始まり2
(えっ、嘘だろ田村さんがこっち来てる!?)
廊下をあるく工藤は後ろを振りかえることなく悟る。
元気のいい挨拶とおしとやかな挨拶が交わされる。そんな情景が後ろで交わされるのはこの学校に入って見たのはひとつしかなかった。
(なんで田村さんがこっちに?まさか……)
と一瞬でも疑問を変な形で解凍しそうになった自分を殴りたくなった。
答えは簡単なことだ。
(こっちに来てるんだからトイレしかないだろ、馬鹿か……)
微かに近づいてくる澄んだ声音に耳を傾けながら、足早にトイレに向かった。
用を済まし手を洗っているとトイレの外で聞きたくない声が聞こえた。
「田村!」
(……この声は鈴木、最悪だ)
大きくて張りのある声は聞き間違えることがない。鈴木先生の声だった。工藤は鈴木先生のことがとても嫌いだ。たった四日で感じたことだが鈴木先生はどうもえこひいきが強く、それは優秀で自らの言うことを良く聞く子、そして可愛い女の子への贔屓目がかなり強い。
むさ苦しいゲジ眉がいやらしくつり上がる様はどう見てもやましいことを考えているとしか思えないものだ。
だから鈴木先生は使えない男子と思っているやつは全面的に嫌悪している。その対象に工藤が含まれていることは言うまでもない。
工藤は運動神経が最悪と言っていいほどない。
だからこそ先生の嫌悪の対象になってしまったのだろう。
嫌いだと思っている相手を好きになれるほど工藤は器用じゃない。
「……田村は凄く真面目そうだしな、まかせられるだろう」
何か喋っているが努めて無視し、精神を集中させる。
鏡に映る自分を見た。目が黄色い光をおび、手先が薄くなっていく。次に爪先から足、腰と腕徐々に下から上へなにもなかったかのように薄くなっていく。そして、とうとう全身が消えてしまった。学生服も靴もみんなまとめて消え去ってしまった。
鏡に映るのは後ろの壁と空間だけ、しかし、そこには工藤一蹴が確かにたっている。
工藤は生まれて自我が芽生えた頃、自分の意思で姿を消せるようになっていた。原因はわからない。分かったとしてもどうしようもないことだと思ったし、この力に何の不満もなかった。
むしろ感謝していた。
この能力が有ることで面倒事を回避できるのだから。
工藤は自信の姿が完全に消えているのを見えなくなった眼球でじろりと確認する。
(さて、これでよし。このまま教室に向かおう)
トイレを出て教室に向かうため左を見る。
すると、やはり鈴木先生と田村さんが話していた。
(やっぱりか、透明になって正解だな。鈴木と出くわすのは不幸でしかないよ)
疲れを現したため息を小さく吐く。誰にも聞こえないような小さい息づかい。トイレから離れ二人に接近する。
近づけば近づくほど田村さんを近くで見ることになる。
綺麗な黒髪にはひとつの乱れも許さない上品さがあり、先生と話す横顔は別の国の人だと勘違いしてしまいそうな顔だった。
ピタッ!
不意に工藤は足を止めた。風のように流れるはずだったのに瞬きひとつぶんの時間で時間が止まったように動かなくなった。
目があったのだ。
田村結衣は確実に見えなくなった工藤の姿を、彼の目を的確にとらえているようだった。
(嘘だよね、俺の姿が見えるのか……)
そんな不安と焦燥にかられていると何事もなかったかのように先生に振り返っていた。
「悪いな田村、トイレに行く途中だったんだな、止めて悪かった。授業には遅れるなよ。」
そういって伸ばした鼻の下を戻すことなくその場を去っていった。
そんな後ろ姿に気品の漂う会釈をひとつする彼女を横目に工藤はドキドキした胸を強く押さえながら目立たぬように教室の誰もが見ていない一瞬の隙に体をもとに戻した。そして、教室を重たい足取りで歩き教室の中央に位置する机に伏した。
(田村さんは俺の事が見えてるのだろうか、勘違いじゃなかったら、どうしたらいい?あの事を知られる可能性があればいずれ.……)
そんな心の中の言葉を必死に頭を横にふることで否定する。
(そんな可能性なんてない。田村さんを気づつけるなんて俺には出来ない。そんなことになってたまるか。田村さんは、俺が大好きな……)
色々と考えた末に恥ずかしくなって赤面した。顔を伏せたまま後ろが騒がしくなるのを聞いて誰が教室に入ってきたか見ないでも理解した。
「おい!何寝てんだよ」
急な声にビックリして顔をあげたのは数分がたった頃だった。
目の前に朗らかな笑みを、それでいていたずらっ子の様な憎めない笑顔を浮かべる少年が前にいた。短髪の髪の毛は刈り上げられ、耳周りや襟足は綺麗に切り揃えられている。とても活発な印象を与える彼は頬に擦り傷を作っていた。それは彼が新入生の部活見学で作った傷で野球部に行ったらしい。
「寝てねぇよ。ちょっと考えてただけだよ。」
「本当か?ま、とりあえずもうすぐ授業だからな、起きとけよ」
そう言って前から消えた。荻野清一郎は田村さんの元に行ったのだ。昔はあんなにも女の子に興味を抱く奴じゃなかったのだが、ここ数日彼女を見たら飛び付かんとする勢いで彼女に接近する。蛾の一部になってしまったのだ。
清一郎とは小学からの付き合いで同じクラスではないが同じ学校にこれた。
(ほんと、なんとか入れてよかったよ)
心の中でそう呟き途端にため息を漏らした。
うつむきながら何も考えずに無心になる。
しかし、それは一瞬の事、後ろから徐々に聞こえてくる透き通った女性の声、聞いているだけでどんなに激怒している人も直ぐに落ち着いてお茶を飲む余裕を見せてしまうんじゃないかと思う程の安心感が絶えずあった。再度工藤は思う。
(ここに入れてよかったよ)