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愛を吐瀉する魔物  作者: サウザンド★みかん
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1/17

♯01

 わたしだけの、隠れ家があったらいいのに。好きなだけ不安や希望を仕舞っておける、なんにもないところから作り出した――秘密の隠れ家。


挿絵(By みてみん)


5/1(日)

 天井に吊るされた橙色の明かり。障子型のそれは、わたしからみて丁度、斜め数十度の視界の中にあって、ぼうっとした強さで目の前にある料理への関心は薄らいでいく。

 美味しそうなカルパッチョ。サーモンの隣には、イクラが乗ったほたて。オリーブオイルもかかっているようだ、きらきらとした油分の軌跡が皿の上で曲線を描いている。

 でも、わたしは……。


千璃せんりちゃん、やっぱりまだ食べられないの?」

「うん……なんか、気がすすまないの。食べられるような気はするんだけど」


 たまの外食。なのに、わたしの姉である――新井千奏あらいせんかは、わたしが小さい頃から苦手な生の魚介類を注文し、あろうことか、わたしの小皿に取り分けたのだ。


「生は、無理って言ってるのに! お姉ちゃん……」

「泣かないの」

「泣いてない! 悔しくもないし」


 わたしは、泣き虫だった。ちょっと嫌なことがあっただけでも、すぐに涙腺が緩んでしまう。


「そういえば、お姉ちゃん。今日の練習、律子先生休みだったね、なんか聞いてる?」

「うーん、あの人、いつも自分のことあんまり言わないから。勘だけど、恋愛の関係じゃないかしら」

「恋愛……!」


 反応せざるを得なかった。だって、あの律子先生がデートだなんて。そういえば、ここ1ヶ月。金曜日の練習は1回しか出ていない。もしかしたら……。


「千璃ちゃん、もしかして想像してるの?」

「うん、だって気になるし」


 律子先生の恋愛……恋愛……。


「千璃ちゃん、聞きにくいけど……気になる人がいるってことよね?」

「ちっがーう! いないから、いないって!」


 ぜんぜん違うって、お姉ちゃん。わたしはただ、律子先生の恋のことが気になって……ああ、はいはい。恋愛なんて、したことないですよ! 男性を好きになったことすらない。


「そ、そういうお姉ちゃんはどうなのさ、好きな人いること知ってるんだから、みえみえ」

「ちかいうち、ちゃんと教えるから」

「……」


 言ってくれなくたって、こっちはとっくに知ってる。

 一年半前からだった。お姉ちゃんの趣味とか、色々変わった。傾向が変わるとかじゃなくて、明らかに影響を受けてるようだった。だって、だってあの千奏お姉ちゃんがあんな――


「話題、変えましょう? インターハイの話」


 はぐらかされてしまった。

 でも、実際に必要な話だったりする。インターハイ予選は、来月の半ばに行われる。お姉ちゃんは勿論、一年生のわたしにとっても大事な機会だ。


「千璃ちゃん、すごかったわね。4月の県大会で優勝して、中国大会でも同じく優勝。私なんて、県大会でも勝てなかったのに。6月の予選が楽しみ」

「でも県体は3位で、中体は2位だったでしょ。十分じゃん。てかお姉ちゃん、わたしより柔道強いでしょ」


 わたし達は、小学校低学年から柔道をやっている。ある日、道場まで父親に連れて行かれ、練習を見学した。

 人が、人をまるで魔法のように投げているのを間近でみて、わたしは、父に柔道をやりたいとねだった。お姉ちゃんは嫌がってたけど、わたしがやろうよっていったら、しぶしぶやってくれることになった。


「階級差があるからね。千璃ちゃん、わたしよりも細いから。こんなに食べたら、わたしまた……」


 そう言って、お姉ちゃんは、わたしの目の前からカルパッチョの小皿を取る。また、はぐらかされてしまった。はあ……。

 それから小一時間ほど楽しんで、わたしたちは会計に向かった。ほの暗い店内、照明に反応するかのような薄茶色で光る、板張りの細い廊下。そこを歩いて、やがてレジに。後ろにも、もう一組がついて来ている。さっき、別の廊下から出てきて鉢合わせするようなタイミングになって、あちらの方が、さっと後ろに下がったのだ。

 付き合ってるんだろうか、暗がりでよくみえなかったけど。女の人が、男の人の腕を掴んで引き戻していた。


「8400円です」


 財布を取り出そうとするお姉ちゃんの動きは、ちょっとぎこちなかった。それもそのはずで、わたしだって、そうなってたかもしれない。

 だって、お会計は6300円になるはずだったから。初めて来る店だから確信はないけど。


「す、すいません」


 意を決して、わたしは問う。


「6300円じゃないですか?」


 伝票を見詰める店員さん。そして、奥へと歩いていき、すぐに戻ってきた。


「間違いなく8400円ですね。こっちのコースですよね」


 わたしとお姉ちゃんは、目をこらす。確かに、そのコースを食べていた。でも、わたしたちが頼んだのは、それとよく似た1000円安いコースだったはず。


「じゃあ、注文を受けにきた店員さんが……?」


 千奏お姉ちゃんがぽっと呟く。レジ係の店員さんは複雑な表情で、


「では、4000円のコースということでよろしいでしょうか。こちらもちょっと……かもしれませんが。8400円になります」

「食べた後ですいませんけど、でもちょっと変じゃないですか」


 お姉ちゃん。


「いや、お客様。でも食べられましたよね。そりゃあ、完全にお客様が悪いわけじゃないかもしれないですけど」

「わたしたちは、こっちのコースを確かに注文しています。そちらで話し合ってもらえませんか」

「無理です。後ろで、他のお客さんも待ってます。もし払っていただけないなら……」


 お姉ちゃんの顔つきは、どんどん険しくなっていく。


「払っていただけないなら?」


 突然だった。後ろから野太い声。男の人だ、おじさんだろうか。


「……」


 わたしの世界が、少しだけうごめく。

 脂っこそうな肌。中肉中背でも褒め言葉になりそうな、太めの上半身。髪の毛は……あんまりなかった。

 男の人だ。


「払わなかったら、どうなるんですかね」

「警察……しか」

「この子らの注文する意思表示とか、動機の錯誤で無効だとか、そういう話じゃなくってね、そっちがミスったんだったら、金額に関わりなく安い方を適用すべきじゃないんですか」

「でも、結果として4000円の方を食べられたんですから、それは払ってもらわないと」

「いやいや、おかしいやろ!!」


 なに、この乱暴な人。こんな非常識な人、テレビでしかみたことない。わたしは嫌悪感でいっぱいになる。

 お姉ちゃんをみる。淡々とした表情で、その場を睨んでいる。ああもう、なんでこうなるの?


「もしどうしても払って頂けないなら警察に言います」

「そうですか、じゃあ私は詐欺に遭いましたと、あなたが呼んだ警察官に言います」


 店員の表情が凍った。


「そんなこと出来ません!」

「頼んだメニューと違うものを運んで、その料金を取ろうってんだろ。詐欺じゃねえか!」


 このおっさん、早くなんとかしてよ。「お姉ちゃん早くお金払って帰ろう」と言いたいけど、空気が重い……。


「ちょっと、なにしてるんですか」


 奥の方から、スーツを着た中年の男性が出てくる。こっちのおっさんみたいな肥満気味体形じゃなくて、がっちりしたタイプだ。店長の人だろうか。


「もしかして、暴力団の方? 1000円で因縁を付ける気ですか。警察、本当に呼びますよ」

「呼べよ」

「……」


 店長さん(多分)は険しい顔つきになり、電話に手を延ばそうとする。


「店の中に警官が入るが、本当にいいのか? 店主。店の前にパトカーが停まるかも」


 店主、と呼ばれた男の人の手が一瞬止まる。受話器を放して、こちらに向き合った。イラついた表情。


「なあ、店主。額の問題じゃないんだよ。これは大事な問題だ」

「なにがですか、さっきから乱暴な態度ばかりを取ってると思ったら、急になんです」


 ここで、わたしの左手が引っ張られる。そして後ろを振り向けば――律子先生!?


「こっち、こっち。後ろでみてて」


 え、じゃあ、あのハゲたおっさんが、律子先生の――?


「金額の問題じゃない。結果的に、ぼったくりになってないかということだ。もしも、あなたの店の店員が原因だったなら。また、こういうことを起こすぞ。今日のホール係と、そこの接客係は」

「……」

「それで今度は、インターネットに色々書かれ、この飲食店の株は落ちるわけだ。私が言いたいのは、そういうことだ。真剣に考えたいと思ってる。だから、たかだか1000円でも払うわけにはいかない。個人的には、このぼったくり問題について法的な場で――あなたと決着を付けたいと思ってる」

「……」


 レジ係は、さっきからふてくされたような面持ちを保っている。店長さんは、半ば呆れ顔だった。


いぬいさん。この子らの料金は6300円にします」

「そうですか、それはどうも。他の客に聞こえるような大声を出すことがなくてよかった」

「乾さん、いつも来て頂いてありがとうございました。あなたを出入り禁止にします」

「……恐縮です」


 この男、ほんと意味わかんない。


「そちらの女の子たちも」

「あぁ? おいコラ、今なんつったよ。こいつら他人だよ、関係ねえだろ」


 乾と呼ばれた男は、店主を藪睨みする。


()とこの子ら、知り合ったばっかだぜ。赤の他人。こっちの女性は同僚だが」


 微妙な空気が支配した。出入り禁止とかどうでもいい、こんな店、2度とこないし。そんなことより、後ろで控えていた律子先生とお姉ちゃんに視線をやる。和気藹々とおしゃべりに興じていた。


「もう、お姉ちゃん!」

「ああ、はいはい。ごめんね、千璃ちゃん」


 帰り道は、いつも電車と徒歩だった。駅に着くまでの10分間は、その日の練習を振り返る大切な時間だ。今日はお姉ちゃんとたまの食事だったから、楽しい回想になるはずだった。

 なのに、あの男のせいで。


「お姉ちゃん、あいつ本当にありえないよね」

「そう? いい男の人じゃなかった?」

「お姉ちゃん、なにいってんの? すぐキレるんだよ? しかもハゲなんだよ?」

「千璃ちゃんには、まだ早いかな」


 なにがよ。わたし、あんな乱暴な男の人、嫌い。大嫌い。

お読み頂きありがとうございます。「愛を吐瀉する魔物」は、すでに完成しており、文量的にはライトノベル0.5巻分です(。。)...


更新ペースですが、前半部分は毎日投稿します(一週間ぐらい)。それで後半部分は3日に一度の投稿となります。ご了承ください(。。)...

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