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2. テープの魔術師、愛に敗北す

 3人が2年G組に入った途端、和気藹々とした昼休憩中という教室の空気が一変した。

 食べかけのエビフライを口からポトリと落とす者、箸を宙に浮かせたまま目を見開く者、食べようとしていたシュークリームを思わず握り潰す者。

 それほどまでに衝撃的だったのだ。光之介が女子生徒と手を繋いで教室に入ってきたことが。


 「いやああぁぁぁああ! 帝王さまあぁぁあぁ!」


 クラスメイトの女子が絶叫する。心の底から発される悲痛な叫びだ。

 光之介は少々たじろいだ。この状況はあまりよろしくない。クラスの女子への影響が大きすぎる。桃花と自分の間には何もないことを、はっきりと示さなくてはならない。特定の女子と親しくなるつもりはないということを、言葉ではなく行動で明かさねばならない。


 人気者であるためには、それ相応の代償を払う必要がある。

 ナンバーワンは誰か一人のオンリーワンになってはならないのだ。特定の女子と親しくなったり、あまつさえ付き合ったりすることになれば、校内一を誇る人気は翳りを見せることになるだろう。

 それだけは、なんとしても避けねばならないことだった。


 女子たちが阿鼻叫喚の混乱に陥っている中、光之介は素早く目的の物を探した。ハンターのような目で教室の中を見回すと、ロッカーの上に鎮座しているブツを見つけた。

 目的のブツ――セロテープが置かれているのは、教室の後方に位置するロッカーの上だ。


「よぉーし、ここにセロテープがあったぜ! 今から直してやっからな!」


 わざとらしく大きな声で言う。セロテープに用があって、ここまでやってきたのだということを思い切りアピールしたのだ。

 光之介の言葉に、狂乱の渦中にあった女子たちは一瞬鎮まりかけた。絶叫は聞こえないものの、落ち着きなくざわついている。光之介の言葉と行動に、みな注意を向けているようだ。


 ロッカーの前で桃花の手を離す。

 女子たちは2人が手を繋いでいることに、怒涛のごとき反応を示した。手を離せば、騒乱は先ほどよりも和らぐのではないかと考えたのだ。

 そして何よりも、手を繋いでいては修復作業ができない。でろーんと鼻水のついた手をハンカチで素早く拭き取り、光之介は紙片をロッカー上に並べた。


 直し方は至って簡単。パズルと同じ要領だ。バラバラになったパーツの絵柄と破れ目を確認しながら繋ぎ合わせていく。

 いつの間にか女子生徒も泣き止んでおり、興味深そうに光之介の所作を覗き込んでいた。

 セロテープを何度もペタペタと貼り続けること数分、意味を成さない紙片は部員募集を呼びかけるビラへと復活した。


 完璧だ、オレはテープの、魔術師か。

 修復の終わったビラを見て、光之介は自らを褒め称えた。もちろん、心の中で。

 文句なしの出来だった。ビラの絵柄に被らないように、セロテープは裏に貼り付けている。表を見れば、修復不可能なほど破れてしまった部分を除き、繋ぎ目はほとんど分からない。

 あの吉良光之介がここまで全力を出して、満足しない人間などいないはず。光之介はそう確信していた。


「どうだ? これなら大丈夫だろ?」

「…………ダメ」


 だが、この桃花という少女は普通ではなかった。


 先ほどとは打って変わって不機嫌な表情で、光之介を睨んでいる。

 頬をぷくっと膨らませ、大きな目を尖らせる様はまるで威嚇するリスのようだ。初めて見た時から何かに似ていると思っていたが、その何かがようやく分かった。コマゴマとした仕草をする小動物だ。


 その小動物の言葉は、得意げな笑みを浮かべた光之介を一瞬にして凍りつかせた。一体、どういうことだ。


「ダメなの! あたしの楠村くすむら先生の顔が切れちゃってるもん!」


 桃花の口から発される言葉の意味が理解出来ない。

 楠村先生とは、西尾ノ宮学園高等部で数学を教えている壮年の男性教師・楠村くすむら智宏ともひろのことだろう。

 その人物の名の前につく、『あたしの』という修飾語は何なのか。

 そして、このビラのどこに楠村の顔が描かれているのか。光之介の脳裏に疑問符が舞う。


 セロテープで繋いでいる時にビラの内容をチラリと見たが、楠村らしき絵は見当たらなかった。

 ビラを彩るのは、カラフルに塗られた文字と歪んだ花の絵、そして謎の円形群。もしかしたら、光之介が気付かなかっただけかもしれない。

 手にしたビラに視線を落とす。『家庭科研究部 部員募集中!』と大きく書かれた文字の下に、曲線だけで構成された図形が載っていた。

 人間なのか、動物なのか、はたまた無機物なのか、全く判別出来ない。しかし、ちょうど紙の大きな破れ目に渡って描かれているので、これが恐らく桃花の言う楠村なのだろう。


 この絵が数学教師の楠村だと分かるのは、描いた本人だけである。

 いや、楠村だと言い張る絵の出来を評価している場合ではない。その絵が切れていることが気に入らないと、桃花は言っているのだ。

 それこそ、光之介の手ではどうしようもない問題である。


 気付けば、クラスの女子の恐慌状態は沈静化していた。

 「あたしの楠村先生」発言によって、光之介と桃花の間には何もないと理解されたようだ。他の女子の問題は片付いたが、一番の難題は片付いていない。これ以上、直しようのないことを説得するしかないだろう。

 光之介は困ったように眉尻を下げて、桃花に語りかけた。


「切れてるからって、このまま使えないわけじゃないだろ?」

「真っ二つになった楠村先生の顔なんて掲示板に貼れないわ!」

「悪ぃけど、これ以上どうしようもできねぇよ」

「元に戻してくれなきゃ許さないんだから!」

「落ち着いて、桃花。1つ良い方法があるわ」


 押し問答になりかけていた光之介と桃花を、黒髪の美少女が止めに入ってきた。

 先ほどから傍観に徹していた彼女は、人差し指を顔の前で立てて桃花に案を告げる。


「今から作り直すのよ。吉良さんに手伝ってもらって」


 にっこりと微笑みながら言う友人の提案に、光之介は盛大に異を唱えた。もちろん、心の中で。

 自分のうっかりミスで起きた事故とはいえ、直せるところは丁寧に直したのだから、これ以上の手伝いなど御免被りたい。面倒なことに巻き込まないで欲しい。それが光之介の本音だった。


 しかし、ここで断ったら狭量な人間だと思われるかもしれない。

 クールが信条の完璧イケメンとしては、こんなことで心の狭い男だと言われるわけにはいかなかった。何でも受け入れる心の広い日本男児然としたイメージは大切だ。

 イケメンではあるが、細身なせいで漢らしさがあまり感じられない。周囲にそう思われていることが、光之介の悩みでもあった。


 もう少し背が高ければ。そう思って、何度悔し涙を流したことか。主に、心の中で。

 背が伸びると言われて、嫌いな牛乳を我慢して飲み続けた。混ぜて溶かすだけで味を変えられる魔法の粉(マジカル・パウダー)がなければ乗り越えられなかっただろう。

 また、ぶらさがり健康器を買ったこともあった。それは今、ハンガーラックとして大活躍中だ。


 この学校には180cmを超える同級生も多くいる。奴らとオレの違いは一体何なのだ。生まれ持った業という奴か。そう何度も自問自答した。

 天から十物、二十物与えられた男でも如何ともし難いことがある。最近は諦念の境地に至り、そこまで背が高くなくても男気溢れる自分を見せられれば良いだろうと思うようになった。


 だから、こういう場合は『いいぜ、それぐらいならやってやるさ』と軽く答えて、度量の広さを見せつけなければならないのだ。


「いいぜ、それぐらいならやってやるさ」

「ええー!」


 普通の女子が見たら色めきたつほどの爽やかな笑みを浮かべて、光之介は返事をする。さりげなく右手を上げながら。

 実際、様子を眺めていた教室内の女子の間から黄色い悲鳴が上がった。

 それと同時に、桃花から納得できないというブーイングの声も上がった。


 これまでの言動から、彼女が楠村に恋心を抱いているということは分かったが、あの数学教師に女子生徒をここまで虜にする魅力があるとは思えなかった。

 中肉中背で、見た目も至って普通。いつもぼんやりとしていて昼行灯と評される、うだつの上がらない30代後半の独身男性だ。

 教師として人気がないわけではないが、桃花のような勢いで慕っている女子生徒など皆無だろう。一体、楠村の何が彼女をここまで惹きつけるのか。光之介には理解出来なかった。


 桃花は不満げな声を上げて、頬を大きく膨らませている。

 そんな彼女の耳元に、黒髪の友人はサッと顔を近付けた。そして2、3言呟くと、途端に桃花の顔がパッと明るくなった。


「そっかぁ! 真夜まやちゃんがそう言うならいいかも! 吉良さん、お手伝いよろしくね!」


 一変した桃花の態度に、光之介は思わず眉を顰めた。真夜という少女の内緒話が関係していることは、明々白々である。

 真夜は桃花に対して何と言ったのか。その内容は気になるが、桃花が納得してくれたので現状の問題は解決した。

 光之介はホッと安堵の溜息を吐いた。もちろん、心の中で。


 ビラの作り直しは、放課後に1年D組の教室で行うこととなった。

 彼女たちは今年入学したばかりの1年生だったのだ。道理で見覚えのない顔だ。同じ2年生ならば、ある程度は分かる。

 幼さの残る小動物のような桃花と、正統派清純系美少女たる真夜。

 彼女たちが部員を募集しようとしている『家庭科研究部』とは、どのような部活なのだろうか。この学校にそんな名前の部活はなかったはずだ。新しく立ち上げようとしているのかもしれない。


 昼休憩の終わりを告げるチャイムを聞きながら、光之介はぼんやりとそんなことを考えていた。 昼休憩の終わりを告げるチャイムを聞きながら、光之介はぼんやりとそんなことを考えていた。

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