♯09
そして、練習の解散後。
ハッピーマウンテン駅の構内にあるショッピングモールは、都会ほどのおしゃれさは感じられないものの、田舎の人間が遊ぶには十分な娯楽施設だった。
洋服、食事、アクセ。女の子が好みそうなものは、とりあえず揃いはする。飲み会の前に志上先生が車の準備をするということで、それまでここにいるというわけだ。乾は、すでに自動車の用意を終えているらしい。
「ああ、あそこ美味しそう」
「駄目駄目、もうすぐ飲み会ですよ、優子」
わたしよりもずっと大きい優子。留めるだけでもキツイ。わたしと、優子と、乾がここにいた。宇野先生はタバコタイム。お姉ちゃんは、どこか別のところで時を過ごしている。あの人と、うまくいってるといいな。
でも、特になにをするでもなく。わたし達は、漠然とぶらつくだけだった。いきなり遊べって言われても……どうしたらいいか。ウィンドウショッピングもいいけど、乾がいるから……。
「あーーっ! かわいい!!」
「千璃、どうした」
わたし達は、みな小物屋に視線を走らせた。
壁の方にあるお店。ビーズとか、ハンカチとか、ポシェットとか、指輪まで、雑多な商品が仕入れてあった。他にはどんなものがあるんだろうという期待感が、わたしをそこに向かわせる。
律子先生、今日はいつも練習休みの日だけど、ついてなかったなあ。あの人は、とにかく光っているものが好きだ。
「おい、久間野さん」
「その呼ばれ方はされない……優子でいいよ」
その刹那、乾がわたしの後ろに。あれ? わたしは肩を掴まれ、後ろを向かされる。
「適当に歩き回っててくれ」
そうして、優子の方を向いた乾は、
「実はよ、律子に贈り物がしたいんだ。選んでくれよ。いや、好みを聞かせてくれ」
「うーん……」
わたしの心を、もやもやとした灰色のような感情が覆っていく。優子は、乾に言われたとおり、様々な商品を見分していく。そして、あるものを差し出そうとするも、やっぱりとばかり、それを元の位置まで戻す。
「乾!」
いまの間に、わたしも選んでいた。ぎらぎらに彩られたデコレーション指輪。ぶっといリング面に、青とか、白とか、黒とか、多くの色彩の石々でもって飾り付けされている。
「これが、正解です!」
まさか乾も知らなかったろう、律子先生の好みのアクセなんて。女子は、男とのデートで、こういうものは付けないものらしいから。女性誌っぽい名前の、たぶん女性誌(意味不明)に書いてあった。
今のわたしは混乱していると思う。こういう分野、例えばアクセの選び方で優子に勝ちたいなんて、そんな思いを抱いたことなど、これまでになかった。
「優子、どうだ」
「これ」
現実は、残酷だった。
優子が持ってきたのは筆入れ。あったかそうな色合いで編まれたそれは、お出かけのみならず、職場で使っても問題なさそうな代物だった。
「よし」
「あっ……」
乾は、さっとレジの方に。わたしは、その姿を認識しそこなった。
店員さんの肌色はこんがり色で、頭の頂点あたりまで細かくグルグルに巻かれたような髪型の女性だった。明るい笑顔で、乾賢太朗の出した1200円を受け取る。2点で1200円か、安いなあ。
「ほら優子、筆入れ。やるよ」
「え? くれるの」
背伸びしつつ見ると、「ああ、なんだ」という気分になる。買ったのは1点だけ。乾の背が高いから見えにくいけど、1点だよね? 当たり前か、なんでこんなこと思ったんだろ。恥ずかしい……。
「ああ、大事にしろよ」
「大事に……」
はあ、情けな。どうしよっか、これから。一緒に回るのも、なんかな。乾は、たぶん優子のこと好きそうだし。あーあ……もういいや。優子の気持ちもたぶん……。
「大事には……できない」
優子の切なげな表情をみて、わたしは――とっさの行動だった。
「ばかっ」
「……!」
わたしは暴力を働いた。他人のためじゃなく、自分のために。
……なんで? なんでこうしちゃったの? 乾は悪くないのに。乾を殴ってしまった以上は、もう引き下がれない。
乾を睨むしかない。乾の顔は、なんだか悲しげだった。わたしのこと、馬鹿にしてるんだろうな。「女ってなんで」とか思ってるに違いないんだ。
「……言っとくけど謝らないからな。私は、正解が欲しかったんじゃないんだよ。腕輪……」
また泣きそうになる。なんで、わたしってこんなに泣きやすいんだろ。もういや。ここにいるのがいや。いやだ。
優子は、移動を始めている。わたしの心を読んだ? まさか。とにかく、わたしはそこに向かった。わたしが走り去った直後も、乾は、なんだか憮然とした表情のままで立ち尽くしていたと思う。
「優子、追いかけてくれたんだ……」
「うん。心配だったし。乾、ひどいね」
「でも、そんなに苦手でもないんでしょ」
「……」
答えにくいとき、優子は必ずこういう表情になる。
「だって、普通に話してたじゃない」
「あれは、嫌いじゃなかったから。他の人みたいに、気取ったり偉そうにしたりしない」
「うーん……」
まあ、それはあるかも。あいつ、確かに自分の感情を行動に出すほうだ。でもそれなりに考えはある。それに、勇気だって――
「はあ……」
近くの電光式時計に視線をうつす。
飲み会の始まりまで30分ぐらいか。ちょっと遊んでいこう。乾とはちょっと険悪になったけど、それでも楽しい会にはなるだろうという期待はあった。
そういうわけで、それから2人でぶらぶらしていたところ……
「ねえ、ねえ千璃」
「ん、なに?」
優子は、クレーンゲームを指さしている。
「あれ、かわいい。千璃はどう?」
最近流行ってる……わけでもない、ぬいぐるみが詰まった筐体。なんでも、逆さまにチョコ部分から落とされたプリンの恨みが表現された、リ・バースプリンとかいうキャラクターらしい。
なかなか、とんでもない造形だと思った。ぜんぜん可愛くない。でも、優子が好きって言うんなら……
「とったげる」
「え、本当?」
本当なら、こういう分野は優子の方が得意なんだけど……ゲーセンなんて来たことないんだろうな。
500円玉を入れる。横方向と縦方向、2種類のスイッチを確かめ、いざ開始。まずは横方向。真剣に、チャンスを見計らって……
「やった! いい感じ」
クレーンは、ちょうどまっすぐな位置で止まってくれた。次は縦方向。ここからじゃ、うまく距離が掴めないけど……!
「……」
スイッチを押した。前方向に進んでいくクレーン……。
「いまだ!」
わたしとしては、ベストタイミングだった。クレーンがその口を開いて。そして、プリンを掴み上げる。そのまま、取り出し口へと移動していくクレーン……。
「ああっ!」
失敗だった。
「うーん、よしもう1回!」
2回目も失敗。ついでをいうと、3回目も失敗した。実をいえば、4回目も――
「ああ、お小遣いが……」
うちはお小遣い制ではないんだけど、とにかく、あっという間に2000円を投入してしまった。情けない。
最後のチャンスだった。これで失敗したら、もうお金を入れるのはやめよう……。そう決意して、横方向のボタンを押す。
「横方向は、1回も失敗してないんだよなあ……」
今回も、ピタリ正面の位置に付けた。続いて、勝負のとき。
わたしは、心身ともにぬいぐるみに集中する。ここで取れないと優子を悲しませる。ここまできたら――
「……」
なんだか、全身がだるくなってきた。優子だって満足だろう。だって、これ以上やって最後まで失敗したら……むしろ、優子に悪い気がする。挑戦しても、たぶんできないし。無理することない。
あ、そうだ!
「やあ~めたっ!!」(※)
優子を手招きする。そうだ、最後はこの子にやってもらえばいいんだ。成功すればよし、失敗しても、それで満足するに違いない。
「大体、こんなん手に入れてもしょうがないですし。なんか得られるわけでもなし。やめた、やめた!」
そうだ、これでいいんだ。だって、これが欲しいのは優子なんだから。そう考えると、途端に気が楽になる。心に余裕ができて後ろを振り向くと、乾が立っていた。これから飲み会の時間だ、楽しみだな。
「乾、さっきは、悪かったです。さあ、そろそろ行きま――ちょ、ちょっと!」
後ろから差し込まれたのは、あろうことか、こいつの両手。そのまま筐体のスイッチに手を伸ばす。
ちょっと! や、やめて……乳が当たる、微妙にあたってるから!
「な、なにしてるんですか乾! セクハラは止めてください!」
「お前なあ、いいんだよ」
「え?」
「ここは畳の上じゃない。柔道と違って、失敗してもいい」
失敗してもいい。本当にそうなら、わたしは苦しまなくて済んだのに。こんな症状が出てきたのは、中学校時代に全中に出場して、準決勝で負けてからだ。ただ単に、わたしの全力が通用しなかっただけなんだけど、それ以来、ここぞという場面になると、急に頑張ることが億劫になってしまう。病気かもしれない、と思って相談しようと思ったけど、口で伝えるのが難しすぎて断念したのだった。
乾の手は、異様な暖かさだった。汗。これは熱いという感覚だ。もしかして、一生懸命にわたし達を探していたのだろうか。
わたしの手のひらに乗った、乾の右手。頭頂部には吐息が掛かっている。やめて、もじもじするからやめてっ! あ、いつかの間にかクレーンが動き出してる。正視する余裕もなかった。
こつん、という筐体のプラ面を叩く音。アームが開く様子を辛うじて捉える。ああ、もうダメ! 心臓の動悸が激しくなり、わたしは、そのままうつむく。
……どうなったんだろう。おそるおそる、瞳を開ける。
「ああ、やったあ!」
優子の笑顔は眩しかった。取った、取ったんだ! 思わず、わたしまで笑顔になってしまう。
「ほらよ。別にお前のためじゃないからな」
乾の顔を見上げるようにして、両手でもって受け取る。こいつの手は、やっぱり暖かくて。不思議な気分にさせてくれる。そんなことよりも、言わなくてはならない言葉があった。
「あ、あ、あああ、ありがと……」
可愛くない笑顔だったと思う。動物、例えばイヌみたいに素直に感情を表せればいいのにと、この時ほどそう思ったことはなかった。
※……新井千璃さんは、心理学的には失敗回避動機という症状に陥っています。これは、成功する見込みがあるときでも、失敗する可能性についてのストレスが強すぎることにより、敢えて挑戦しないという成功と失敗の中間状態を保とうとすることです。スポーツ選手がこうなると致命的です。筆者が、高校生で柔道をやっていた時に陥っていた心理状態でもあります。