狡い大人
「…気持ち悪い…」
さっきっからそれしか言えなくなった私の背を、セオはずっと摩り続けてくれている。切実に酔い止め欲しい…。
当たり前だがこの世界の船は物凄く揺れる。途轍もなく揺れる。尋常じゃなく揺れる。
文明の利器に頼り切ったこの身体には多大なるダメージなのだ。
潮の音が遠くで響いているのに全く爽やかな気分になれず、哀しいかな、顔を上げるのも億劫な程にグロッキーになってしまった。
あれから手配書に踊らされている人に警戒しながらも、無事に何とか乗船に成功した。
この間の出来事から船の出航までが1日半あり、それまで2回程ガラの悪い奴らに絡まれたがセオが一蹴して終わった。確かに強いと聞いてセオを選んだけれども、正直見た目が標準よりもほっそり気味なので『体格=強さ』で結びつかない。なので蹴散らす度にどうしても驚いてしまう。そろそろ慣れたい所だ。
出航の日は快晴で、気分さえ悪くなければ甲板に出て景色を眺めたいが、それよりも今は割り当てられた船室のベッドで横になっていたい。たとえ硬くて寝心地が悪くても今は立っている方が辛い。そんな私の介護をさせてるセオには大変申し訳ないが、背中を摩ってもらってると少し楽になるのでとても有り難い。陸に着いたらお礼言おう。
この船で向かっているのはファルデンと呼ばれる大陸だ。私達がちょい前までいた大陸はハルダートンといって、地図上では確かファルデンより南西の位置にある。交通手段は船一択。片道約12日程の距離で、船の最終地点である港街はフリコールといい、サシャフィール程大きくはないらしいが、やはり物資の流通する街なだけあって活気はあると本で読んだ。というのも、実はファルデン自体に行った事がない。何故なら魔獣は先の2つの大陸とはまた別の場所に根城を構えていたのだから。
「羊が一匹…羊が二匹…」
「…何その呪文」
「眠気を呼び起こす呪文…もういっそ意識なくしたい…」
「当て身しようか?」
「…それはちょっと」
セオとの遣り取りは気が紛れるので有難いが、恐らくお願いしたら本当にやりかねない。当て身とか…起きた時首痛くなりそうなので遠慮する。
「私に付きっ切りじゃなくて良いから。折角なら船内探検して来れば?」
「それ護衛の意味なくない?貴女に何かあったらどうするの。契約中に主亡くしたら奴隷も死ぬって知ってる?」
知りません。どうやらこの世界では常識らしい。私が知らない事にセオは吃驚してるけど、異世界人だと思い出して納得してくれた。主人の情報漏洩防止の為に奴隷の首にある紋様の術式に組み込まれているそうだ。本人が希望すれば契約時にその術式を入れない事も出来るが、基本殆どがそっちを選ぶのでこっちから切り出さないとやってくれないらしい。
あの小太りめ…常識だと思って説明省きやがったな。セオを紹介してくれた事には感謝するが、やはりいけ好かない奴だったか。今度見かけたら脛に蹴り入れてやる。
そんな地味な復讐計画を練っていると、セオは背中を摩る手を休めずに欠伸を噛み殺している。彼もあまり船に慣れていないのだろうか?
気になったのでセオの方に寝返りを打つと、少しだけ眠そうな釣り目になってる。
「セオは気分どう?船酔いとか」
「許容範囲内だよ」
「………」
やっぱり私程ではないが船に慣れてないんだな。それなのに介護させ続けて申し訳ない。そろそろセオも休んでもらわねば。
「疲れてるなら休んだら?眠そうじゃん」
「平気」
「却下。船って慣れるまで大変なんだし、今無理しても具合悪くなるだけなんだから休みな。そんなに連日何かある訳ないだろうし」
「…何かあったらどうするの?」
「随分心配性になったね…。どうしたよ?」
「やっぱり魔物より人間の方が質悪いって再認識しただけ」
誰か助けて。セオさんが人間不信に拍車掛ってる。
何があったかは知らんが、出会い頭を思い出すと確かに最初はこっちを伺いながらやり取りしてた気がする。今じゃ当て身を勧めてくるくらい砕けてきたが。
休む事を勧めても断る割には疲れがありありと見え、何度も欠伸を噛み殺しては頭を押さえてる。これ、駄目じゃね?
「休みなって…。少し休んだ方が身体絶対楽だから。その状態で自分が万全だって胸張って言える?」
「………」
「言えないんだな。はい、休んで」
論破されて悔しいのかセオはジト目で無言の抗議をしてくるが、こっちだって引く気がないので横になったまま睨み合い。暫く経って折れたのは彼の方。溜息をこれ見よがしに吐き出して、私が使ってるベットを背もたれに胡座をかいた。正直あまり床は綺麗じゃない。それで休めるのか?そこに椅子があるのに。
「これ以上は譲歩しないから」
「……左様で」
此方に顔すら向けずに言い切る彼は、やはり少々ご立腹らしい。休める時は休めと前から言ってるのに。ベッド争奪戦の時は理由を聞けば結構アッサリ頷いてくれたのに。この変わり様も関係が砕けてきた証拠なのだろうか?
私から彼の頭の登頂部が見える。ベッドの側面に頭を預けてる姿を見て、やっぱりお疲れ気味なんじゃんかと再確認。私がひ弱だからセオも気安く休めないのだろうか?というかそれしか理由が思い浮かばない。申し訳ない思いが胸内にモヤモヤと生まれるが、実際ひ弱で護ってもらわねばすぐ死亡出来る自信がある。
…頼るしかないのか。何たる不毛な悩みなんだ。私に出来る事はとても少ない。分かってはいるが、このままではいざという時に彼が大怪我をしてしまう。
そっと手を伸ばし、疲れの見える頭に手を置いた。怪訝な顔で此方に振り向く目を無視して、掌に意識を集中させる。セオと接触している所から淡い緑色の光が漏れ、本人も何をされているのか分かると、此方を向いたままベッドの側面に凭れ掛かった。
試した事はないが、もしかしたら疲れが少しくらい取れるかもしれない。以前の旅では力も使い慣れていない上に、いつ何処で何人怪我をするかも分からない状況だった為、なるべく体力を温存しておくのが私の役割だった。この力も慣れない頃は少し使ったくらいですぐにヘバっていた。それこそちょっとした切傷レベルのものでもだ。そこから考えると随分私も成長したなと感慨深くなるが、今はそれより気分の悪さをどうにかしたい。それが出来れば苦労はないが。
もうそろそろ良いだろうか?頃合いを見て手を離すと、随分とセオの顔色が良くなっている。
「…凄いね。大分楽になったよ。ありがと」
「じゃあ実験成功だね」
「…実験…」
「使い道の幅が増えたし、これで少し旅が楽になりそうで良かった良かった」
「じゃあ効果もあるって分かった所だし、自分にも使いなよ」
「ただの体力の消費で終わるからやめとく」
「…というと?」
「この世界の事にしか力は干渉出来ないらしいよ。不便だし、呼び出しといて何だよって思うけどさ」
「………」
「死なないように最大限の努力するよ。君まで巻き込みたくないし。それから…いつか契約解除の方法を見つけて自由にする事を約束する。…それくらいしか出来なくて申し訳ないけど」
そう、彼に対して私に出来る事が今はそれくらいしか思い浮かばない。ここまで面倒みてもらっているので足りないのは十分承知だ。でも、それはこれから見つけていくつもりだし、絶対まだ何か出来る事がある筈!…だと良いけど。
「…お人好しだとは思ってたけど、まさかここまでとは思わなかった…」
「…その残念そうな目は何ですか?」
「貴女がもっと我儘とか傲慢だったら良かったのに…」
どういう意味だこの野郎。と言おうとしてやめた。茶化せない。彼は何故そんな苦しそうな、泣き笑いのような複雑な顔をしているんだろう?
「貴女の世界は、皆貴女みたいな人ばかりなの?」
「そういう訳でもないけど…自分がされて嫌な事は相手にもするなって教育される。…多分」
「ふっ…多分って…」
「笑うなよ。こっちだって全ご家庭の教育方針なんて知らないし」
「それもそうかもね」
クスクスと小さく揺れる肩に、少しだけ淋しさが見えた。彼の過去なんて知らないし、別段知ろうとも思わないけど。ただ、あまり良い思い出がないのかもしれない、と感じる事はある。
「…信じて良い?自由にしてくれるって」
「…最大限の努力はする。結果が伴わなかったらゴメン」
「良いよ。それならそれで、お人好しなご主人様の面倒ずっとみるから」
「…ずっとはイイや。もう契約続行してても飽きちゃったら旅出て良いよ。止めないから」
「ははっ。やっぱりお人好しだ」
何が楽しいのか良く分からないが、先程の表情がなりを潜め、内心ホッとした。
セオはきっと、私が考え付かない色々な事があったのかもしれない。あんな複雑な表情、きっと私の顔からは出せないから。
「水、持って来るよ。少しは気分楽になるんじゃない?」
「何かあったらーってさっきは言ってたくせに」
「何かある前に戻れば問題ないでしょ?」
それもそうだが腑に落ちない。さっきまで頑なだったのに、彼の中で一体どんな革命が起きたのだろうか?しかしその申し出は有り難くお願いした。少しでも気持ち悪さが改善されるなら何とかしたい。船酔い本当辛い。
パタンと簡素な音をたてながら閉まる扉。別段広くもない部屋だが、人1人居なくなるだけでかなり物寂しく視界に映る。加えて揺れ続ける頭の中。病気の時に人恋しくなるアレに似ている。
それでも先程の事もあるのでどうしてもセオの事を考えてしまう。
「信じて良い…か」
きっと、この言葉は私が思っているよりも彼の中では重たい筈だ。軽く返してはいけない言葉。だから肯定も否定もできなかった。彼もきっとそれに気付いてる。結局、私の返答は予防線を張るという逃げの一手になってしまった。「信じて!」と、自信をもって言えたらどれだけ楽か。だが確証のない状態でモノを言える程、私はもう幼くない。
…大人って狡いなぁ。知ってたけど。
自分もそんな大人になってしまったんだと、ほんの少し彼に罪悪感を持ちながら、私は目を閉じた。
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