♯15
わたしは、乾の膝の上で、その口周りを舐めずっている。乾は、居間から出ようとして――わたしはそれを引き止め――そして、また元に戻った乾から蹂躙を受けた結果だった。わたしは幾度となく屈辱的な行為を強要されて――
乾と真正面に向き合い、くちびるでその舌をつかんで吸い上げる。乾も、やがて待ちかねたようにわたしの顔を引き寄せ、思う存分、わたしの口内を犯していく。互いの赤みを帯びた棒状の物体が、暗闇の中で踊っている。
「んん、ぐ、ううぅ……んぐぅ……はっ、はあぁっ……!」
「おお、まるで犬みたいだな。俺のシャツに爪を突き立てやがる」
その暗闇から抜けたとき、わたしの舌はすっかりと突き出され、乾のそれの上にあった。2人分の舌が視界にうつっている。こんなことを何十分と繰り返していた。鏡はみていないけど、今のわたしの表情というのは、あの夢でみたわたしのものよりも、ずっとひどいものだと思う。
こんな状態でも、乾から目を逸らすことはできない。だって、さっきお座りのポーズをさせられて、常に「俺の目を見ているように」と命令されたばかりだから。
こんなに酷いことされてるのに、動物のように扱われてるのに、これは暴行なのに――それでも、わたしは支配されることを望んでいる。明日、どういう気持ちを抱いているか分からないけど――でも今現在の、この感情だけは確かなもの。
「うぅ、ぐ、ふうぅ、う、う……」
乾は、わたしの身体をまさぐっている。
「そ、そんなとこ触るなあっ!!」
「なんだって? まあ、それは置いといて。もっとキレイに洗ってくれないかな、お前の身体。女臭いんだよ。」
完全に、こいつの女として扱われていた。
でも、命令されたから――無理やりやらされてるだけだから――わたしは、乾の胸の匂いを嗅いだ。
くさい。口内ほどじゃないけど、くさい。でも、さっきからいくつかの、こいつを喜ばせる行為を躾けられていて、それを組み合わせて奉仕するように命令を受けている。
「ん、んん、ぅ……」
スン、スンという鼻の鳴る音。自分の音だから、よく聞こえる。なんだか変な感じ。乾の手のひらが頭頂部をなでていると、また下半身が熱くなっていく。
耳をなでられ、身体が小刻みに震える。乾の方をみる。
「視線、逸らしたな」
乾の指が伸びる――
「あ、あい、ごえんあさい……」
指先を口内に突っ込まれ、舌を弄ばれている。あまりの快楽に目を閉じそうになるけど、すぐに持ち直し、乾の瞳をみる。
「ほら、罰だ」
乾は、左手で自分の舌を指す。
その舌先に吸い付くわたし。両腕は、彼の首のうしろ。
「まるで恋人みたいだな」
その言葉に、はっとなって、舌を伸ばしてだらしないであろう顔のまま、次の言葉をまった。
そのときだった、着信音が鳴ったのは。乾の携帯。
「はい……ああ、千奏ちゃん」
お姉ちゃん? なんで――あ、そうか。わたしの携帯、シャワーが終わってから部屋のベッドに投げたままだった。
「ああ、大丈夫だよ。千璃は無事に送り届けた」
わたしの感情は、彼に対するささやかな悪戯を命令する。
「いやあ、車の中はおとなしかったよ、ああ、迷惑なんて、ん! ああ、ああ。掛けてない」
わたしは乾の乳首を吸っていた。彼の体は震え、電話口での応答がちょっとぎこちなくなる。こんなので本当に気持ちいいの? 雑誌に書いてあったけど、本当だろうか。
それが事実、とでもいわんばかりに乾の身体は不自然に揺れて、わたしはその度に体勢を変えないといけなかった。すかさず、次の行動にうつる。
「ああ、ちょっと腰を……打って。大丈夫、痛みは……治まったから。また、出てくるかもしれない……が……え、なんか音がする? ああ、ちょっとメシが足りなくてさ。コンビニでおつまみ買って、コタツの上で食べてる」
わたしは、お姉ちゃんと会話中の乾に口吸いしていた。何度も、色んな角度から。
わたしは卑しい人間だった。卑しい自分が情けなくて、それがまた興奮を呼んだ。お姉ちゃんに対する申し訳ない気持ちと、ひょっとして、ばれるかもしれないという危険と、そして性行為の快感とが、わたしの心を乱していく。
「うん、ああ。マナーがないよな、ごめん。うん、じゃあな」
電話を切る、乾。
「まあ、犬だしな。多少は調子に乗ってもしょうがないか。おい、メス犬。てめえだよ」
その言葉に、再び人間としての理性が戻ってくる。いま舐め回している乾の舌、これを噛み切ってやれば、こいつはどんな顔をするだろう。いや、最初みたいに頭突きでもい――
「ふ、ぐうううぅっ!」
その右手の指が、わたしの首を捉えている。
「座れ」
さっき躾けられたばかりの、お座りのポーズを取る。恥ずかしいから、舌は完全に出していない。
「鳴け。犬の声で」
「……」
「鳴けよ。さもないと……」
「さ、さもないと、どうなるんですかっ」
乾は、しばらく間をおいて、
「痛めつける。朝まで、お前を痛めつけてやる」
「あ、あ、あぁ……」
「にやついてんじゃねえっ!」
「あが、あ、はぁっ……」
再び、今度は左の指で舌をいじられる。唾液が床に落ちて、さっきからきれいな状態の床をみつけるのが難しいくらいだ。
乾から、「痛めつける」という言葉を聞いて、心が躍った。わたしには、人間の心が分からなかった。そりゃあ16年しか生きてないけど、こんなひどい言葉を聞いて、それを快楽へと変換できる人間というものが分からなかった。
「おい、今の言葉、分か……」
「わん」
鳴いた。わたしは、鳴いた。これからどんな酷いことをされるんだろうと、心に思い描きながら。
「わ、わんっ、わんっ!!」
乾に視線をやる。
「ハハハハハハハハッ! こいつ、本当に犬の声で啼きやがったっ!!」
わたしの心臓に人生最大の羞恥心が打ち昇る。
ぼろぼろと零れる涙が次々と床に落ちる。悔しくて、自分が無力で仕方なかった。でも、でも――
わたしは笑っていた。犬のように啼きながら微笑んでいた。乾賢太朗という人間から、道端で蹴飛ばされるごみのように扱われるのが悦びだった。
今日の夕方から、夜にかけて。本当は気が付いていた。少なくとも、クレーンゲームのすぐあとから。
わたしは乾が好きだ。
この人が好きだから、こんなことをされても、それが悦楽に変わるんだと思う。そう思うことでしか、これまでの自分の行動を理解することができない。
乾は、大笑いを続けている。
左手の指をわたしの口に入れて、舌を掴んで。右手はわたしの左の耳と髪をなでた。注がれる視線。見下されている。
「やればできるじゃないか」
「は、あは、あははっ」
その両手で顔をつかまれたまま、涙とともに、渾身の笑みを浮かべる。そして――
「乾、ねえ乾」
一瞬、彼が注意を向ける。
「い、乾……さん」
お姉ちゃんの真似をした。お姉ちゃん、すごくモテるから。わたしに思い付くのは、これぐらいしかない。
いまの状況は絶対によくない、という理性の僅かなる抵抗。わたしの身体は、それぐらいに火照っていて、いつぞやか本で読んだ女の悦びとかいうやつ、に塗れていると思う。
「……やめろ」
「乾さん……愛して、ます」
口調まで姉を真似た。ここまでされたなら、きっとこいつは最後までするだろう。いまも、わたしたちの格好はセックスとは程遠い格好だ。だって2人とも、まだ1枚たりとも脱いでない。下着姿すら見せていない。
もう午前4時だった。お姉ちゃんは、いつも朝に帰ってくる。そんなに時間はない。最後まで、最後まで。初めては乾でいいから、最後ま――
「いやだああああああああ!! 俺は俺のままでいたい、俺のクオリア、クオリア……!! 乾賢太朗には戻りたくない、あんな心、俺じゃない!!……嫌だ……う、おえええええっ!!」
急に叫びだした乾は、そのまま居間から出て行った。その叫びもやがて、ずっと小声になって、ほとんど聞き取れなくなる。
わたしは呆気に取られていた。でも、それでも彼の心を理解したいと思った。
乾が洗面台の方に向かってから、何分が経っただろうか。わたしは、ずっと犬の姿勢で座ったまま、無為な時を過ごしていた。乾は、どうしてるんだろうか。嘔吐してるんだろうか。わたしの愛が、嫌だから? 考えていると、空しくなってくる。
やがて、乾が戻ってくる。元の乾みたいだ。もう、これで3回目。
「……千璃」
「はい」
「絶対に、呼び止めるな。帰る」
あっという真に踵を返して、乾の身体はリビングの玄関まで駆け抜けようとした。わたしは、わたしとして、永遠の別れの気配を察する。
「わたしを、離さないで」
足音が止まる。そして何分がたったろうか。
「……今日は玄関で寝る。千璃、ごめんな。受け入れてくれて……ありがとう」
夜が明けようとしている。わたしはコタツに包まりながら今日のことを振り返っていた。色々なことがありすぎて、脳がパンクしそうになっている。
いつの間にか眠りに落ちてしまって、目覚めたのは数時間後だった。彼の様子が心配になってリビングの扉を開ける。そして本当に玄関で寝転ぶ乾をみて、愛おしい気持ちがまた蘇ってきた。
彼に視線を向けてから、どれくらい経ったろうか。いつも、朝食はお姉ちゃんが作ってくれている。でも、わたしだって出来ないわけじゃないんだから。練習してないだけで。彼に喜んでもらえるだろうか、という淡い期待と緊張に包まれながら――まだ洗っていない顔のまま――キッチンへと向かう。
朝の8時ごろだった、乾が出て行ったのは。朝食は食べなかった。起き抜けに洗面所に入ってから、わたしが頑張って焼いた黒こげの卵焼きを三切れほお張ると、玄関に一直線だった。
1日が過ぎて、わたしについての考えがまとまった。昨日の恋慕も、昨日の被虐も。どちらも本当のわたしだった。乾に会いたいという気持ちは本当だし、乾に傷を付けられたいという気持ちも本当だ。
認めたくなかったけど、でも認めてしまえば、これからのことに決意をもてた。
……今だったら、わかる。わたしの胸は、その中で鳥でも羽ばたいてるようなくすぐったさに震えている。その結果がどうあれ、恋の炎が燃え尽きるとき、この鳥も動かなくなる。
これからは、昨日の記憶を大事にしていこうと思う。感じてしまった、知ってしまった、味わってしまった、薄紅色の温もりを。
(完結)