始まり
入学してまる四日が経った頃。まだ 陰鬱な雰囲気のまま一目惚れした女性に話してすらいない。そんな男が一人いた。
工藤である。
未だに入学式に見たあの美少女、田村結衣に話すことはおろか、近づくことすらできていなかった。彼女を月と形容するなら周りにいる人だかりは光に集まる蛾といえるだろう。感情は様々だが求める光は一途に月の輝きだ。とても魅力ある月に皆が惹き付けられていた。
彼女の瞳は青みがかった黒で、深海を思わせる深みがある。とても綺麗で魅惑的だ。漆黒で艶やかな黒髪は肩口まで伸び、対照的に雪のように白い肌は触れれば今にも溶けそうに思えた。胸にある大きくふんわりと乗った双丘は男性なら鼻の下を伸ばすだろうし、女性なら嫉妬と羨望の眼差しを向けるだろう。セーラー服であまりわからないがくびれがありお尻は滑らかな曲線を描いている。スカートの下に覗かせる足は長く綺麗だ。
彼女の魅力はその美貌だけではない、たった四日で得た知識だが、彼女は模試で全国平均第6位で学内では最初の試験で第2位といわれている。運動神経も抜群ですこし走るだけでも郡を抜いていた。
文武両道、才色兼備。この言葉は彼女の為に用意された様にしっくり来る言葉だった。
相も変わらず彼女の周りには人だかりができる。
今は二時間目の授業の終わりで男女含め何人者人が彼女と話そうと笑顔で溢れていた。彼女はどんな相手にも変わらず月のような穏やかな微笑で対応していた。
工藤は尿意に気付き席をたつ。横目に人だかりを見て教室をあとにした。自分には縁のないことだと言い聞かせて。
(あ、動いた。どこにいくんだろう)
自分を囲む人だかりのわずかな隙間を覗き冴えない男子を一瞥した。
彼は確か工藤……君だったかな?
何か特別なものが彼にあるわけではない。特別な感情を抱いた訳でもない。しかし、なぜだか彼が気になるのだ。
(追いかけよ)
心のなかでそう呟くと席をたち周囲の人だかりに一瞥し、お手洗いに、と言って道を開けさせた。
私も一緒にと言い出しかけた女子を右手をあげることで制し、スタスタと群衆をかき分け挨拶をしてくる他の生徒に笑顔で返した。
教室を出て彼の後ろ姿をおう。
中肉中背で背は自分より低く、顔は整ってはいるが伸びている髪が耳や目元を薄く隠していた。少し陰気な印象を与える。
とはいえ、別段暗い男の子ではないようで同じクラスの男子と和気あいあいと話しているのを何度か目撃している。
教室を出て右に曲がり最寄りのトイレに入っていく。
そのあとに続いて入ろうとするとー
「田村!」
大きな声が後ろから掛けられた。肩をびくつかせ振りかえる。
そこにいたのは体育の先生である鈴木先生だ。
健康的に焼けた黒い肌に太い眉と二重の眼光。濃い顔で筋骨隆々の先生だ。もちろん声はとても大きく、廊下で良く響く。
「はい、どうしましたか先生」
田村は無意識に口元を緩め微笑を浮かべる。
その反応に心を良くしたのか鈴木先生は笑顔を浮かべる。
「田村、お前に頼みたいんだが学級委員長はやはりお前がやるべきだと思うんだ。あいつは入学式以来来てないからな。」
「あいつ」とは一度しか顔を見せなかった女子で学級委員長に立候補してからそのまま学校にこれてないらしい。理由は病気らしいが、詳しいことは田村は知らない。
田村は頭のなかで立候補していた女子を思い浮かべる。
おさげに丸眼鏡、ピチッとした制服にハッキリとした口調、生真面目という言葉が似合いそうな子だったと思う。
しかし、そんな顔は直ぐに消え去り工藤君の顔が浮かび上がってくる。
鈴木先生が田村を推薦する理由を細かく説明するのを生返事で返しながら横目でトイレを確認する。先程からずっと気を張っていたが彼の姿は中々現れない。
しかし、何か視線を感じるような気がして目を凝らす。
そんな彼女を見て鈴木は勘違いしたようでおっと、とわざとらしくおどけた口調で「悪いな田村、トイレに行く途中だったんだな、止めて悪かった。授業には遅れるなよ」と言い残し反対方向に歩いていった。
腕につけている白を基調とした派手さのないシンプルな腕時計をみる。
もう二分前になっていることに気付き足早に教室へと向かった。
そして、教室に入り彼女は一瞬目が点になった。
彼、工藤君が席に座ってうつむいていたのだ。
絶対に通ったら気づくハズの廊下ですれ違わないはずがなかったのにどうして私は気づかなかったのだろうと不思議に思ったからだ。
しかし、瞬時にもとの表情を作り上げ平静を保つ。
教室の扉を潜ると集まってくる人達。
そこには彼の姿はない。
彼は相も変わらず机とにらめっこしている。
(彼は何を考えているんだろう)
気になってしまえば簡単なこと。
既に田村は彼のことで頭がいっぱいだった。
特別格好いい訳でもないはずなのに、何故こんなにも気になるのだろうかと、不思議は魅力に変わりつつあった。