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笑顔を引き締めて

どうやら私は久々に深い眠りを満喫してていたらしい。まだ陽の出る前の朝方に目が覚めて見渡したら、1人私に背を向けて立つセオの周りに魔物のご遺体が数体転がっておりました。

何故気付かなかった自分。


「やっと起きたの?」

「……………………」


振り返る彼からは血の匂いがする。結構な返り血を浴びたのではないだろうか。

マジかい。血って落ちにくいんだよ。どっかで服を濯がなくては。

割と魔物の遺体は見慣れてはいるが、間近で倒れているとなるとやはり良い気はしない。浅く眉間に皺が寄るのを自覚しつつセオの様子を確認。うん、普段通りの動きをしているから大きな傷は無さそうだ。

そういえばと振り向けば、テオラは変わらず私の横に膝をついている。てっきり魔物に吃驚して何処か行ったのかと思ったのに。


「あ、おはよ」

「……はよ。驚いてないの?」

「自分の鈍感さとテオラの度胸と君の強さに驚いてる」

「………そう」

「それより重症ではなさそうだけど怪我は?」

「騒ぐ程度のものは無いよ」

「つまり有るんだな?見せて」

「………」


セオは顔に付いた血を拭いながら此方に向かって歩いて来る。私も下半身を麻袋から抜け出して彼に歩み寄った。空は明るくなり掛けているが、まだ太陽は出ていないのでセオの差し出してくれた右手の怪我がよく見えない。というか、付着している血液が彼のモノなのか魔物のモノなのかもよく分からない。


「そういえば、武器買ってなかったの?君が必要に思ったものは全部買えって言ったのに」

「剣買ったけど安物だったから折れた」

「そう…。次は良いの買いな。剣が得意なの?」

「…銃」


あ、成る程。

この世界での銃は私の世界の物と造りが違う。弾丸を込めてトリガーを引くだけでは扱えないのだ。そこに自身の魔力を込めなければ発射出来ない。しかも精密な魔力コントロールが出来なければ暴発するという、素人が下手に手を出せば死ぬか一生物の傷が残ってしまう程の難易度だ。つまり魔力操作の優れた者しか扱えない代物の為、取り扱ってる武器屋は少ない。あったとしても馬鹿高い。需要と供給。生産が数が少なければ少ない程物の価値は跳ね上がる。昨日の街には恐らく物が無かったのだろう。有ったとしたら王都だ。何せ地図を見れば王都の半分程の大きさの街だと記憶している。


「…失敗した。王都で見繕えば良かった」

「正解じゃない?」

「どこが?不得手な武器より得意な方が良いじゃん」

「あんな逃げた場所から近い所なら目撃者は少ない方が良いんでしょ?サシャフィールなら大きい港街だし、其処で揃うよ。…その前に銃って高いよ?」

「安全を買うなら安い。…寧ろサシャフィールまで買えないって本当に出回ってないんだね…。」


落ちそうになる気分を息を吐く事で切り替える。さっきより明るくなったから傷口が見えてきた。引っ掻き傷が右手の甲から手首に掛けて浅く切れて血が滲んでいる。傷口に右手を翳して掌に集中すると、淡い緑色の光がセオの傷口を包むように発光し、徐々にそれは薄く小さくなっていく。

消えた傷口をマジマジと不思議そうに眺めるセオが、やはり幼く見えて可愛く感じる。


「…本当に聖女様なんだね」

「もう違うから」


そうなのだ。在り来たりだけれども、この世界で怪我や病気の回復を施せるのは聖女だけ。魔法の存在する世界なのに不思議だが、事実その通りな訳で。しかし私は聖女扱いされるのが嫌いだ。仕方ないとは頭で理解しているが、皆聖女フィルターを通して私自身を見てくれなくなるのがどうしても苦痛だ。大概がそう。例外も勿論あるけれど、それこそ本当に一握りの人だけ。だからセオの対応がとても有り難い。正直、結構な頻度聖女で在った事を忘れていられる。それが本来の私なのに。


「他に怪我は?」

「無いよ。有り難う」


そう言ってセオは傷のあった所を今度は何度も不思議そうに撫でている。

『有り難う』。そう、私にはこの一言が嬉しくて、それだけで十分なのだ。怪我を治しただけで何度も何度も拝まれたり、お礼だと高価な物を献上される。そんな事してほしくてやっていた訳ではないのに。聖女としてその力を行使すればする程、歯痒い思いが募り、私の胸の内側は何かがどんどん剥がれていった。剥がれていくにつれて気持ちが萎んでいった。心が死ぬってこういう事かと他人事のように何度も感じた。私には、聖女なんて無理なのだ。私が私でいられなくなってしまうから。


「…どう、いたしまして」

「………」


有り難うと言いたいのは私の方。私はやっぱり聖女なんて大層な器の持ち主にはなれない。だから、たった一言をくれた事がとても有り難い。以前まで当たり前だった私の扱いが激変して戸惑った。人の上に立つ事も人に傅かれる事も、そんな風になりたいと思った事など一度だってない。恐ろしかったのだ。今までの私では有り得ない事だらけで、私の言動1つでとても大きな影響を受ける人達がいるなんて。


「君はそのままでいてよ」

「…俺は元からこうだよ」

「そうだね…」


本当に、有り難い。こんな風に想っている事を本人に伝えるつもりはないが、私は確かに彼に救われている。


「さて、折角早起きしたしもう出発…」


太陽が山間から顔を覗かせて辺りに暖かな光が差す時間。薄暗くよく見えていなかった為に気付かなかった足下の光景が、実は言葉を失う程に驚くものだと知った私は顔から血の気が引くのをひしひしと感じた。


「………ねぇ、」

「?」

「……この転がってる魔物の死体って…ブラッドベア…?」

「そうだけど」

「…君1人で?」

「他に誰が居るの?」

「………………」


ですよね。

成獣したブラッドベアの亡骸が4体転がっており、わたしの頭は思考する事を停止した。ブラッドベアとは名前の通り熊の魔物だ。紅い眼に黒い毛色。体躯は2メートル程と中々大柄な魔物だ。そして湧いてくる疑問。


「…君、何で奴隷になんてなっちゃったの?」

「…………人相手だと拳だけじゃどうにもならない事ってあるから」

「……………」


そっか。騙されたか裏切られたか何かあったんだね。うん、皆まで聞かない。人生生きてりゃ色々ある。私なんて異世界来ちゃったし。


「取り敢えず、折角貴重な魔物だし使えそうなパーツバラそう。牙とか爪とか皮売れるし、肉も干し肉にすれば保存きくから。ついでに朝ごはんお肉にしよう‼︎」


会話のやり取りで徐々に頭が冷え、正常に機能し出せば段々テンションが上がってきた。ブラッドベア自体はそんなに希少種ではないけれど、中々凶暴な上に結構強いので狩るのが困難な魔物だ。その為ブラッドベアは良い値では売れる。しかも4体‼︎


「本当に強いんだね…。ごめん実は少し疑ってた!」

「…見た目こんなんだしね」


私の失礼な言葉もそんなに気にならないらしい、肩を竦めただけで流された。そのままセオは私に背を向けると足元のブラッドベア解体に取り掛かり、やはり手際良く鮮やかにこなしていく。その隣で彼の手捌きをお手本にしながら並んで解体作業。実にシュールだ。2人とも両手を血みどろにしながら黙々と手を動かし、4体解体し終わると結構な時間が経過していたようで。作業が無事終わり、2人して大きく息を吐いたと同時に鳴る腹の虫。


「……………」

「……………」


自然と顔を見合わせ、同時に吹き出してしまったが仕方ない。だって可笑しかったから。同時に腹を鳴らすって、どんだけ気が合うんだよ。2人してケラケラ笑い、セオに関してはお腹を抱えて笑っている。久々に涙が出る程笑った。


「はあ…笑った。それじゃご飯にしようか。セオは早朝から魔物相手にしてるし、かなり腹減ってるんじゃない?」

「!…覚えてたの?」

「へ…、何を?」

「俺の名前」

「???…いや、自己紹介したじゃん」

「今初めて呼ばれた」


そうだったか?心の中では何回も呼んでるから分からない。


「…ん?て事はテオラの名前決まった時に微妙な顔したのって、それが原因?」

「はあっ⁉︎そんな顔してないよっ‼︎」


いや、してたよ。何だ無意識か。


「そっかそっか!テオラのが先に名前呼ばれて拗ねてたのか。ごめんごめん、これからはちゃんと名前呼ぶよ」

「っ‼︎だからっ!違うってばっ‼︎」


そんな顔を真っ赤にしながら言われても、まるで説得力がないって分からないのだろうか?

何だ、何だか色々と達観してるように見えたけど、ちゃんと歳相応な可愛いところがあるじゃないか。

クスクス笑っていると、ムスッとしている顔が更に険しくなる。

いやいや、逆効果だからその顔。本当に分かりやすい顔だ。そんなところも可愛いと思ってしまう私も相当彼にやられている訳だが。


「ごめんて。機嫌直してご飯にしよう。今日はセオのお陰で豪華だよ。有り難う!」

「…その顔早くどうにかして」

「努力してるから見逃して」


両手血だらけの為、手で顔の筋肉を調整出来ないものだから中々表情を引き締められない。そんな私をジト目でセオは睨むけど、それさえも楽しいのだから余計に顔がニヤついてしまう。

遠目に私達を眺めるテオラは、ブルブル鼻を鳴らして朝ごはんの催促。

さて、今日も頑張ろう。その前にこの手を洗わないと何も出来ん。まずは手を洗って、それからご飯にしよう。

今日のご飯はきっと美味しい。そんな確信を持ちながら。

言葉選びに時間掛かってしまった…。持ってる言葉のレパートリーを増やすよう頑張ります。

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