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私は『愚か者』と呼ばれている。
誰ひとりとして名を呼ぶことなどない。
そう呼ばれても当然の行為をした。
その自覚は十分持っている。
私は伯爵子息であった。
いまはただの穀潰しだ。
私は同じ伯爵家で次期当主が決まっている令嬢の婚約者候補だった。
公爵家の親戚だとかで、当時から彼女の後ろ盾になっていたらしい。
そのことが知られたのは婚約者候補を立てたあと。
どこの誰が候補者になったのかは非公表。
でも私は愚かにも口を滑らせた。
…………まわりから羨ましがられていい気になった。
取り巻きに煽られて図に乗った。
非公表の理由は、少し考えれば分かることだった。
候補者の足を引っ張り引き摺り下ろして空いた席に自分や息子を座らせる人たちから身を守るため。
たとえ空席ができたからといって、他者の足を引っ張るような者を候補者に据えるはずがないのに。
彼女の誕生日に〈婚約宣誓書〉にサインすれば婚約者に…………
いや、ほかにも候補者がいたため、自身を磨かなくてはならなかった。
それを疎かにし、婚約者に決まったなどと勘違いしていた。
それが、後輩に気になる令嬢が現れて、二人を天秤にかけるようなことをした。
バカだよな。
いま思えば、留学生で王子のクラスメイトってことは婚約前の交流だと分かるだろうに。
それも高位貴族令嬢がまわりを固めていたのだ。
私みたいに近寄ろうとする子息たちを排除するために。
あの日、私が婚約者候補を降りた日。
学園から帰宅するとすでに父が帰っていた。
執務室で仕事中だそうなので、婚約者候補から外してもらったことを告げるのは夕食時にした。
何考えていたんだろうな。
父が忙しかったのは、私が伯爵令嬢との婚約が成立したらそれどころではないからだ。
……父も母も夢を見ていたんだ。
私が公爵家の後ろ盾を得た伯爵令嬢の婚約者に内定しているのだと。
いや、心の奥底では『次期公爵家当主に選ばれた伯爵令嬢の婚約者』だなんて勘違いしていたのかもしれない。
「今日はお早いお帰りでしたね」
「ウム。もうすぐお前の婚約発表が控えておるからな」
「ああ、それでしたら婚約はお断りしました」
私の放った爆弾発言に両親だけでなく執事やキッチンメイドたちまでが驚いた。
しかし、帝国からの留学生の話をすると目を光らせたようだった。
中堅国といわれるこの国と帝国を比べるなど愚の骨頂。
それも相手は侯爵令嬢なのだ。
そのような令嬢と婚約できれば、いまよりも生活は向上するだろう。
況してや、私は継ぐ家を持たぬ第二子で婿入り希望。
私が帝国の侯爵家に婿入り、もしくは余っている爵位を貰い受けたとしてもこの国よりは価値が高いだろう。
そうなれば、両親を呼び寄せて帝国で暮らすことも可能になる。
まだ何も始まってもいない、挨拶すらしていない相手との関係を、私はすでに確定した未来のように両親に告げた。
このときに兄がいたら、殴ってでも止めてくれただろう。
ただ、兄は領地経営を学ぶため領邸にいた。
私の婚約は「本決定したら連絡してくれればいい」と言われていた。
元々、父が頼み込んで婚約者候補に捩じ込んだのだから、正式に選ばれることはないと分かっていたそうだ。
兄が弟の愚行と両親の犯した取り返しのつかない悪行を知ったのは、公爵家から迷惑料という名の慰謝料を請求されたとき。
急いで戻ってきた兄は、公爵家から請求された慰謝料のうち、いますぐ用意できる金額と少し時間はかかるものの王都邸や家財を売り払って捻り出した金額を算出して公爵家に向かった。
公爵と兄との間でどのような話があったのかは教えてもらえなかった。
ただ決定事項として告げられたのは、
・私の学園退学、領都にて謹慎。
・当主の委譲(当主は兄へ)。
・爵位の降格(伯爵位から子爵位に)
それに伴い領地の縮小も決定した。
爵位によって与えられる領地の広さが決まる。
1/3の領地は国にお返しされ、そこはいま王領地となっている。
兄に当主を譲った両親は、これまでの領地経営の失敗の責任も問われた。
父は領地経営を代理人に任せて一度も視察など行ってこなかった。
そうすれば、代理人や各所の最重要な立場の者たちがダラける。
気付けば、横領はなかったものの不要な施策とそれに費やす費用や人材費は各所の自己判断で決定され、当主には事後報告のみが挙げられていた。
兄が梃入れを始めた結果、無駄な施策はあらかた削除され、不要な部署は解体されて正しい形で経営が始まった…………ばかりだった。
両親は領地のどこかで幽閉されているとのこと。
領地経営を疎かにしていた父は、皺寄せを受けていた領民たちから恨まれているのだろう。
下手に自由な生活などさせて領民の目に入ったりすれば、暴動が起きてもおかしくはない。
「大切な領民を前伯爵夫妻に対する暴行や殺害で絞首刑にしたくはない」
たとえ領民であり、正当な理由も同情される事情があろうと、平民が貴族を害せば問答無用で一家揃って縛り首だ。
それが貴族制度であり、逆に貴族が平民を皆殺しにしても罪に問われない。
領地が縮小されて、領民は飽和状態。
不満は元凶に向けられるのは当然といえる。
私が領都に留め置かれたのも、領民から向けられる目を一番わかりやすく受けられるからだ。
陰口は貴族社会でも頻繁に起きているため、精神的にはそれほど負担はかからなかった。
辛いのは、心の中でどう思おうと表面上では敬ってみせる貴族と違い、平民はハッキリ嫌悪をあらわすことだ。
彼らの中では私の名は『愚か者』か『穀潰し』だ。
兄は私に仕事を与えなかった。
使用人からは最低限の世話は受けていたが、領地経営を任されたわけではないため領地内の視察に出ることもなければ、決裁権を持たないため陳情書は届かず、何が起きているのかも知らされてはいない。
だいたい、領邸から一歩外に出ればまわりから白い目で見られて陰にもなっていない陰口を叩かれるだけ。
護衛すら伴わない私である。
私を殺したとしても、全員が口裏を合わせて外部から来た者の犯行だ、混乱に乗じて犯人は逃げてしまったと証言したら……
きっと兄は御座形な調査をして『犯行に及んだ者の行方は未だ知れず』で済ませてしまうだろう。
私は自然と領邸から出ることはなくなった。
ただ、広い庭の片隅を借りて、自身で消費する分の野菜を自ら育てることにした。
初めの頃は上手くいかなかった農作業も、5年目あたりから実をつけ始めた。
朝早くから剣術の稽古をするより、鍬や鋤を手に畑を耕す方が筋力がついた。
雨風など自然と直接関わることから、私には備わっていなかった『先を見通す目』が養われた。
「雨の日は邸宅の中でおとなしく過ごす」のが当たり前だった貴族と違い、水捌けなどを気にして豪雨の中を様子を見に行くようにもなった。
そうして気付けば、見かねた農家出身の使用人たちが影から助けてくれていたことを身をもって知ることができた。
彼らの慈悲そのものが、彼らの生活を守る貴族の使命と何ら変わらないことを、反省とともに兄へ手紙で伝えた。
兄は別の場所に領邸を建てており、この元領邸は別邸として私に払い下げられたことが伝えられた。
けっして領地経営など子爵家と関わることはないが、元領邸とその周辺を好きに使う許可が与えられた。
領邸から一歩も出なかった私は知らなかったのだ。
領地が狭まれば、領都も変わることを。
領都は此処から移転し、此処は領界線寄りの集落と化したことを。
私はまず、領邸との境界線である塀を取り除いた。
そして放置された土地を少しずつ開墾して畑を広げていった。
この地に残った人たちも半数以上いたため、彼らのために花畑をつくった。
休田させる畑に花の種を蒔き、枯れ果てたら花たちには畑の栄養になるよう土と混ぜていく。
翌年にはそこで農作物を育て、別の場所で花を育てる。
もちろん、花壇のように低木のバラを植樹していつも楽しめる植物園も併設している。
あれから三十年。
当主を引退した兄が私のところへ訪ねてきた。
私はようやく、兄と対面で心の底から詫びることができた。
私がたくさんの人たちの協力ではじめた植物園は、いまでは領内最大の観光資源として兄を支えていたらしい。
「その努力が認められ、子爵位から伯爵位へ陞爵されたよ」
それに伴い、王家に返還されていた元領地が戻されることになったらしい。
「それでも、私が過去に起こした愚行は消えることはありません」
「その過去があるからこそ現在がある」
肩にのせられた兄の老いた手。
しかし、あたたかいその手に私の涙腺がゆるむ。
兄は数日、私の屋敷で過ごして新たに増えた領地へと向かった。
手を離れていた間にどのように変わっていたのかを知るために。
兄が滞在している間、私たちは懐かしい日々を語り合った。
ともにこの領邸で暮らした幼い日々を。
転機のあの日々とその後のことは何も語らず。
私から両親のことを尋ねなかった。
兄も私に語ることはなかった。
兄には兄の家族がいる。
私にも、師匠として慕ってくれる仲間たちがいる。
私たちはすでに両親の庇護という名の影響から抜け出して生きているのだから。




