大会も、ついに終わりの時を迎えた。
壮絶な戦いの末、桃花が勝利を手にした――わけではない。史朗がとうとう痺れを切らしたからだ。
「もう俺が勝ちでいいだろ!? 公式ルールなんて関係ねえ! ずっと俺が勝ってんだから俺の勝ちだあぁぁぁ!」
正義の味方がキレた。見事なキレっぷりだった。
無理もない、と光之介は思う。延々とじゃんけんを続けていれば嫌にもなるだろう。しかも、勝ち続けているのに勝ちを認められないという異常な状況で。
よくぞここまで耐え抜いた勇者よ、と褒め称えても良いぐらいだ。
あの桃花ですら疲れ切っているらしく、ゾンビのような表情をしていた。いつも元気にぴょこぴょこ動いているツインテールも、若干しおれているような気がする。
そんな彼らの様子に、真夜はイカサマじゃんけんを続けるのは不可能だと悟ったようだ。
「そうね。これ以上続ける意味はなさそうね」
真夜は史朗から少し離れ、不意に光之介の方へ視線を向けた。何故オレを見る、と思った瞬間には既に逸らされていた。その謎の行動に、なんとなく嫌な予感がする。
「勝負は貴方の勝ちよ」
「ははははは! 正義の勝利だ! 悪は滅びる運命なんだぜ!」
史朗は敏捷な動きでポーズをキメて、高らかに勝利宣言をした。動作も台詞もやはりヒーロー染みている。
完敗してしまった桃花は涙目になっていた。いつ溢れ出すかも分からない状態だ。このまま前のように大泣きし出す可能性もある。騒ぎにならないように、早々にここから立ち去った方が良いかもしれない。
そんなことを考えていた光之介の耳に、聞き覚えのある言葉が飛び込んできた。
「上等だわ。この私をコケにしたこと、後悔させてあげる」
ばっちり聞かれていた。昨日の帰り際、下駄箱でつい口に出してしまった恥ずかしい言葉を。
あまりの羞恥に、両手で顔を覆って絶叫しながらこの場を立ち去ってしまいたかった。柔らかいクッションに顔を埋めてジタバタと悶絶したかった。
しかし、そんなクールからかけ離れた姿を晒すわけにはいかない。光之介はポーカーフェイスを作る。イケメンは全てに動じない――通称・ISDNの発動だ。表情筋を急速に強張らせ、心の中がどれだけ乱れていようとも顔には出さないようにする大技である。頬の筋肉がつる危険もあるので、長時間持続出来ないのが難点だ。だが、この技で幾度もの修羅場を乗り切ってきた。
表情は至って何でもない風を装いつつ、心中では暴風雨が吹き荒れる。心にゆとりと平安を。交通安全標語のような言葉を胸に刻み続けて、ようやく落ち着きを取り戻した光之介は真夜に視線を向けた。本当は思い切り睨み付けたかったが、ここで余裕のなさを見せるのは悪手だ。
中二病を発露させたような台詞を言う真夜は、まさしく悪の女幹部の如し。そんな悪の女幹部は、先ほどの台詞に続いて更なる爆弾を投下した。
「…………この人が」
「オレかよ!?」
渾身の大技は一瞬にして破られた。
光之介を指差しながら告げる真夜の言葉に、思わず素が出てしまった。あまりにも酷い無茶振りだ。空高く打ち上がったボールが急角度に曲がってピンポイントで狙いを定めて飛んできた。そんな気分だった。
この場を何とかしろ、と真夜が目で訴えている。一体何をどうすれば良いのか、光之介には分からない。無理だ。視線でそう答えようとした時、真夜の左手が素早く動いた。
次の刹那、その左手にはスマートフォンが収まっていた。真夜は右の人差し指で滑らかに画面をスライドする。これは『バ・ラ・ま・く・ゾ』のサインだ。光之介のガチギレっぷりを収めた動画をバラ撒くと暗に示しているのだ。
何故、あの動画がまだ真夜のスマホに入っているのか。
入部すれば動画を消すという約束をしたはずだ。それなのに、消していないということか。嘘吐きやがって、と怒りが込み上げる。
その時、真夜の発言が脳裏に蘇った。
――ええ、もちろんこのスマホの動画は消すわ
このスマホの動画。
スマホ本体に保存された動画は消すが、外部メモリに保存されたものはその限りではない。そういう意味での発言だったのだ。
詐欺かよ!
そう気付いたが、時既に遅し。この場で真夜に詰め寄るわけにもいかなかった。
クールなイケメンがクールさをかなぐり捨てて絶叫している動画など拡散させてはいけない。絶対に阻止しなくてはならない。動画流出ダメ、絶対。
現状、一番有効なのは史朗に掲示板への貼り紙を諦めさせることだ。懲りずにじゃんけん勝負などしていたら、また負けてにっちもさっちもいかなくなる可能性がある。
なんとかしなくては。そう思っても、すぐに良い案は浮かばない。ジリジリと焦燥感ばかりが募る。光之介は史朗の顔を見た。
「帝王・吉良光之介か……相手に不足はないぜ!」
強敵に出会えてワクワクが止まらない。爛々と輝く史朗の目はそう物語っている。まるで王道少年漫画の主人公のようだった。強大な敵と全力でぶつかり合うことに生き甲斐を感じるタイプの主人公だ。
光之介はハッと気付いた。史朗は戦隊ヒーローが大好きで正義の味方を気取っている。素行はオカシイが性格は捻じ曲がっておらず、一本気で真っ直ぐな少年だ。先ほどの真夜とのやり取りからも分かるように、人の話をすぐに信じてしまう単純さも持ち合わせている。
変に策を弄するよりも、真正面から全力で説得した方が効果的かもしれない。
数秒の間で作戦を考えた光之介は、一歩進んで史朗に近付く。
今まで様々な手段を用いて、クールなイケメンという自分を演出してきたのだ。ちょっとした演技ならば得意中の得意である。
「なぁ、寺部。お前の言う正義はお前だけのモンじゃねえ」
「……なに?」
「オレたちにだって正義ってもんがあるんだよ」
真剣な眼差しで光之介は史朗を見据えた。声音も静かではあるが、聞く者に強く訴えかける響きがある。もちろん演技だ。しかし、史朗はそのただならぬ雰囲気に飲まれていた。
「お、お前らの正義って何なんだよ?」
「オレたちの正義か……いいぜ、教えてやるさ」
思わせぶりな言葉で相手の興味を引く。それに引っかかったら、あとは相手の心を揺さぶるようなキーワードをふんだんに塗したストーリーを語っていくだけだ。
光之介はゆっくりと桃花に顔を向ける。
「寺部……この幡豆ってヤツはな、廃部になったカテケンを愛する楠村のために再び作ろうとしてんだよ。昔カテケンの部員だった楠村が悲しがってたのを知ってな。こんな健気なヤツを泣かせるつもりか?」
「うわあああぁぁあん!!」
痛切な表情を作って言うと、桃花の涙腺は決壊してしまった。その姿を見て、史朗はたじろいだ。自分のせいで桃花が泣いてしまったと思ったのだろう。
そうだ、苛まれろ。罪悪感に苛まれろ。
悲痛な面持ちの裏で、光之介はあくどい笑みを浮かべた。良心の呵責こそ、ヒーローの心を揺さぶる重要なエッセンスだ。
光之介は号泣する桃花を見るのが辛いというように、「クッ……」と顔を背ける。これで悲壮さが一段と際立つ。そして一呼吸置いて、今度は真夜に視線を向けた。
「この友人の一色は幡豆に協力して、カテケン復活のために走り回ってるんだよ。大切な心友として、な。幡豆のためなら何でもするとコイツは言っていた。そんな2人の友情をお前は壊すつもりか?」
「そうよ! 私は桃花のためなら……心友のためなら世界中を敵に回したって構わない!」
目にうっすらと涙を浮かべた真夜が、一生懸命頑張る女の子というような表情で史朗に訴えかける。光之介が何をやらんとしているのか理解して援護射撃に出たらしい。まさかそんな行動に出るとは思ってもいなかったが、動揺を見せるわけにはいかない。
真夜の話し方も真に迫っていた。本性を知っている人間にはバレバレの演技だが、よく知らない人間はころっと騙されてしまうだろう。さらに、戦隊ヒーローマニアの心をくすぐるようなカッコイイ感じの台詞も高ポイントだ。
友情という単語をことさらに強調した光之介の言葉。友情のために生きる覚悟を決めた真夜の涙。
そんなダブル攻撃に、史朗は戸惑っていた。自分が正しいと信じていたことが揺らぎ始めている。そんな様子を見て、もう一押しだと光之介は確信する。
最後の仕上げにかかるべく、クールなイケメンは胸に拳を当てて一歩前へと進み出た。
「そして、オレは……オレはこの2人の熱い思いを聞いて、居ても立ってもいられなかった。愛と友情のために一生懸命なコイツらを見て、何かしてやりたいと思ったんだ!」
真っ向から史朗を見つめて、真剣な顔で感情を吐露する――フリをする。
元より演技力には自信があった。しかし、こうもポンポンと淀みなく心にもない台詞が口から出てくるのは才能かもしれない。己の完璧さに磨きがかかったような気がする。いつものように心の中で自分を称えたかったが、今そんなことをしている余裕はなかった。
困ったように眉尻を下げて、史朗は光之介を見つめている。
これで最後だ。光之介はカッと目を見開いて、右の拳を勢いよく握り締めた。そして、とどめの一言を投げかけたのだった。
「なぁ、寺部。熱い魂を持つお前なら、オレの気持ちが分かるだろ?」
熱い魂を持つお前なら。
その言葉はヒーローを愛する漢の心をガッチリ掴むためのものだった。
情に訴えかけるだけでなく、相手の気持ちに共感することも重要である。これは細やかな心配りの出来る完璧男子を目指す中で学んだことだ。
史朗と同じ思いを抱いているとアピールすることで、敵ではなく同士だと認識させる。その同士の心からの訴えを、ヒーローに憧れる男が無碍に出来るはずはない。それが狙いだった。
効果覿面。史朗は全てを悟った表情で床に膝をつく。正義の味方が堕ちた瞬間だった。
光之介は心の中でほくそ笑む。
「そうか……それがお前らの正義ってヤツか」
「あぁ、お前にも正義があるのは分かってるが、これだけは……オレたちの正義だけはどうしても譲れねぇ」
項垂れる史朗に、光之介は右手を差し出す。打ちのめされた後に受ける優しさは、普段以上に心に残るものだ。その手を掴み、史朗はゆっくりと立ち上がった。
「よーく分かったぜ。この掲示板はお前らが使ってくれよ」
「わーい、ありがとう!」
作戦大成功。そんな言葉が光之介の脳内に浮かぶ。これならば真夜も文句はないだろう。
いつの間にか泣き止んでいた桃花が、嬉々として家庭科研究部のビラを掲示板に貼り付けていた。「良かったね、桃花」と言いながら、真夜もそれを手伝っている。
こうして、家庭科研究部と熱き魂を震わせるヒーローの会の長きに渡る戦いは終わった。
いつの時代も、争いってのは虚しいモンだぜ。
肩の荷が下りたことで、光之介にも余裕が訪れた。そのせいか、心の中でムダに格好良いことを語ってしまう。
人類の存亡をかけた壮大な戦いを終えた気分だった。満身創痍で勝利を手にした戦士のような気分だった。口にタバコ状のものを咥えて、ニヒルに微笑みながら立ち去りたい気分だった。
光之介は口の端を軽く上げて、史朗に背を向けた。
これでオレの役目も終わりだな。これからの物語はアイツらが作るだろう。
調子に乗って、中二病に罹患したような台詞を心の中で呟く。さらに続けようとした時、そんな脳内モノローグを打ち破る声が響いた。
「ちょっと待った! お前ら部員を募集してるんだろ?」
「そうだよー!」
「なら、俺も仲間になるぜ!」
「ふあ!?」と間の抜けた声を思わず出してしまうところだった。クールなイケメンが発する声ではない。出す寸前で止められて本当に良かった。
史朗の唐突な仲間入り宣言に、光之介はクルリと振り返った。晴れやかな顔をした史朗は二本の指を額の前で立てて、挨拶するようなポーズをしている。
これは戦隊モノの中盤から後半にかけてしばしば見られる、敗北した敵が仲間になるという黄金パターンだ。いくらヒーロー好きとはいえ、そんなことまで倣う必要はないのではないか。光之介は心の中で苦虫を噛み潰したような表情をする。
部員を募集していると言っても、こんな変人は求めていない。
無言で光之介を見つめる真夜の表情がそう物語っている。この雰囲気では、またいつ脅されるかも分からない。折角計画通りに事が進んで動画流出の危機が去ったというのに、最後に思わぬ落とし穴に嵌ってしまった。
ここは断固として拒否せねばならない。にこやかに笑う史朗に、光之介はキッと鋭い視線を向けた。
「熱い魂を持つ者同士、よろしくな!」
「のっ」
「わーい、大歓迎だよ!」
「サンキューな! これからよろしく頼むぜ、みんな!」
No, thank you.
咄嗟に思いついたお断りの文句が英語だったので、正しい日本語に訳して言い直そうとした瞬間、桃花の声に遮られた。体でも遮られた。振り上げた桃花の左手が光之介の頬に当たる。その衝撃で「ぶへっ」と変な声を出してしまったが、桃花と史朗の大きな声でかき消されたのが不幸中の幸いだった。
頬を擦っていると、真夜が物凄い眼力でこちらを睨んでいるのが見えた。完璧なる八つ当たりだ。桃花が入部を了承してしまったので、怒りの向けどころがないのだろう。だが、もはや光之介でもどうしようもない状態である。
こんな結末を迎えるなど、光之介も予想していなかった。ただでさえ普通の規格から外れた女子2名がいるのに、校内変人番付・西の横綱が混ざったら一体どんな化学反応が起きるのか。
考えてみれば、部員の75%が変人なのだ。マトモな人間は自分だけ。そんな現状に打ちひしがれる光之介の心中など知らない新部員は、バッとダイナミックな動きでポーズを決めて勝手に話を進め始めた。
「それじゃ早速、俺達『熱き魂を震わせる家庭科研究部』の秘密基地に案内してくれ!」
勝手にフュージョンさせてんじゃねーよ。てか、秘密基地って何なんだよ。
光之介は虚ろな表情でツッコミを入れたのだった。もちろん、心の中で。