♯13
夢をみた。
それが夢だと気が付いたのは、今こうして、わたしがここで乾の背中をみているからだ。
時刻は深夜の3時。その思い出した夢の内容に、わたしの額が熱くなる感触を得る。夢の中では、乾が、わたしの顔の横で手を繋ぎながら、真剣な面差しでわたしを見下ろしていた。
それに応えるように、わたしは右手を折り曲げるようにベッドに付けながら、不敵な笑みで、舌を出して吐息を洩らしている。上半身はなにも付けておらず、乾もそうだった。
やがて、乾の大きい手が胸のあたりに伸びて――痺れるような痛みが襲ってきて、目が覚めたのだった。
「こんなこと……」
自分でも恥ずかしくなって、お手洗いに行こうとした。そのときだった。
「こんなこと?」
乾の身体がこちらを向く。ごろん、という感触をともない、わたしの正面へ。いま、わたし達はコタツの一面に寝転がっていた。それはどういうわけか、丸太上の棒が2本ならんでいるような、そういうイメージを連想させる。
「臭いんだよ、お前」
「く、く、くさいって……わたしシャワー浴びたばっか――んん!?」
乾が、わたしの耳の横から頭をつかんだ。頭髪を掻き分ける触感に身震いする。
「い、いいかげんに――」
抵抗した。でも、それなりな体格の男の力には敵わない。そのまま強引に引き寄せられ、乾の胸筋に顔が埋まってしまう。
乾の体上に乗っかるように抱きかかえられ、腰に回された左腕で、わたしの両腕の自由は奪われる。
「これだけ近づいたら何も出来ないだろ」
「どうして、なにしてるんですか! あんた、警察に通報してやりますから!」
「しろよ」
「え……」
「だから、通報しろって」
わたしは顔が赤くなった。真面目にそんなこと言われて、なんて返せばいいか分からなくなる。
「蒲原が言ってたなあ、そういえば。黙ってりゃ可愛いって。ほんとだな」
ますます、赤面するわたし。
「黙ってりゃあな。こんな淫乱だったなんて知らなかったぜ、俺は。千璃にはがっかりだ」
「え……?」
急に、涙がこみ上げてくる。
「男ってのはなあ……こういうときには、必ず手近な女を襲うように身体ができてんだよ、覚えとけ」
言うやいなや、わたしのシュシュがはずされる。
「ちょっと、出ろよ」
強引にコタツから引きずり出される。乾は柔道の動きを利用し、わたしを抱きつけたままの姿勢を保ちながら器用にコタツから脱する。
「ひ、ひああっつ!」
わたしのルームウェアは、裾がとても短い。乾は、乾は――シュシュを、わたしの足首から通して太ももに装着したのだった。
「ははっ、アニメでやってるのを見たが……やっぱり、こういう趣味は理解できんな。あの変態め」
変態はあんたでしょ。一体、なに言ってるの?
その繊維の束が、ももの肉を縛っている。不思議な感触だった。これだけでも自分が支配されている気がする。寝巻きの上着はタンクトップ状の黒白縞だった。たぶん、こいつの視点からは下着が見えている。羞恥心から顔を伏せた。
いやらしい目付き。違う、こんなの、こんなのは乾じゃない。思っているうちに、身体はフローリング部分の床に転がされ、乾の体は、わたしのお腹の上だった。こうなると、もう他の部分を征する必要はなくなる。寝技的には良い姿勢だ、足を絡まれない限り。
「な、なんですか……こんなことしといてっ! なんですかぁっ!!」
この胸を支配する感情がわからない。暖かいような、ちくちくするような、でも奥底では冷たいような。こんなの初めてだった、感じたことがない。
「千璃」
「は、はいっ」
急に名前を呼ばれる。とともに、乾の右腕が髪の毛に。そこから屈み込まれる。乾の瞳に押さえ込まれるように、わたしの身体は縮こまる。
「さっきは爪楊枝を借りて歯の掃除をさせてもらったが……不十分だな。俺が合図したら……舌を掃除してもらおうか。お前の舌で」
「……!」
「うげあっ!」
「……ふざっけんじゃねーですよっ!!」
わたしの額が乾の鼻にぶちあたった音は、とても鈍くて。嫌な感じだった。その身体は、一撃を食らってもわたしの上から降りることはない。
それほど痛かったのだろうか、乾は頭を振っていた。鼻血がそこら中に飛び散っていく。よし、じゃあ次のいちげ――
「う、うぶっ!」
わたしの舌が、犯されている。乾の右手が後頭部を掴むと、そのまま――わたしの口の中が吸われていた。
「……!」
離して、と心の中で叫ぶ。だが聞こえるはずもなく、たとえ聞こえたとしても離してはもらえないだろう。
「ふううぅ……う、うんっ、」
乾の舌は、ちょうど味覚をつかさどる部分を下方向に舐めていた。それは、やがて舌の先まで移動して――先端部分が刺激され、震えが全身を駆け巡る。
水滴を胸元に感じる。どちらかの、いや、2人分の唾液がわたしに落ちたのだろう。
乾の舌先は歯茎に移動していく。すべての歯にそれを当てながら、ちゅうう、という音を立てて走っていく、棒状の味覚機関。
切り離される口と、口。おぼろげな視界に、恐怖さえ感じる唾液の量が、目の前をアーチ状に落下していく。
わたしの舌が空気の感触を得たのは、最初の口付けから何分も経ってからだった。ろくに呼吸もできなかったから、過呼吸気味に酸素を取り込むわたしの様子は、乾からみて異常にうつ……るはずもなかった。
わたしは、そこで乾を見上げたのだった。いつもとは違う瞳。ふたりには、さっきと違い、いま月明かりが差している。こいつの顔がはっきりと映っている。
鋭い瞳だった。見開かれ、獣のような笑みで――今まさに泣きじゃくっているわたしを、視線で殺すのだ。
「う、う、えっぐ、うう……乾の、乾のばかぁ……」
「……」
乾の笑みが消える。
「なるほどなあ」
わたしは、泣きじゃくっていて、姿勢はさっきのまま腹上を支配されてたけど、それでも――
「千璃、お前。よく見たら、泣きながら俺を見詰めてるじゃねえか……! すげえ興奮だ……すげえ……すげえっ!!」
こいつは壊れている。いや、壊れてなどいない。これが乾の正常なのだ。普段は真面目な公務員で、でもちょっとお茶目なところがあるって顔して、本性はこれ。けっこう、信頼してたのに。
乾は、右手でわたしの頬と顎を持ち上げる。涙が、顔の横から零れ落ちた。
わたしは本当に馬鹿だ。今日は家に誰も帰ってこない。たった1人の家族であるお姉ちゃんは、帰ってこない。
わたしは、これから犯される。こんな奴に犯されて本当にごめんなさい、お姉ちゃん。わたしは、今からこんなどうしようもない男に――
「おい」
わたしは、反応しなかった。
「おい。お前だよ」
わたしは、反応しなかった。
「千璃、お前……なんで|にやついて《・ ・ ・ ・ ・ 》んだ?」
わたしは、笑みを浮べていた。これから与えられるであろう、痛みを想像して。