命名と挨拶
「……お尻が痛い…」
馬に乗った事は幾度となくある筈なのに…何故こんなに臀部にダメージがきたのか。ふと道中の様子を思い出す。結構駆けていた。聖女という立場での旅路と、今回の逃亡中という旅路。うん、かなり違う。以前は旅慣れない聖女に周りの人間がとても気を遣っていたのだと改めて気付かされた。まさかあんなに長い時間馬をすっ飛ばし続けての移動なんて、今までなかった経験だ。セオが手綱を持ってくれてるのであまり文句は言いたくないが、正直あの速さに慣れていない為落馬しそうで恐い。彼から見たらあまりに危なっかしい様子だったようで、「乗った事ないの?」と聞かれてしまった。いやいやあるさ。あるけれども…このスピードで早々乗るような事がなかっただけで…たまにはあったけれど、それこそ緊急時とか限られた時だけだ。
そんな言い訳くさい事ばかり言ったら、セオは話の最後辺りを右から左にスルーと、いつの間にかシフトチェンジしていた。聞いてきたくせにこの野郎。多少は馬に乗り慣れていたと思っていたのにショックだ。乗り慣れず自身の尻の皮が剥けたあの時よりショックが大きいかもしれない。
しかしこの速さで行くのなら当初の予定より早く目的地に辿り着けるのではと思われる。それだけ王都からどんどん離れていってるのだと思うと少々気分が浮いてしまうが仕方ない。その分無事に逃げ切れる確率が上がるのだから。
結構な速さで駆けていた筈なのに、馬の方は座っていた此方よりもケロリとしている。本当、良い子紹介してもらったんだなと思うと、いつか馬屋の人にお礼言いに行きたい。ずっと先になりそうだが。
「名前…どうしようかなぁ」
「馬?」
「うん。折角だし」
取り敢えず性別を確認。女の子でした。
「うーん…男の子だったらグレイにしようと思ってたのに。どうしよ」
「意味でもあるの?」
「灰色」
「…まんまだね」
「なら案出してよ」
するとセオは顎に手を当てて考え出した。意外にも真剣な顔で馬を観る目。実は動物好きなのだろうか?
「テオラ…とか?」
「はい決定!」
「良いの…?」
「嫌なの?」
彼はその返答に頭を左右に振ったので命名テオラになりました。変なの出したら即却下する気満々だったけど、真剣に考えてくれたし普通にまともな案だったので採用。
「君は今日からテオラだよ!宜しくね」
彼女の顔を挨拶がてらに撫でると掌に擦り寄ってきてくれた。なんて可愛らしい。名前、気に入ってくれたのだと勝手に解釈してご機嫌にセオの方へ振り返ると、何故か彼は半目という微妙な表情。
「…何その顔?」
「…別に」
明らかに「別に」って顔じゃないだろ。
しかし視線を逸らされたので追求しない事にした。話したくない事を無理に聴きだす趣味はない。
「そろそろ行く?」
「…さっきよりゆっくり目でお願いします」
「テオラも疲れちゃうからね」
テオラの心配優先て…。やはり彼は動物好きと私の中で確定した。まだ少し痛むお尻の心配をしつつセオの手を借りてテオラに乗る。視界が一気に高くなり、風が吹き抜けて私の黒髪をさらい、その気持ち良さに頬が緩んでしまう。
感動していたら間を置かずセオも背後に乗り合わせた。私を自分の腕に囲うような形で手綱を握り、ゆっくりとテオラと進みだす。日本にいた時は乗馬が趣味の人って周りにいなかったから共感出来なかったけれど、今なら分かる。これは癖になる程楽しいし心地良い。…臀部の痛みさえなければだが。そこだけが悔やまれる。
「今日は野宿かなぁ」
「…交代?」
「勿論。今日は君から寝てよ」
「………」
「返事」
「…分かった」
不本意、といった様子が後ろにある顔を見ずともありありと汲み取れる。本当に、なんとも分かりやすい人だ。
「何かあったら起こすからちゃんと起きてよ?」
「…うん」
パチパチと火が燃える。目の前にある焚火を見つめてボーッとしている姿勢はお約束の体育座り。火を挟んで向かい側には麻袋を掛け布団にして眠るセオ。その隣にはテオラが寄り添うように目を閉じている。
今この場にスマホがあれば間違いなく私は激写していたであろう、それ位に絵になる光景だ。馬と美青年。そんな題名が脳裏を掠めては霧散する。正直に言おう。眠いのだ。一昨日の失敗は繰り返すまいと意気込んで先に彼を寝かせたが、船を度々漕いでしまい焦っている。思考回路は見張りの為にクリアなままでいたいのだが、睡眠欲はこちらの意思に反して物凄い勢いで奇襲を仕掛けてきやがる。負けてたまるか。此処で眠ってはセオをちゃんと休ませてやれなくなってしまう。あまり自覚がないとはいえ、主人の意地を通さねば。
眠気に負けそうになりながら頭を振っては船を漕ぎ…の繰り返しを何度もしている。それでも寝こけてしまわない自分を褒めてやりたいが、一昨日の彼はしっかり一晩起きていてくれた。今度は私が!と思っていても身体は正直で。手の甲を抓ってみたり目の窪みを押してみたりと色々試しては、本気の眠気の前ではあまり意味がないのだと要らない知識が増えていく。
「交代」
「…あれ、起こした?」
いつの間にか上半身を起こして此方を見ているセオ。完全に睡魔に苦悩している姿を見られてバツが悪い。無意識に斜め下に逸らした視界の中に彼の足が入り、そのまま私の隣に腰お下ろすと麻袋を差し出してきた。
「もう十分休ませてもらったから交代」
「本当に十分?」
「そっちこそ馬乗り慣れてないんだから疲れてるでしょう?明日も走らせるのに眠くて落馬とかしない自信ある?」
馬に乗り慣れてないという指摘に反論したいが、事実、下半身の痛みを今だに感じているので喉が詰まった。
この旅路中に乗りこなしてやろうと新たな目標を胸に掲げ、差し出された麻袋をそろりと受け取り、のろのろと麻袋を引き摺りながらテオラの隣に移動して寝袋に潜り込んだ。今迄閉じていたテオラの瞳が私を捉え、確認するとまた閉じてしまった。可愛い。横になって目を瞑る前に彼の様子を伺うと、ずっと此方を見ていたらしく目が合ってしまい、何か話さなければと気まずい空気が出来上がるのを阻止する為に頭を巡らす。
「…お休み」
言った後に後悔。もっと気の利いた言葉を考えられないのかこのポンコツ頭は⁉︎眠気がピークのせいか頭が働かない。無意識に顔に苦味が出てしまい、恐る恐るセオを見ると何故か釣り目が少しだけ大きく開いている。何か変な事でも言っただろうか?
「………お休み…」
私から視線を逸らしながらポツリと返してくれた言葉。いつもより顔が赤く見えるのは炎の所為だろうか?これは良い夢が見れそうだ。ふっと口元が緩んでしまうのは仕方ない。そういえば、このやり取りをするのは初めてかもしれない。3日目になって夜の挨拶をまともにしていなかった事実に少し凹みはするものの、随分と気持ちに余裕が戻ってきてくれたのだと実感。
カラン、と火に枝を焚べる音を最後に、私は穏やかな気持ちで瞼を閉じた。
次に意識が戻った時、私は信じられない光景を目にする事になる。
どんどん執筆が遅くなっていく…時間て売ってないかなぁ…。
※閑話表示外しました。振り返って読んでみると当時思っていたより本編だなと後から気付きました…。