初笑顔
もう間もなく日が沈む頃に、漸く街の全貌が見えてきた。朱色から藍色にグラデーションの掛かる空を背に、対照的な街明かりが其処に人が住んでいる事を教えてくれる。
正直、途中休憩挟みながらとはいっても昨日から歩き続けている為、疲労が蓄積されている。今すぐベッドにダイブしたい所だが、いかんせん逃亡中の身の上。疲れているからといって油断していたらすぐ見つかってしまうだろう。今の所平和(?)な旅路を送れているが、いつまでこんな風に出来るかも分からない。取り敢えず、街に入る前に打ち合わせと称してセオを呼び付け鞄から例の麻袋を取り出した。
「此処で寝るの?」
「違う違う。街の近くまで来たらこの中に私入るから運んで欲しいんだ。で、宿でもそのまま1人分で宿泊の手続きしてくれない?安い宿で良いから」
「分かった」
「宜しく」
理由を聞かれると思っていた分、すんなり頷かれて若干拍子抜けしたが、返って助かった。説明するのが面倒な位疲れている。奴隷って皆こんな淡白な感じなのだろうか?
取り敢えずお金の入った袋と、首の奴隷証を隠す為の布を渡しておく。無言で受け取ると、お金は腰に、布は迷いなく首の文様を覆うように巻いた。
やっと街近くまで辿り着くと、遠目からでは分からなかった町の大きさに少しばかり足が竦む。
いかんいかん、呑まれては。前に来た事がある街なのに、逃亡中という後ろめたさが私の視界に映る色を変えてしまう。以前と同じ景色の筈なのに、気持ち一つでこうも違う。
先程の宣言通りに私は麻袋にゴソゴソと潜り込み、他にもカモフラージュに色々荷物を詰め込んで準備完了。セオはそれを無言で肩に担ぎ、道中よりも速い足取りで進みだした。どうやら私の歩みは彼にとってのんびりだったらしい。そんな事実に軽く凹む。寝てないくせに…。小太り商人のお勧め通り、セオは本当に強いのかもしれない。
「…提案した本人が言うのもなんだけど、重くない?」
「さぁ。持てるから問題ないよ」
ごもっともな意見だった。別に「そんな事ない、軽いよ」とか言われたかった訳ではないが、面白味のない解答に若干不貞腐れてしまう。「もう街に入るから黙ってて」と小さな声で注意されたので、大人しくする事にした。歩くたびに振動が全身に伝わり、足がプラプラ揺れる。もう陽が沈んでいるせいか、中の街の様子は静かそうだ。淀みなく歩いていたセオが男の野太い声によって呼び止められる。会話の内容からして検問のようだ。外の様子がとても気になるが、身動き出来ない為、出来る限り息を殺す。
「その袋の中は何だ?随分と大きいな」
ギクリと震えなかった私を誰か褒めてくれ。嫌な汗が首や背中にジワリと滲む。お願いだからこのまま見過ごして…!
「森でかなりデカい狼を狩ったんだ。一応、血抜きはしてあるけどまだ皮剥いだだけだから、見ても気持ち悪いだけだけど、見る?」
「…いやぁ、やめておくよ。しっかしそんな細い身体して強いんだな」
「罠張ってたからね。運が良かった」
軽く会話を交わして2、3質問の後、通って良いぞとお許しが出た。セオは「どうも」と荷物(私)を抱え直して何事もなく街中に入って行く。
もう空も暗い為、寄り道せずに宿屋に行くよう小声で指示を出してやっと到着。部屋に着くと、早速モゾモゾと袋から顔を出し、外の空気を目一杯吸う。
「はぁ…変な汗かいた…」
「水飲む?」
「飲む…。有り難う」
麻袋の中は正直快適とは言い難い環境だった。寝袋にする分には良いけど、中で過ごすのはあまりお勧め出来ない。夏場なら中で脱水症状になるんじゃないかと思われる。
上半身だけ袋から出たまま水をゴクゴク飲み下す。生温い水なのに美味しく感じてしまい、自分でも思っていたより汗をかいていたようだ。
「美味しい…」
「後で宿の人がご飯運んでくれるって」
「そう言えば言ってたね。じゃあ今晩はそれと干し肉ご飯にしようか。朝もご飯出るんだよね?食べたら宿出て食材買って、馬買ってすぐ街出よう」
「目的地は?」
「ご飯食べながらにでも言うよ」
喉が潤い、ふと部屋の中に首をめぐらす。1人部屋の為こじんまりとしていて、窓際にシングルサイズのベッドと小さなテーブルだけのシンプルな部屋だ。もう外は暗い為、窓は無地のカーテンに覆われている。
壁は薄そうなので小声で会話をしていたら、廊下から足跡が近づいて来た。すぐに宿の人が食事を持って来てくれたのだと理解し、私はまた麻袋の中に身を潜め、外の様子を探ろうと耳を澄ます。間もなくコンコンと控えめなノックと共に、受付でも聞いた若い男性の声が「食事をお持ちしました」と入室。食事をテーブルに置くと「ごゆっくりどうぞ」とすぐに退出して行った。
扉が閉まり、足音が遠ざかって行くのを確認して、モゾモゾと袋から脱出。
やっと全身外に出れた。少し硬くなった身体をほぐすように伸びをして、捻ったり曲げたりすると、筋が伸びて気持ち良い。
「さて、ご飯にしようか。今日も歩きっぱなしだからお腹減った」
先程持って来てもらったこの宿のご飯は、パンにスープといった部屋と同様にシンプルな物。安宿の為か量が1人分にしても少ない。干し肉残り取っといて良かった。セオはベッドに座ってもらい、私は椅子に腰掛けてパンを半分にちぎって片方をセオに差し出した。すると案の定彼の眉間に皺が寄る。
「ただでさえ量少ないんだから、ちゃんと渡された分は食べてよ?明日も移動尽くしなんだし」
「…分かった」
パンをスープに浸して食べると、少し味付けの濃いスープにパンがよく合う。これで量さえあればと思うのは流石に贅沢か。2人なのに1人分しか宿代払ってないし、足りない分は干し肉で補充すれば良い。
「目的地は東南にある霧の谷だよ。其処に拠点構えようと思ってるんだ。人もそうそう近寄らないし、どの町村からも距離あるから。それに、最寄りの街がカラドレイルってのが1番の理由なんだけどね」
「…住めるの?」
「さあ?流石に住んでみないと何とも言えないけど、雲隠れするならそういう所が良くない?」
カラドレイルとは知識の都と呼ばれる国だ。その名の通り、あゆる情報の集まる国で、何処よりも多くの書物や学者、研究者が集まる場所となっている。
霧の谷は名前のまま、年中霧に包まれた渓谷。日によっては目の前まで真っ白になって何も見えなくなるという中々に危険な場所で、人どころか生き物全般がその環境の悪さから住処にしないともっぱらの評判。例外的に其処に生息する生き物もいるらしいが、それこそその環境に合った進化を果たした生き物だけだ。以前何処かで読んだか聞いたか、視界が悪い分音や気配に敏感で、何度か学者や探検家が探索したようだが、その姿を目撃した者はただの1人もいないそう。
情報と隠れる場所があるなんて何たる好条件。私は迷わず拠点を其処に決めた。住める、住めないは住んでみてからでも良いだろう。まだ発見されていない危険な生き物が霧の谷に生息していたとしても、その為のセオである。
「…聞いても良い?」
「どうぞ」
「王都に居れば贅沢な生活が出来たでしょう?何で逃げてるの?」
あら直球。
確かに、城に居れば贅沢三昧は約束されていた。彼から見たら、私は訳の分からない、下手したら気狂いな女とも思われているかもしれない。彼だけじゃなく、一緒に魔獣封印の旅に立った元仲間や、王族、身の回りの世話をしてくれていた人も。
それで良い。私の事なんて構わず見離してくれれば良い。目の前の彼以外は。
「約束破ったから」
「どんな?」
「魔獣封印したら元の世界に…日本に還してくれるって言ってたくせに、破ったから」
「………」
「元の世界に還る方法なんてないから、一緒に旅した王子と結婚しろだって。歴代の聖女もそうだったからって」
「………」
「で、キレた」
「…………………………。」
おい、何で胡乱な目で見るんだよ。さっきまで真面目に聴いてたのにどういう事だ。
取り敢えず話を続ける。
「だから自分で還る方法探そうと思って今に至る。以上」
「…俺も還る方法探す手伝いすれば良いの?」
「そこまでは良いよ。私は絶対に裏切らない味方が欲しい。だから君を買ったの」
キョトン、とまた釣り目が幼顔になる。この子はよくこの顔をするな。
私の言葉を頭の中で噛み砕いているらしい、本人の中で納得がいったようで、コクリと一つ頷いてくれた。すると同時にベッドから立ち上がり、恭しく私に礼を取った。昨日の小太り商人よりも不思議と様に見えたのは、やはり見た目の問題だろうか。少しばかり見惚れてしまった。
「仰せのままに、聖女様」
下げた頭からサラリと揺れる淡い青灰色。一瞬何を言われたのか理解できず、今度は私が惚けてしまった。それも一瞬で、すぐ様ハッと我に帰り、少しだけ熱くなった頬を誤魔化すように口を開いた。
「いや、元、だから!」
思いの外随分と早口になってしまい、照れているのがどうやらバレてしまったらしい。目の前の少年の面を上げた時の表情は、口角が上がって釣り目がいつもの半分程に細められている。
…こんな所で初笑顔とか狡過ぎる。熱くなった顔をそのままに、悔しさを隠さずに睨めば、更に相手の口角は上がる。
思ったより良い性格をしているのかもしれない。彼の新しい面を少しだけ知り、案外私と波長が合うかもしれないと思ったが、まだ口に出さずに留めていよう。いつか、笑い話でもしながら話す機会があれば良い。そう思って。
続き書きつつ投稿済みのものも読み返してはちょいちょい修正しております。文章て難しい…。