お初にお目に掛かります・上
パチン、パチンと室内に音を響かせながらナイフの練習。といっても、刃を出したり閉まったりといった単調な作業だが。取り敢えず扱いにもう少し慣れた方が良いとセオにアドバイスを貰い、暇を見つけてはナイフ相手に色々遊んでみる。今の目標は刃を出したままクルクルと片手で回転出来るようになる事だ。と目標を掲げてみるが、その内油断して手をザックリやってしまいそうで恐い。
今日が船旅最終日。今はまだ陽の高い時間で、到着予定は夕方頃の予定だそうだ。やっとこの常に足元が揺れる環境から解放されると思うと時間よ早く進んでくれと切に願う。
今日は波も穏やかで風も良い感じに吹いているそうだ。順調そうで本当に良かった。このまま何事もなく陸地に着いてくれればもう何も文句はない。
パチン、パチン、パチン、パチン…。
段々手が痛くなってきた。慣れるためとはいえ、何度も同じ動作を繰り返せば摩擦で手が赤くなってくる。これはその内タコが出来そうだ。
あんまりやってても皮膚が擦り剥けそうなので一旦休憩。刃を閉まって胸の内ポケットに入れ、コロンとベットに転がって目を瞑る。
多少のトラブルはあれど、今の所旅路は順調と言えば順調だ。逆に恐い程に。
もうこの船を降りれば当分船に乗る事はないだろう。船上から見る海の広さは何処までも広く美しい。今日のような晴れ渡る空なら尚更。景色の見納めに甲板に出るか。
勢いをつけてベットから起き上がり早速部屋を出ると、マッチョな船員さんと丁度鉢合わせた。ニッカリ歯を見せて笑いながら「後少しだけど宜しくな」と言って仕事に戻って行ったので軽く会釈しておいた。何とも憎めない人柄である。
甲板に出ると結構な風の強さに一瞬目を瞑る。スカートがバタバタと靡くが足を取られる程ではない。船尾の方に赴き、後方に流れる波を眺めながらぼーっと過ごす。すると船から少し距離を空けた所にイルカのような生き物が何匹が固まって泳いでいる。まさか地球でもテレビでしか拝めなかった光景を異世界で見られるとは。初めて見るその光景にテンションが上がり、身を乗り出してベストポジションを模索する。
跳ねる水飛沫が太陽光を反射してキラキラ光る。まるで飼育されたイルカのように揃った陣形で泳ぐ姿は見事の一言。甲板に出て良かった。思いもしなかったものが観れたので船旅最終日は良い1日で終えられそうだ。
イルカのような生き物は更にスピードを加速させ、どんどん船に近付いてくる。この船と競争でもしているのだろうと微笑ましく眺め、近付けばもっと良く観察出来そうだ。
「…結構デカいな」
近付いて来てやっとそのイルカもどきの大きさを認識するが、かなり大きい。鯨とまではいかないが、知っているイルカの大きさよりも倍以上はあるだろう。流石異世界。と感心していると、その内の一頭と目が合った。
ゾクリと背中に悪寒が走る。
え、ちょっと待って…これってもしや…?
嫌な考えを否定したいと思いつつも2歩3歩と後退するが、それよりも向こうの泳ぎの方が圧倒的に速かった。目の合った1匹のイルカもどきが物凄い勢いでジャンプした。それこそ、何処かのシーパラダイスのイルカショーバリの素晴らしいジャンプだ。そのジャンプの着地点の目線の先にはまさかの自分。あまりの展開の速さに脳が付いていかず、駈け出すのにワンテンポ遅れた。完全に狙いを定めたイルカもどきは、走る私に向かってイルカには無い大きな逞しいヒレをはためかせ、つぶらなお目目には似合わないギザギザした歯を見せるように大口を開けて降りてくる。
あ、喰われる。
あと数秒もせずに丸呑みコースだと思った瞬間、進行方向から爆音。同時に腕を引っ張り込まれた。
先程の爆音はセオの放った銃声のようだ。銃口から何時ぞやと同じく細い煙が上がってる。後ろを振り向くと、先程まで私がいた船尾の所に口から血を流したイルカもどき。まだ重傷ではないようで、流血しているにも関わらずモガモガ動いてる。未だに私を狙う目付きの色褪せない様子に、背筋の寒さがぶり返す。危なかったと惚けている暇もなく、顔を掴まれグルリと方向転換。眼前には余裕のないセオの顔。
「無事っ⁉︎」
「無事‼︎」
「じゃあ退がって!邪魔‼︎」
言うや否や彼の背後に誘導され、船内への入り口方向へ力任せに押しやられた。よたる足を踏ん張り、中に入る前に振り向く。マッチョな船員さん達も異変に気付いて駆け付け、いつの間にか船上に上がり込んだ数匹のイルカもどきに応戦を開始している。昨日までその手にはモップやら縄やらが握られていたのに、今では各々の得意とする武器が。イルカもどきは海に潜ってる割にヒレが発達しており、人間でいう腕の役割を果たしているようだ。ヒレを駆使し、大きな胴体と尾を遠心力に乗せて攻撃してくる。身体がデカイのであれ食らったら海に落とされるか障害物に叩きつけられて戦闘不能になるかのどっちかだ。何コイツやたら強いんだけど⁉︎
此処で立ち止まってもセオの言う通り邪魔になるだけだ。歯噛みしながら憤る胸中を何とか押しやり、セオの背中に向かって叫ぶ。
「絶対勝て‼︎」
「当たり前‼︎」
一暼もなく間髪入れずに返ってきた言葉に安堵して船内に逃げ込む。中に入ったからといって安心は出来ない。何か無いかと辺りを見回す。甲板で食い止めてくれているとはいえ、もし此方にまで侵入を許してしまった場合、流石にあの巨体にナイフ1本だけで応戦なんぞ私には無理だ。瞬殺されて終わる。せめてもう少しリーチのある物でないと。ガタガタと乱暴に捜すが見つからない。苛立ちを募らせていると、背後からコーエン少年の声。
「お姉さん!良かった無事なんだな!」
「コーエン君も怪我ない?他の船員さん達は…」
「僕は平気!皆甲板でバルガダと戦ってる。悔しいけど…僕が出ても邪魔になっちまうからさ」
本気で悔しいんだろう、彼の拳が硬く握り締められている。それでも片手にセットされているボーガンが握られているのを見ると、もしもの時には彼も応戦する覚悟のようだ。
確かに彼の小柄な体格では、あの巨体相手に相当な不利に違いない。それこそ1発でも尾に当たってしまえば一命は取り留めても打撲骨折は必須。私も同じ気持ちだから分かる。何も出来ない事の悔しさを。
というか、あれが噂のバルガダなんだ…。以前の旅では忠告されたがお目に掛かる事がなかったので油断した。まさかのイルカでなくシャチの部類だったとは。完全に見掛けで判断した自分を殴りたい。今はそんな無駄な事をしている余裕はないので後に回すが。兎に角、何か武器になる物を捜さねば。
「コーエン君、もしもの時の為に自己防衛出来る物って無い?この際モップでも何でも良いから」
「大丈夫だって!お姉さんの事は僕がコレで護ってやるよ!」
そう言って持っているボーガンを掲げて見せてくれたが、やはり不安は拭えない。それこそ彼に何かあった場合、私が何も持っていない状態では彼どころか自分1人の身さえ護れない。
そうこうしていても、甲板での交戦音が耳に響く。心臓が嫌な音を立て、変な汗も色々な所から滲み出てくる。折角の船上最終日がとんでもない事になった。今は余計な事を考えずこの状況でも出来る最善の行動をとるべく早くテオラの所に行かねば。恐らく大丈夫だとは思うが、動物の方が人間よりも危機察知能力高い筈だから心配だ。
「テオラの所に行きたいんだけど、コーエン君寄りたい所は?」
「こんな時まで馬かよ⁉︎お姉さんすげぇな…。特にないからサッサと行こうぜ」
「言っとくけどテオラみたいな良い馬そうそう見っかんないんだかんね⁉︎」
「わーかったよ‼︎」
何故だろう…コーエン君の私に対する扱いがどんどん雑になっているのは?セオと同じパターンだ…。何がいけない?テオラ馬鹿になってるからか?しかしそれはセオもだから当て嵌まらない。寧ろ彼の方が上である。納得いかん。取り敢えず今はそんな事考えるよりも先に優先すべき事があるので横に置いておく。後でゆっくり考えよう。
早足に駆けながら進む間も、上から聞こえる喧騒は止まない。寧ろ酷くなっている気がする。時折、衝撃が強いせいか、ミシミシと天井から軋む音がする。発砲音も鳴り響き、その音でセオの生存確認までしてしまう私はどれだけビビっているんだか。
厩に行くには1度甲板に出てから入る道と、船内から階段で上がる2通りの行き方がある。少々回り道になるが迷わず後者を選択し、皆の無事を祈りながら進む。
「コーエン君、聞いて良い?」
「何?」
「こういう事って結構ある?」
「年に数回くらいだな。特に今は繁殖期だから栄養付けるのに人間襲われやすいんだよ」
「何でそんな危険な時期まで船出すの⁉︎」
「物流途絶えんじゃん!魔物恐がって船乗りなんかなれっかよ!それにこの時期の運搬料は額が跳ね上がるんだぜ?」
そりゃそうだろうよ‼︎でなきゃ誰も運ばないだろう‼︎
頭痛くなってきた…。せめて乗船する上での注意事項的な説明ほしかった。もう後の祭だが。
目的地に続く階段を前に、コーエン君が一度私に制止を掛ける。シっと人差し指を口の前に持って合図をくれ、私も静かに頷き、足音を忍ばせて階段をゆっくり上がっていく。
慣れている。コーエン君がいなければ、恐らく私はこの階段を駆け上がっていた。私を護ると言ってくれた言葉が、彼の本気の言葉だったと気付いて猛省。自分が恥ずかしい。小さな背中が、実はとても頼り甲斐のあるものだと気付くと途端に大きく見えてしまう。何と現金な。年齢で彼の本質を見誤った事実に、己の未熟さを突きつけられる。彼も立派な乗組員の1人なのだと、普段の彼の無邪気な言動からはそれを失念してしまった。
階段を上りきると、目的地とは扉を1枚隔てた距離だけだ。コーエン君はそっと扉に耳を近付けて中の様子を探っている。1度此方を振り返り、頷く動作で中に入る合図をくれた。私も小さく頷き返すと、コーエン君はボーガンを構えながらゆっくりと慎重に扉を開け、少しずつ厩の中へ体を滑り込ませていく。
1人だけ中に入って行ってしまい、私も恐る恐る扉に近付いて中を覗き込む。すると三歩程前に進んでいるコーエン君が人差し指と親指で丸を作ってから手招きしてくれたので足音を立てないよう静かに中に入った。
「…テオラ、良かった」
テオラの無事な姿を見確認すると心底安堵して首筋に抱きついた。テオラも外の様子を気にしつつも私に顔を寄せてくれるのでちょっと泣きそうになってしまった。
私、テオラに出逢うまで1番好きな動物は猫だったけど、今は馬1択です。こんなに可愛い生き物知らない。
「お姉さん、今は早く奥行こう。反対側の扉出たらすぐ甲板だから此処危険だって!」
「ごめん。テオラこっちおいで」
柵を外してテオラを誘導すると、大人しく此方に来てくれた。本当に賢い子だ。動物は人の言葉を理解していると聞いた事はあるが、ここまで利口なのはこの世界の馬が皆そうなのか、はたまたテオラが賢過ぎるのか。
反対側の扉からは外の音が響いて震えている。船員さん達の掛け声や、激しい交戦音。
私はこの音を知っている。争いの音を。
何度聞いても好きになれない。何度聞いても慣れてはくれない。この世界からこの音を無くせるのだと思って旅をしていた。誰も傷付かず、誰も争わない世界になるのだと。
しかし実際は魔物の数は減れども争い自体無くならず、魔獣を封印しても奴隷制度は無くならない。
なら私は何の旅をしていたというのだろうか?これでこの世界を救えたと言えるのだろうか?本当は聖女なんていてもいなくても変わらないのではないだろうか?旅の間私は何を見ていた?何を聞いていた?何を…?
「お姉さん⁉︎」
「…ごめん、大丈夫…」
「顔色真っ青だせ⁉︎思いっきり膝打つけてたけど平気かよ?」
思考に囚われて思いっきり転んでしまった。膝がジクジクと熱を持ち始め、痛みを訴えだした。
まずい、今はそれ所ではないのに。頭を切り替えねば。死んでは考える事も出来なくなってしまう。今は安全な所に早く移動しないと。
コーエン君の手を借りて立ち上がり、先程来た道を戻ろうと扉に手を掛けた瞬間、反対の扉が大きな音を立てて破壊され、大きな何かが厩の中へ吹き飛ばされてきた。
「危ない‼︎」
咄嗟の出来事に目を向けるも、覆いかぶさった何かが私の視界を遮断する。開き掛けた扉に半身を打ち付けるのと同時に身体が押し潰され、呼吸が出来なくなった。ガハッと喉から空気の塊が漏れ、ゴホゴホと咳混む。
何?何が起きた?今の音は?私に覆い被さってるものは何?
痛む身体を無視して起き上がる。ずるりと覆い被さっていたものが重力に従って床に転がった。コーエン少年だ。頭から血が流れて顔の半分を鮮血で染めている。意識はない。一瞬で血の気が引いた。
「コーエン君しっかり!」
頭を打っているので下手に動かせない。肩を何度か揺するが、あの元気な声は応えてくれない。
辺りを見回すと木屑や藁が散らばり、甲板に続く扉は跡形もなく破壊されている。
庇ってくれたのか。言葉の通り、飛んできた破片から私を護ってくれたのか。
込み上がるモノをグッと喉までに押し留め、扉をブチ破った存在を警戒する。ソレは木屑と藁に埋もれていた身体を力任せに振り退かし、大きな尾を周囲に打ち付けた。甲板側の壁に尾で払った木屑がブチ当たり、更に壁が破壊されて逆光が目に刺さる。
最悪。扉を破ってきたのはバルガダだった。
交戦の跡が身体中に刻まれ、奴も万全ではなさそうだが戦意は喪失していない。歯を剥き出し、獲物を狩る捕食者の眼をしている。
…どうする。
横目でコーエン君が持っていたボーガンの位置を確認するが、衝撃で飛ばされたのか少し距離がある。コーエン君は動かせない。テオラは幸いな事に大きな怪我は無さそうだが、バルガダを警戒して鼻を鳴らしている。本当に、此方が脱帽するレベルで勇敢な馬だ。
今有る手札は胸元に仕舞ったナイフのみ。これを上手く使って奴の注意を逸らし、ボーガンを取れないだろうか?
コーエン君は宣言通りに私を護ってくれた。だから、今度は私の番だ。
バルガダから眼を逸らさず、私はゆっくりと胸元のナイフに手を伸ばした。
すみません、区切り悪いのですが長くなってしまったので上下にしました。
更新遅くなりまして申し訳ないです。急遽就活する事になってしまいペースが落ちてしまってます。遅くとも続きアップ頑張ります!読んでくださり本当に有り難うございます!