5. クールなイケメン、クールにキメられない
とんでもない詐欺に遭った。
清廉潔白かつ健全が売りの男子高校生は、すっかり騙されてしまった。
「あたしは幡豆桃花! こっちは真夜ちゃん。一色真夜ちゃんだよ! 吉良さん、これからよろしくね!」
光之介の混乱は最高潮に達していた。
目の前にあるのは、家庭科研究部に入部する旨を記した紙。それに書かれたサインも拇印も、間違いなく自分のものだ。
「おいおいおい、ちょっと待て!」
「吉良さんがいれば、百人力だね!」
「入部希望者も3桁いくかもしれないわ。でも、メス豚ばかりは問題ね」
椅子から立ち上がって取り乱す光之介を余所目に、女子2人は口々に勝手なことを言っていた。
真夜に至っては恐ろしい表情で、不穏当極まりない発言をしている。清純派アイドルみたいだと思った女子と、同一人物とは全く思えない。真夜の笑みは、サバトに興じる魔女のような禍々しい雰囲気を醸し出していた。
光之介は机に置かれていた作成途中のビラを、キッと睨み付ける。
先ほどしたはずのサインと拇印の跡は見当たらない。ビラに名前を書き込む時に、一瞬の隙をついて擦り替えられていたのだろう。
何が起こったのかようやく理解した光之介は、2人に怒鳴ろうとしたところで思い止まった。不測の事態に動揺して女子を怒鳴るなど、クールなイケメンから程遠い挙動である。
ここは冷静に、落ち着いて話をするべきだろう。
Be coolだ、吉良光之介。心を凍てつかせろ。オレは氷上のプリンス、いや氷点下のプリンスだ。冷凍庫の奥底で、永久凍土の如く凍りついている冷凍食品の気持ちを思い出せ。
怒りでピクピク震える頬を押さえながら、光之介は自らに言い聞かせる。
それが功を奏したのか、少しずつ平静を取り戻し始めた。気を取り直して、光之介は2人を問い質すことにした。
そこで何を言われようとも、落ち着きを失くすことなかれ。我慢が大事なんだぜ、と徳川家康も言っていた――気がする。オレはじっと我慢の子。
心の中でそう念じながら、桃花と真夜に話しかけた。
「ちょっとイタズラが過ぎるんじゃねぇか、お二人さんよ?」
「えー、イタズラじゃないよ! あたしはいつだって本気で全力だよ!」
「そうよ、イタズラだなんて心外だわ。本気で仕掛けた釣竿に、貴方が全力で釣られただけよ」
「本気なら余計にタチが悪いわああぁぁぁ!」
あっさりと、我慢の臨界点を突き抜けた。
光之介は両手で頭を抱えて、仰け反りながら盛大に叫ぶ。
叫びたい衝動を抑えられなかった。これまでの努力は水泡に帰した。
――ピロリーン。
その時、場違いな電子音が鳴り響いた。音の発生源は真夜だ。
ハッとしてその手元を見ると、いつの間にかスマートフォンが握られていた。
「……今の写真で撮りやがったのか?」
「ええ。『吉良激おこプンプン丸之介』というタイトルで良いかしら」
「おいやめろ。それはマジでやめろ」
もはやクールさの欠片も感じさせない勢いで、光之介は真夜に詰め寄る。
スマートフォンの画面には、怒りが頂点に達して爆発した光之介の姿がばっちりと映っていた。
画面の隅に存在する三角形のボタン。真夜がそのボタンを押すと、『本気なら余計にタチが悪いわああぁぁぁ!』と叫び狂う光之介の姿が流れた。
最悪だ。写真ではなく、動画だった。
これが公の場に流出でもしたら、今まで努力して築き上げてきた光之介のイメージが崩壊する可能性がある。
クールに見えるが心配りも出来る、文武両道な完璧イケメンという光之介の評判は、地に落ちてしまうだろう。それだけは、何としても阻止しなくてはならない。
「もしかして、これでオレを脅迫するつもりか?」
「脅迫じゃなくて取引よ。吉良さんが素直に入部してくれれば良いのよ」
真夜の言外には、光之介が素直に入部しな場合には動画を衆目に晒すという脅しが含まれている。悪鬼の如き表情がそう物語っていた。
「どこが取引だ!」と叫びたい気分だったが、それも再び動画に残される可能性がある。
そもそも、家庭科研究部などというよく分からない部活に入りたいとは全く思えない。
光之介が入学時に様々な部活からの勧誘を全て断ったのは、一言で言えば面倒くさいという理由からだった。
運動部であろうと文化部であろうと、何かしらの大会や試合に向けて部員全員が一丸となって、協力し、また切磋琢磨し合うのが常である。それが青春であり、汗と涙の結晶とも言えよう。
光之介にとって、そのような部活というのはひたすら面倒事でしかなかった。
だが、そんな本音を言ってしまえば、クールなイケメンらしくないと思われかねなかったので、剣道の稽古という理由で濁して断ってきたのだ。
実際は、光之介がその平和主義的精神により身を引いた。周囲が勝手にそう勘違いしてくれたお陰で、プラスのイメージが更につくこととなった。
そのような形で部活動については上手く対処出来ていたのに、今さら妙な部活に入らされるのは勘弁願いたい。
願いたいのだが――
「……入部すればその動画、削除するんだな?」
「ええ、もちろんこのスマホの動画は消すわ」
光之介にとって、クールな完璧イケメンというイメージを保つことは何よりも優先されるべき事柄であった。
自身のイメージ失墜を阻止出来るのであれば、部活の1つや2つどうということはない。
よくよく考えれば、入部したからといって活動に打ち込む必要もないはずだ。名前だけ入れておくだけでも構わないだろう。自ら進んで活動に参加しなければ良い。
ふぅ、と息を吐いて、光之介は覚悟を決めた。
「分かった。これからよろしく頼むぜ、お二人さん」
フッと軽く笑みを作って、入部する旨を伝える。
この程度で取り乱すのは自分らしくないし、不貞腐れた自分を見られるのも癪だった。まだまだ余裕はあるぞ、という牽制の意味を込めての返事だ。
それに対し、真夜は満面の笑みを浮かべていた。先ほどまでの邪悪な笑みとは違う、年頃の少女らしい爽やかな笑顔だ。
あの禍々しい表情は幻覚だったのか、と思えるほどの様変わりである。もしかしたら、本当に目の錯覚だったのかもしれない。
しかし、1年生それも華奢な女子だと思って油断していたが、真夜は恐ろしい女子だった。ここまで自分を手玉にとった女子などいないだろう、と光之介は心の中で渋面を作る。
チラと真夜の顔を見ると、目が合った。視線がかち合った瞬間、真夜はニヤリと口元を歪ませて、再び邪気に満ちた笑みを浮かべた。
やはり、目の錯覚などではなかった。
空間を歪ませる特異能力でも持っているのか、コイツは。
可憐な美少女という面影を全く残さない変貌ぶりには、光之介も驚愕させられる。
「出来たよ! ビラが完成したよー!」
突然、傍で大声を出されて、光之介はビクリと体を震わせた。
桃花の声だ。すっかり桃花のことを忘れてしまっていたが、光之介と真夜が静かな戦いを繰り広げているうちに、中途半端になっていたビラを完成させたようだ。
しかし、人が真剣な空気を作っている時に、大声を出さないで欲しい。
思わず驚いてしまったことを真夜に悟られていないか、不安になってしまう。これ以上、弱みを握られるわけにはいかないのだ。
そんな心配をする光之介をよそに、真夜は桃花が完成させたビラを誉めそやしていた。
「すごいわね! 桃花の描いた楠村先生とっても素敵よ」
「えへへ! 吉良さんのネコ吉もそっくりで力作だし、すごくいいビラになったよね!」
「そうね。やっぱり大勢で作ると楽しいわね」
「ねー!」
2人の会話を聞いていると、今までの苛立ちが少しだけ影を潜めた。
食えない奴らだと思っていたが、案外普通の女子高生のようなところもあるらしい。
光之介が描いたネコ吉を桃花がとても気に入ってくれているのも、なんとなく嬉しかった。描いた当初褒めてくれたのは、偽らざる気持ちだったようだ。
真夜が褒めた楠村がモデルの絵は、相変わらず理解不能な図表のようなものであったが、描いた本人はとても良い出来だと満足している。
心なしか、普段の調子が戻ってきた気がする。光之介は口の端を上げて、クールな笑みを湛えた。
「これなら、たくさんビラが貼ってある掲示板の中でも目立つだろうな」
「そうだ! 掲示板に貼りにいかないといけないんだった!」
光之介の言葉に、すっかり忘れていたとばかりに桃花が叫んだ。
ビラを貼り出すことのできる掲示板は、学校側から場所が指定されている。
そして、掲示板に貼り紙をする際は学校側から許可を受けるために、掲示板の担当となっている教師から許可印を貰わなくてはならないのだ。
桃花が最初に作ったビラはすでに許可を得ていたが、その許可印を新しい方に使い回すことは出来ない。再び許可を申請しに行く必要がある。
しかし、陽もずいぶんと暮れてきている。帰りが遅くなると女子2人の親も心配するだろうということで、明日行くこととなった。光之介も疲れていたので、早く帰りたかった。
取りあえずは申請の仕方を知っている桃花と真夜が、明日の休み時間中に許可を受けに行く。
そして放課後、1年生と2年生の校舎を繋ぐ渡り廊下で待ち合わせをして、3人で掲示板に向かう。
机の上を片付けながら、そんな約束が決められたのだった。
「バイバーイ、また明日ね!」
「それじゃ、また」
手をぶんぶんと振る桃花と、軽く会釈をする真夜。そんな2人に別れを告げて、光之介は1年D組を後にした。
夕陽が落ちかけて、薄暗くなり始めた廊下を、光之介は足早に歩く。
今日は無駄に疲れた気がするので、どこにも寄らずこのまま帰るつもりだ。
大股で進むと、下駄箱が見えてきた。この下駄箱の横に、学校生活に纏わる様々な知らせや案内を貼り出す掲示板が設置されているのだ。
この時期は部活や同好会の勧誘で、板の大部分が埋まっている。
優秀な新入部員を確保するために、毎年多くの部活がしのぎを削っていた。その前哨戦とも言える戦いが、この掲示板で繰り広げられているのだ。
明日3人でここを訪れた時には、今以上にスペースがなくなっているかもしれない。
「……3人?」
光之介は、はたと足を止めた。
3人でビラを貼りに来る必要はあるのだろうか。そんな疑問が浮かんだ。
さらに言えば、光之介がいる必要はないのではないか。
あの場では何の疑問も抱かず聞き流してしまったが、よくよく考えれば桃花と真夜の2人でも事足りるはずだ。
入部はしたが、極力関わらないようにしよう。そう決意した矢先に、またもや巻き込まれる形になってしまった。
だが、気付かなかったのは自分の落ち度だ。それほど、あの時は精神的に疲弊していたのだろう。
「ふざけんなあぁぁ!!」
そう叫ぶことが出来たら、どれだけスッキリできるか。
しかし、誰が見ているかも分からない場所で、そんな醜態を晒すわけにはいかない。そうは言っても、心の中だけで苛立ちを抱え込むばかりでは、フラストレーションが溜まる一方だ。
光之介はふと気付いた。自分らしい悪態のつき方で文句を言えば良い、ということに。
いつ何時であろうと、吉良光之介という男は余裕を見せなくてはならない。常に冷静さを忘れてはならない。どこであろうと、クールにキメなくてはならない。
それが光之介のモットーだった。
「上等じゃねぇか。このオレをコケにしたこと、後悔させてやるぜ」
熟慮せず、迸る苛立ちをクールの一言で無理やり包み込んで出てきた言葉は、勘違いした悪役のような台詞だった。
これはこれで少し恥ずかしいかもしれない。
ちょっとやり過ぎたかもしれねぇな、と光之介は頬を赤らめながら下駄箱の扉を開けた。
その時、廊下の方から突き刺さるような視線を感じた。ハッとして振り向くと、そこには見覚えのある顔があった。
「…………」
桃花と真夜がこちらを見ている。
いつから見ていたのか。いや、見られただけでなく、先ほどの恥ずかしい台詞も聞かれていたかもしれない。
光之介は絶叫した。もちろん、心の中で。
真夜は可哀想なものを見るかのような、生温い目をこちらに向けている。これは恐らく聞かれたに違いない。
光之介は軽く微笑んで、2人から視線を外す。そして、流れるような素早い動きで靴を履き替え、そのまま全力疾走で校舎を後にしたのだった。
吉良光之介は若干中二病を患っている。