♯11
あの夜から、わたしにとっての大事なことが変化しました。わたしという人間の、男性の好みが特殊なものであることが分かってしまったからです。あの人は、行為の最中に言いました。女というのは、男に組み敷かれるために存在するそうです。恋人ではなくて、他の男性から嬲られたとしても、最後には受け入れて動物のように喘ぎ、入れてくれるものがないと、動物のように鳴いて廻るのだそうです。わたしは、愛する人から行為の最中にそんなことを言われて、悲しくなりました――そして翌朝になると、それを受け入れていました。
8/19日(金)深夜
わたしの家の前に着いて、乾は驚きの声を上げる。
「でかいな、まあ田舎だしな」
「田舎で悪かったですね、マックだってそこにあるでしょ」
ダイテンホウ、とかいうのが改正されたあたりに出店したでかいマックが、わたしの家から数十メートルの距離にある国道沿いにそびえている。もちろん、24時間営業中だ。
「今は、何も食えないけどな。ちょっと食いすぎたかな」
「宇野先生ほどじゃないですけどね」
「ああ、宇野先生はしょうがないよ。身長だって190センチはあるからなあ」
そんなことを言いながら、わたしは乾を家に招き入れる。我が家は、およそ千坪ある。和風の造りで、特に植物などは植えていないから殺風景なのが気になるんだけど、今は夜だから人の目は気にしなくていい。
玄関を上がって右に。数メートルいって、居間に入る。
「コタツじゃないか、いい趣味してるな。今は夏だぞ」
「布団だけ! 実際にスイッチ点けてるわけないじゃないですか! 乾だって、すっかり春になってもコタツしまってなかったんでしょ」
それを聞いて1秒もたっていない。乾の表情が、みるみるうちに凍っていく。
「わ、わかった。とにかく、いつまで居ればいいんだ? 12時か、それとも1時か」
「わたしがいいって言うまでです。分かりましたか?」
「……わかったよ、爪楊枝くれ。このままだと口臭がひどくなるから」
つまようじを渡すと、乾は洗面台に向かう。自然体の乾は、のんびりと歩くみたいだけど、これでも試合中は、けっこう機敏に動いたりするから不思議なものだ。
乾が帰ってきてからは、2人でテレビをみた。といっても、静かな空間だ。会話もない。
深夜にやってるのって、なんかすぐ飽きるんだよね。激しいテンションのが少ない感じ。チャンネルを回していくと、やがてアニメがうつった。ああ、これか。時々ぼうっと視聴していたやつだ。小学生の子がバスケするやつ。なんか、全体的に気持ち悪い感じがする。
だって、この子たち、大人に媚びす――
「千璃、ちょっとチャンネルそのまま」
「えっ?」
乾、こんな趣味あったの? まあ、そういう気があるかもしれないってのは、律子先生がラーメン屋で話してたけど……。
「ああ、いいよ。やっぱり、もっと思想的なアニメがいいな。千璃はアニメ見るのか」
「みないです」
それからも淡々としたやり取りが続く。でも、乾の話はよく分からなかった。わたしがお酒を飲んでいて、集中力が低くなってるのもあると思う。
「やっぱり、あれが面白いよな。ピング――」
「乾」
「ん?」
「なんか食べる? お姉ちゃんの作り置きならあるよ」
「い、いや。本当に腹いっぱいなんだ。それより、このアニメ終わったら帰るわ」
いやだ。
そう思ってしまったわたしは、とにかく乾を行かせたくなくて、アニメの話にもっていこうとしたけど、普段アニメをみないわたしがロクな話をできるわけもなく。
「千璃よ、いいか。私は大人だからな」
「え……」
「からかうマネ、すんなよ」
それは、あの時の表情に近かった。レストランで啖呵を切っている時の。その暴力的な気配を受け、心臓に針がささる感じがする。
「……わかった」
酔っている今でもわかる。わたしは、精神がおかしくなってる。本当は、何がしたいの? 答えを探るのが怖い。
とりあえず、ここを抜け出して洗面台に入る。まず顔を洗って、メイクを落として、腰まで伸びる髪を整える。それから、鞄を自室のベッドに投げた。ついでに携帯と財布も。
わたしは浴室に入った。あのアニメが終わるまで、あと15分くらい。カラスの行水とばかり、わたしは服を投げ散らかし、緩やかな軌跡を描く熱水を頭のてっぺんに浴びせる。
クレンジングも、コンディショナーも。そんな余裕はなかった。身体全体を濡らし、これでもかというぐらいシャンプーを髪に散らす。腰ちかくまで伸びる髪の手入れは、はっきりいって面倒だった。でも、|千奏お姉ちゃんぐらいの長さに切ってしまうと、それはそれで、もっと残念な気がしてくる。
ただでさえお姉ちゃんはモテるのに、それと同じような髪型になってしまうと、わたしという存在が薄まって消えてしまうような気がしたからだ。
「ああ、もう!」
時間が、時間が……。いつも、ナイロンタオルの触感を楽しみにしながらお風呂に入るのだけど、今日は体を洗う余裕さえない。
再び脱衣所へ。女子力皆無の、部屋着兼パジャマ(上は黒白縞のタンクトップ、下は黄色毛糸のショートパンツ)に着替え、わたしは頭髪の後ろ側にシュシュを付けた。
「乾……?」
ちょうど、アニメが終わったところだった。
「さて、帰るか……ん。お前、シャワーしてたのか。早かったな」
わたしは、乾に近づく。わざとらしく、バストが目立つようにして屈みこんだ。
乾の瞳の色に変化があった。変化、というよりはゆがみ、とでも言った方がいい。とにかく、雰囲気までが違ってみえる。
「泥棒が2件もあったって言ったじゃないですか。3週間前、ふたつ隣が早朝に侵入されたんです」
それは事実だった。
こんな田舎で窃盗なんて珍しい事件だ。ちなみに、犯人は血の繋がった身内だったらしい。世知辛い世の中だ。でも、残る1件はずっと前のことだった。
「わたしの安全を守ってくれるんじゃないんですか?」
「……」
こんな女らしい態度をとるわたしは嫌いだった。でも、こうしないと胸が苦しくなって、切なくなって、とにかく、もっと後悔しそうだった。
「わかった。 しょうがねえな、俺、いや……私が朝まで居てやるよ。明日は鴨中学校の練習もないし」
「……!」
それから、2人でコタツにもぐった。タオルケットを使って、ふかふかのソファで寝て欲しいって言ったけど、どうしてもコタツがいいという。でも、わたしだってコタツがいい。
以上が、時刻的な意味での、今日という日の顛末だった。