名前の付かない想い
船に乗って7日目の朝。物資補給のために夕方までアナンという島に停船中。
私とセオは嬉々としてテオラを連れて船を降り、連日のテオラの運動不足解消に広い野っ原で思いっ切り駆け回ってもらってます。勿論私はテオラの俊足について行けないので乗馬しているのはセオのみ。また無言のジト目をされたがスルー。我が身を可愛がって何が悪い。スピード狂に合わせてたらこっちの身が持たん。
顔を上げると、まさに洗濯物日和の青々とした空が広がる。白い雲は絵に描いたような綿菓子の形。
平和だなぁ…。
連日の船旅で色々堪えていたから余計にこの静けさが愛おしい。船を降りて暫くは、地面が揺れている感覚が消えなくて参ったもんだ。誰かの台詞で「人は陸から離れては生きていけない」とか何とか言っていたけど、今なら分かる。仰る通りです。地面愛してる。夕方また船に乗るのかと思うと気分が沈む。
いやいや、しっかりせねば!此処で挫けては私の悲願が達成不可能になってしまう!今この時間を精一杯楽しみ、次の苦行を乗り越える為の活力を補充するのだ‼︎
「セオー‼︎テオラー‼︎昼は美味しい物食べよう‼︎」
少し離れた距離を駆けている2人に向かって大声で叫んだら届いたらしい。駆けていた足を止めて手を振ってくれた。
よしよし、あれは了承の意だな。何を食べよう?この島の名産とかあれば是非食べてみたい。何せ初めて訪れる島だ。何見てもきっと楽しい。今この景色だって広くて綺麗で、海が見えるし風も通る。船で色々ダメージを負ったが、それも糧にして進まねば。ファルデンまであと5日。何が起きても良いように、心身共に出来るだけ健康でいよう。
そんな決意を人知れず胸に抱くと、思う存分走り回ったテオラとセオが帰って来た。久々に清々しい顔をしている。君等そんなに運動したかったのか。その顔を見て思う。此処にいる全員船乗りに向かないなと。
海に囲まれた島の為、やはり自分の食事は魚や貝類、海藻がメインのようだ。屋台で調理されている貝を見て思う。醤油欲しい。日本人なら絶対そう思う。しかし哀しいかな、この世界に醤油や味噌は無いのだ。主な調味料は塩、砂糖、オリーブオイル、胡椒等々。
誰も豆から調味料を作ってないそうです。作りたいけど詳しい作り方知らないからなぁ。失敗して終わりそう。そんな勿体無い事したくないし。
セオは貝の串焼き、私は魚の塩焼きを頬張り、テオラは今朝採りたてだと店主が言っていた葉物野菜を食べている。新鮮且つシンプルな味付けがとても美味しい。全員食べる事に夢中になっている為無言。普通「美味しいね」って言い合ったりするのだろうが、正直喋っているより腹を満たしたい欲求の方が上なので私達の食事タイムは基本静かだ。因みに私は3本、セオは5本目である。
やはり男の子なセオが1番に平らげ、次点テオラ。もう行儀悪いが食べながらで良いかと、私は魚を頬張りながら島見物開始。周りを見たら屋台通りの為か、私以外にも食べ歩きしている人が結構いる。そんな気にする事もなかったか。
「流石にまだこっちまで出回ってはいなさそうだね。時間の問題かもしれないけど」
何の事だと周りを見物しながら歩くセオを見上げてみて、ハッと気付く。そういや私、手配されてたっけ。
いかんな。平和ボケの世界で生きてたせいか、船からの開放感ですっ飛んでた。何て危機感の薄い。
この世界には電話やネットがない。だから海を挟んでしまえば一気に情報の拡散が難しくなる。逃亡中の身の上には何とも有利な事この上ない。この調子で行けば、ファルデンに到着しても暫くは自由に動けそうだ。
「この辺りは賑やかだから良いけど裏入ったら治安は一気に下がるから、もし逸れても人気のない所には1人で行かないでよ?」
「はーい」
「貴女も護身用に何か持ったら?使わせないようにはするけど、何あるか分からないし」
「…そう、だね。考えとく」
一応、ナイフは有る。食用ですが。前にブラッドベアを捌きまくったやつ。
やっぱりすぐ取り出せる所に1つくらい忍ばせた方が良いかもしれない、とは思う。それをしないのは、私の覚悟が足りないのと、恐らく土壇場になって上手く扱う自信がないから。取り出した所ですぐ奪われて形勢逆転されて終わりそう。自分の戦闘力が底辺なのは知っている。
「…持ってる方がセオは安心する?」
「…まぁ、無いよりは。それに、ナイフなら人に向ける以外にも使い所は沢山あるし。結構便利だよ」
成る程。そういう心積もりなら気負いなく持てそうだ。
「そっか。やっぱり人の意見て参考になるなぁ。じゃあ1本身に付けとくよ。ありがと」
「?そう。確か刃を仕舞えるやつ持ってるよね?あれなら持ちやすくて良いんじゃない」
「そうする」
何でお礼言われたのか分かってない顔してる。意地悪ではないが、こっちが一方的に感謝してるだけなので理由は言わない。少し上機嫌に最後の一口を頬張って串をゴミ入れに捨てた。
「さて、此処で少し装飾品とか換金しよう。セオは何か欲しいのある?ついでに足りない物とか調達しようと思うんだけど」
「別に困る程不足してる物はないかな?銃も発砲する程の事が無いから弾減らないし」
「着替えとかいらない?」
「今ある分で足りてるよ」
「遠慮じゃなく?」
「…本当、どこまで奴隷に甘い主人なのさ貴女は」
「甘い訳じゃないって。必要な物を調達するのは普通じゃん」
「充分過ぎる程だよ。寧ろこれ以上を望んだら痛い目みそう」
「…逆に君は謙虚過ぎる気がする」
「そう?それじゃお互い様じゃない?」
「…かもね」
取り敢えず必要分だけ換金してもまだ時間は少し余る。停船場辺りにもいろいろあったから少し見てみようと足を向けたら、調達した物資をえんやこらと船内に運んでいる船員さん達の姿。これからファルデンに向かう為の食料やら水やらだと思われる、結構な量を汗掻きながら運んでいる。その中には勿論コーエン少年の姿も見えた。大変そうだなぁ…と思って惚けて見ていたら、此方の視線にコーエン少年が気付いてしまった。笑顔で手を振られ、あれ…これはもしやと思ったがもう遅い。あれよあれよと言う間に手伝う事になりました。…逃げ遅れた。
「いやぁ、お前細っこいのに力あるな!見かけは当てにならないな!ははは!」
「ちょっと、客に手伝わせてるんだから笑ってないで運びなよ。そんなに余裕あるなら手伝う必要なさそうだけど?」
「良いじゃねぇかよ、あと5日は一緒に旅する仲だろ?」
「ちょっと痛いって!背中叩かないでよっ」
随分打ち解けてるなセオさん。ちょっとあのマッチョなお兄さんの社交力の高さ羨ましい。
そんな私は女手という事で軽い物だったり、丁寧に扱わなければいけない物をちまちま運んでる。テオラは一足先に船内に入ってもらった。若干嫌がっていたけど。申し訳ない。
割り当てられた分の荷物を運び終わり、その場で少し小休憩。お客な訳だし、手伝いだってボランティアだから少しくらい良いだろう。そう思って一息ついていると、コーエン少年が通り掛かり、私を見つけると嬉しそうに寄って来てくれた。
懐かれたな。可愛いから嬉しいけど。
彼もある程度荷運びを終わらせているらしく、少し雑談に花が咲く。
「なぁ、お姉さんてトルシャン大陸出身の人?」
「…さぁ?孤児だったから出身はよく分からないんだ」
「…そっか。ごめん」
こっちこそごめん。嘘です。
「髪色が暗いから、前にトルシャン出身の人が乗った事あってそうかと思ったんだ」
「やっぱ大陸である程度体色変わるんだね。ハルダートンは目も髪も明るい色の人が多かったから」
「海渡っただけで人も街も全然違うんだぜ!凄いよな!けどこの船って人も乗せるけど基本は物資の運搬が目的なんだ。だからお客さんが乗ってくれるとつい色々話し聞きたくなってさ」
へへへ、と笑うと彼の八重歯が覗いて見える。何とも可愛らしいチャームポイントだ。そんな笑顔を見せられては自然と頬が綻んでしまう。
しかし彼の話しを聞いて納得。だからこの船は鍵付きの部屋がたったあれだけなのか。
「トルシャンの人はどんな人だった?」
「奴隷商人と奴隷だった」
…これ、聞いて良いやつなの?微笑ましく聴いていた内容が案外ヘビーで吃驚だ。守秘義務とか…この世界にはあるんだろうか?
「何人か奴隷連れててさ、殆ど髪の色暗かったからトルシャンから連れてこられたんだと思うぜ。停船したらまた奴隷増やして乗船して来たんだ。色んな所から安く買い占めてるっぽかったぜ。商人以外皆人形みたいに大人しくてさ、本当 奴隷に生まれなくて良かった」
「…そう」
この世界での奴隷の認識を再確認した瞬間だった。彼に悪気はないだろうし、奴隷商自体この世界では違法ではない。少し懐に余裕があれば買える。奴隷とは、大半の人が人ではなく、持ち主の財産という扱いだと聞いた。きっと連れられていた奴隷は客人としてでなく、物資として運ばれていたのだろう。コーエン君の口調で分かる。
「奴隷の運搬って…結構あるんだ?」
「たまにな!海挟めば安く買えたり高く売れたり出来るって商人が言ってたぜ」
自分で聞いといて何だが、この世界に救う価値があったのだろうか?そんな事を思ってしまうのは傲慢だと知っているけれど。
良い人もいっぱいいるだろう。その反面、そうでない人も。
何が正しくて、何が間違いなのか分からない。私の価値観はこの世界と合わないだけなのかもしれない。事実、私の世界にだって奴隷制度はあった。生まれる前とかの話だが、もしかしたら別の国では今でもあるかもしれない。旅の間、本当に周りの人達は私にお綺麗な世界しか見せないようにしていたんだな。
…ココロが、ヒえる。
「おチビさん、君の兄貴分が呼んでるよ」
「え⁉︎やっべ話に夢中になってた!ごめんお姉さん、またな!」
恐らくあのマッチョな先輩船員さんにパシられたのであろう、セオがひょっこり顔を出してきた。
少年は慌てながらも颯爽と駆けていく。その背中を見送り、横目で隣に腰掛けてくるセオの様子をつい無言で見つめてしまった。
セオも此方に目を合わすと、少し気まずそうな笑みで肩を竦めてる。少し聞かれてたか。
「だから言ったでしょ?俺は僥倖だって。そんな顔しないでよ」
「…どんな顔してる?」
「泣きそうな顔してる。それって同情?」
「……分かんなぃ…」
「買ってくれてありがと」
「………お礼なんか…」
「サクにとってはそうでも、俺にとってはいくら言っても言い足りない」
「……………」
我慢していた雫が耐え切れずにポロポロ両目から零れた。
狡い。普段は〝貴女″って呼ぶくせに、こんな時に限って呼び方変えてくるなんて。
余計にボロボロと水滴が頬を伝っていく。嗚咽まで漏れ出して、正直誰にも見せたくない顔になってしまった。セオに背を向けるようにクルリと身体を方向転換。いかん、鼻まで垂れてきた。
ズビズビ鼻をすすりながら止まらない涙を袖で拭うも、どんどん布地が水分を染み込んでグシャグシャになっていく。何て情けなさだ。
「サク」
呼ぶな。答えられん。
「サク、買ってくれた時、巻き込んで申し訳ないって言ったの覚えてる?」
覚えてない。しかしその思いは今でも常に持っているので言ってそうだとは自分でも思う。ので頷いておいた。
「俺としては巻き込んでくれて良かったから、後ろめたく思わないでほしいんだけど。寧ろこれこらもどんどん巻き込んでよ。サクが俺の事必要としなくなるまでで良いから」
「……何か、馬鹿言ってる」
嗚咽を押さえながら必死で搾り出した声なのに、セオはその台詞に対して小さく吹き出した。
笑い事じゃない。真剣なんだぞこっちは!
その反応が気に食わなくてボロボロの目だと分かっているけど振り返って睨み付けたが、セオは此方の顔を見ると更に吹いた。何がそんなに笑えるのか全く理解出来ん。
「泣き過ぎ」
そう言って自分の袖口で私のみっともない顔をポンポン拭ってくれる。しょうがないな此奴って顔をしながら。振り払う気力もなく、されるがまま好きにさせておいた。もう顔は泣き過ぎて真っ赤な上にボロボロだろうけど知らん。それに、思いの外優しい手付きが心地良い。
「今日はよく喋るね…」
少し時間を置いて落ち着き、言われっぱなしは癪なので意趣返しに言ってみる。顔が残念な事になっているのでただの負け犬の遠吠えだろうが、何も言わない方が後程腹に据えかねるだろうから。
言われたセオはキョトリとした後破顔一笑。また笑われた…。何故私の言動は彼に対して裏目に出てしまうんだ。
「貴女は不器用な上に鈍いから、言わなきゃ自分の事攻め続けるでしょ?」
「……………」
「貴女は分かりやすいから」
お前もな。顔が全てを語ってるって突っ込んでやろうかこの野郎。
内心で悪態を吐くが、そんなやり取りが実際に私の内側にある重りを軽くしてくれる。ふと気付くと、自分でも知らぬ内に彼の方へ手が伸びていた。
何やってるんだ私は⁉︎この手は何目的で何処に向かって伸びてるんだ⁉︎
無意識とはいえ自身の行動理由が分からず、慌てて手を引っ込めようとしたがその前にセオによって阻まれてしまった。手首を掴まれてしまい、彼は繋がったその手をしげしげと見つめている。何なんだ…。自分の事もよく分からんが、セオの行動も意味が分からない。取り敢えず手を離してもらいたいので軽く引っ張ってみたが、何故か離してもらえない。何なんだ本当に。
「…最初、貴女は強い人なんだと思った」
「…?」
「たった1人で飛び出して、目標の為に全力で行動して、脇目も振らずに目的地を目指してさ。けど、馬の早駆け苦手だし、人に襲われれば腰抜かすし、船酔い酷いし、奴隷の事でこんなに顔真っ赤にしてボロボロ泣くし、手はこんなに小さいのにね…本当、調子狂うよ」
ああ、まただ。またそんな風に困った顔をして笑ってる。やっぱり頼りない奴だと呆れられてしまっただろうか?
「…サクに出逢わなければ楽だったんだけど、中々上手くいかないね」
「………?」
彼の言いたい事が分からず首を傾げて続きを促すが、その仕草を見ても苦笑を漏らすだけで結局会話はそこで終わってしまった。
いつか、その言葉の意味を話してくれる日が来るのだろうか?それよりも先に、彼と離れる日の方が早く来るのかもしれない。
まだ先であろう出来事に意識を飛ばしていると、船員さんから出航の声掛けをしてもらい、その様子を甲板に出て眺める事にした。波は穏やかで、潮風が髪を攫っていく。離れていく陸地が遠くになるにつれて、空漠たる想いが胸中を締めていった。
何度読み直しても読み直すたびに修正箇所を見つけて〜を繰り返してると中々仕上がりません…。仕上がったと思ってたらまた修正箇所が…!
執筆の早い方を心から尊敬します。
ブクマ本当に有り難うございます!励みになります!