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愛を吐瀉する魔物  作者: サウザンド★みかん
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
7/17

♯07

 それから、何分がたったろうか。

 追いかけて来ないのかな。なんて恥ずかしい妄想に浸りながらも、1階の試合場、壁を挟んで横側に伸びる廊下に近いところ。ステージ近くの小階段にわたしは隠れた。


「あれから……」


 角度が厳しかったけど、なんとか時計を確認する。


「11時20分か」


 さっき、ちらっとトーナメント表をしたためた。乾の率いる鴨中学校と丘野中学校の対戦はもうすぐだった。

 

 『乾は、もうこないだろう。うん、こない! こな……!?』


 すぐ側まで探しに来ていた。それが恥ずかしくて、でも嬉しいようで、とにかく、わたしはわざとらしく身を乗り出し、間接的に彼をこちらに呼ぼうとする。

 だって、こんな茶番。早く終わらないと、乾にとって迷惑だから。どんな理由でもいい。乾が真剣に答えてくれたなら、わたしの希望なんて打ち砕かれてもいい。蒲原をなんとかして欲しい、乾なら……と勝手な気まぐれ妄想をしてしまった、わたしが悪いのだ。


「おーい」


 呼ばれた。でも、こいつから隠れてたなんて恥ずかしいな。あ、そうだ!


「しっ! 黙って!」

「どうしたんだ?」

「そこ、そこ」


 わたしは、近くにいた丘野中学校のメンバーを指さす。彼女たちから隠れていたことにしよう。それに乾の学校の試合はまだだ。だって、審判団は協議のまっ最中だから。


「もう、うちの試合だ」

「ま、待って」


 現実は甘くない。

 でも、どうしても話を聴いてほしかったのだ。わたしは――乾の、ぼろぼろに朽ちている、紫がかったジャージの背中部分を握ってしまった。


「おい、千璃(せんり)! きとったんか」

「あ、蒲原先生! どうも」


 さすがは社会人。なんて良い返事を返すんだろう。

 ああ、よりによって、こいつに見つかってしまった。わたしも前に出ざるを得ない。


「どうも」

「相変わらず、ぶっきらぼうよなあ。見た目はええんじゃけ、もっと女らしくならんとのお」


 蒲原は、わたしの胸の方を眺めている。


「志上先生かあ、いい教師に恵まれたのお」

「そりゃあ、どうも。蒲原先生も、いい生徒ばっかりで羨ましいです」


 わたしは、うつむいている。


「まさか、部員2人の学校に、うちのレギュラーがいくとは思わんかったわ。たまには帰ってこいよ。丘野におったときみたいに、ビシビシしごいちゃる。毎日、痛そうにしとったけど、志上先生は竹刀なんて使わんじゃろ。昔のお前の顔……」


 昔を思い出した。わたしは、中学一年生の一学期からレギュラーだった。そんなわたしを、蒲原はいい意味でも、悪い意味でもしごいた。

 立ち技の乱取りの時。ちょっとでも気を抜くとすぐに怒られた。それが続くと、すぐ側に呼ばれてビンタを受けた。そんなに痛くはなかったけど、その感触が不愉快だった。

 寝技の練習になると、その大きな足で踏みつけられた。脱出できないと、竹刀で身体の色んなところをぐりぐりしてくる。そのまま竹刀で殴ったらマズイってわかってるから、あえてそうするんだ。きたない奴。あんまり隙をみせた時なんて、足裏でTシャツ越しの胸部を踏んできた。

 テーピングが必要になった時は、必ず2人きりだった。その空間が怖くて仕方なかった。もしかしたら襲われるんじゃないか。そんな不安が絶えず付きまとっていた。

 でも、実際には大丈夫だった。わたしよりも、ずっと可愛い子がいて。その子は蒲原の一番のお気に入りだったから。その子の人生を犠牲にして――わたしは生き残った。


「ええっと! 監督同士、試合、ともに頑張りましょうね!」

「ああ、新人の先生か。乾くんだっけ。あんたとこもええ生徒おるじゃなあの。宜しく」


 蒲原は、アリーナ横の廊下まで歩いていった。

 何を思っていたんだろう――乾、乾、乾。助けて、と言いたかったけど、でもそんなことできる義理じゃない。


千璃(せんり)、大丈夫か。悪かったな、もっと早く言ってれば」

「……いいですっ大丈夫ですっ!」


 たぶん、大丈夫だと思う。たぶん。

 でも、頼れそうな人間は乾くらいしかいない。道場内の先輩で頼れそうな人はいないし、志上先生には、お姉ちゃんまで含めてお世話になりっぱなしだから、もうこれ以上は何もいえない。

 となると、残りは乾しかいない。もっと、男性で頼れる人の知り合いがいればよかったのに。どうして一番付き合いの浅い乾に、こんな願いを抱いてしまうのだろう。


「せんぱーーーーーーいっ!!」

「ああ、ちょっと!」


 わたしの後輩たちが、こちらへと向かってくる。取り囲まれた。


「こ、こらっ先輩で遊ぶなっ、揉むなー!」

「へへ、いいじゃないですかー」


 わたしは、ひと呼吸おいて、


「別に、こんなに集まることないじゃない……う、うれしいけど」

千璃(せんり)先輩、練習きて下さいよ! 学びたいこと、いっぱいあるんです」


 ごめんね、それはできないんだ。


「新井先輩の強さ、すごいって聞きました! 教えてください!」

「だって、すごいんで! 団体戦でも全勝やったし、全国大会でも3番なんで!」


 ここで、乾が自陣まで帰ろうとする素振りをみせる。さ、わたしも観客席にかえろ……。


「なにしとるん!? 試合やろ!」


 井上だった。あと2人も――氷野に、草田そうだ


「新井先輩、嫌な思い出があるんじゃないですか? 練習に来て大丈夫ですか」


 氷野。あんたは全部しってるよね。蒲原がお気に入りの子に何してるか。


「いまは試合前だから簡単に済ませますけどね。蒲原監督に逆らって星河学院なんかに進学した先輩は、正直、歓迎できない!」


 草田。あんたは……。


「……」


 わたしは何も言い返す気力はなかったし、周りも静まり返っていた。いいよ、もう。わかったから。もう試合なんでしょ? 動かないと。

 それを口に出す気力は、今のわたしにはない。


「おい、こんなところでやめるんだ」


 乾?


「あなたは関係ないでしょ。うちの問題です」

「いいや、関係があるぞ。こういうのを試合者や見物客がみると空気が悪くなる。備後柔道連合の株が下がるんだよ。いいか。自分のために言ってるんじゃない、備柔連びんじゅうれんの利益のために言ってるんだ」

「それ詭べ……」

「おい、そろそろ蒲原先生が帰ってくるんじゃ? 私も、次の君らの対戦相手だからな。お互いに頑張ろうな?」


 乾が、わたしの手を取って歩き出す。鴨中の陣地まで戻るつもりだろうか。泣き虫であるのを、こんなに後悔したことはない。


「賢先生、大丈夫だった?」


 わたしと背が一緒ぐらいの女の子だった。苹樹ひょうじゅ、と呼ばれたその子は、170近くある身長に負けないぐらいに主張する、その長い脚でひたひたと乾に歩み寄るのだった。

 この子だけじゃなく、ほかの子も乾に懐いてる感じがした。


「みんな、すまない! 遅れた」

「なにやってんだよ、ウチ、はらはらしとったんじゃけえ。その人、誰?」


 ちっちゃい子。ここまで小さいと背負投げは身に付けないといけない。たしか、一回戦のときは使ってなかったと思う。

 もう1人の選手は、おどおどした感じの子だった。体格的には力で攻める技が向いてると思うけど、メンタル的に難しいのかもしれない。賢そうな雰囲気だから、戦略でなんとかするスタイルには向いてるだろう。


「ん、一緒の道場なんだ。律子とも面識がある……とにかく。おい、千璃(せんり)!」

「……大丈夫……ですっ」


 わたしは、この試合を観戦することにした。乾だけじゃない、律子先生もいる。3人とも道場仲間なのだ、これほど心強いものはない。

 やがて、教師陣を含んだ鴨中学校の5人が試合場に集まる。わたしは、電子タイマーのところで戦いを見守ることにしていた。


「いいか、先に言っておく。さっきの場面は気にするな。気にしたら負けだ。今すべきことは……分かってるな」


 そして、円陣が組まれた。


「おおーーっ!!」


 部員がたくさんいる学校だと、こうして試合前に気合を入れる。少なくとも、この会場内では一番大きい声量だったと思う。

 もうすぐ試合が始まるんだ。鴨中学校と丘野中学校との試合が。OGとしては複雑な気分だけど、それでも鴨中学校が勝利する可能性はないだろう。

 ほとんど間違いなく、3-0で丘野が勝つ。これでもかというぐらい運に恵まれても、2-0とか。

 丘野中学校の代表選手は、すでに試合場の隅、赤畳の位置まで来ている。鴨中の代表選手も、主審の視線を浴びて申し訳なさそうに反対側に立つ。

 試合開始から十数分、予想通りだった。一方的な展開。先鋒戦は、氷野とちっちゃい子の試合だった。小さい子(調歌というらしい)は、まともに組ませてもらえず、ふつうに投げられ、ふつうに押さえ込まれて負けた。

 中堅戦は、乾に懐いていた苹樹という子の試合で、井上とだった。正直、白帯とは思えない強さだった。観客席から声が上がるほど白熱した試合になったけど、結局は一本を取られてしまった。

 井上は小学校低学年の時から柔道をやっている。そして中学一年生から県大会で通用する力をもっていた。でも、あの苹樹という子も、おぞましいほどの才能をもっている。次回の試合が楽しみだけど、もう観戦することはないかもしれない。

 今は大将戦の最中。あのおどおどした子と、草田との対戦だった。これでもかというほど酷い有様。

 草田は、公式試合にあっても自分より弱い相手に対して遊ぶという悪い癖がある。試合の序盤、彩季という子に押さえ込まれそうになったにもかかわらず。

 でも、すでに技ありと有効を4つ取ってるし、彩季という子に草田を投げることは不可能だから、もう決着が付いているといっていい。


「はあ……」


 中堅戦で続いていた蒲原の横暴も、勝利が確定した今では、すっかり落ち着いている。かつて身内だった者の行為にため息をつきながら……再び、試合をみる。


「ファイト!」

「ファーイトおー!!」

「それで良いのよ、それで!」


 彩季という子は粘っていた。草田の迫力に押され、自分から負けにいくと思っていた。諦めると思っていた。でも、戦っている。あの子にとっては、体重90キログラムの女子なんて、恐ろしくて仕方ないだろう。

 あの子は試合中に成長している。だって、試合序盤から今にかけての柔道が、目に見えて違うから。あの彩季という子は、いま新しい認識に目覚めている。

 蒲原が怖くて、されるがままになっていた自分を意識して、ますます陰鬱な気分になる。ああ、なんで――


「一本、それまで!」


 本気を出した草田の大外刈りが決まる。ケンカ四つの体勢から強引にもっていった。最初から本気なら秒殺だったに違いない。

 決着の直後、わたしは観客席に戻った。大会は、予想通り丘野中学校が負けなしで優勝。個人戦でも、あのレギュラー3人が大会を征した。鴨中の子たちは、残念ながらみんな一回戦負けだった。無理もないか、公式戦初試合だったのに、午前中にあれだけ精神力を消費したんじゃ。

 閉会式の開始直前。お姉ちゃんと優子との3人で、電車の時刻を確認して、帰りに一緒に寄る店を決めて、手帳で明日以降の練習予定をみて――自分で、自分に気合を入れた。


「さー、帰りま……」

「鴨中学校、集合!」


 アリーナ横側の壁に鴨中の柔道部員が集合する。一体、なにが始まるんだろうと、わたしは身を乗り出すように観察を始める。


「えー、皆」

「ウチ、説教なんか聴きたくなあわ!」

「大丈夫だ」

「調歌、賢先生の言うこと、聞こう?」

「わ、わかってる」


 やがて、静まる声。聞き入る体制が完成する。そのへんは、やっぱり先生なのね。


「私は、長々した話は嫌いだからな。いいか。本当に努力したのなら」


 一旦、深呼吸をする乾。


「後悔はないんだ。ほぼ100パーセントの本気で努めて良い結果が得られない、というのは天命で、どう足掻こうと必然だったからだ。だから、どんな結果であれ、あるべき挑戦が終わったのだと、それまでの自分の道程みちのりを認め、思い返して涙を流す」


 今の説明だと中学生にはむずかしいんじゃ、とわたしは思う。事実、調歌と呼ばれていた子は頭をひねっている。でも、乾にはそれがわかっていた。しばらく待ってから、


「いいかな。本番の後に、涙が落ちる圧力を感じない、ということは。本番の内容に後悔が残っているということだ。もしかして、あれもこれも練習していれば、どうにかなったかもしれないと。そういう形での空虚な期待がある」

「……」

「そういう心境になるのは、努力がベストに足りていなかった、ということだ。どういう結果になろうと、自分の内側からきたるものと向き合い、全力でやる必要があったということだ。」

「……」

「でも、君たちを攻めるつもりはない。3ヶ月でやれることなんて限られてる。私は、そうなるべき結果だったと思っている」


 乾は全員の顔を見渡した。みんな伏せっている。


「よくやった! まだここまでだけど、ここまでやれて、私は……私は、嬉しいぞ!」


 わたしは、この学校の部員たちが羨ましくなった。別に、今の星河学院に不満があるわけじゃないけど。

 とにかく、指導者という存在について、今までのわたしはそれに飢えていたんだ、という事実を思い知らされたのだった。

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