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4.報告

「私たちは、報告した。見たもの、聞いたもの、信じたくない現実を。それでも、世界は止まらなかった。」


■■■■■■

 

 気がつけば、空が赤く染まり始めていた。夜が明ける――そう思った時、私は救命ボートの上に横たわっていた。

 どれほどの時間が経っていたのか分からない。

 全身が痛み、まともに動くこともできなかった。


 ボートの周囲には、かつての仲間たちの姿はほとんどなかった。

 水面に浮かぶヘルメット、砕けた木材、そして時折、海面を割って姿を現す背びれ。

 日本近海に生息するサメたちは、既に“宴”を始めていた。


「ははっ、明るくなった途端にサメが来やがったんだ。俺たち、運がいいな」


 かつて鬼軍曹と呼ばれた男は笑いながら、ビール瓶を片手にラッパ飲みしていた。

 その瓶は割れていて、中身は無かった。


 結局、生存者は私を含めて数人しかいなかった。

 誰もが虚ろな目をしていた。

 何を見て、何を失ったのか。

 言葉にするにはあまりにも重すぎた。


 それから数時間後、海上を漂っていた私たちの元に艦隊がやって来て、救出された。

 後で知ったことだが、彼らは沖縄部隊からの断片的な通信を受け、当初の予定を変更して急行してきたのだという。

 通信の内容はほとんど意味を成しておらず、「怪物」や「艦隊壊滅」という断片的な単語が並んでいただけだったらしい。


 救出された私たちに、艦長は言った。


「安心しろ。もう大丈夫だ。……だが、何があった?これは戦争の被害じゃない。嵐でも爆撃でも、こんなことにはならない」


 誰も何も答えられなかった。

 霧影のことを話そうとした兵士が一人いたが、うまく言葉にできず、喉を詰まらせて沈黙した。

 怪物と遭遇したことなど、正気の者が語っても信じてもらえるはずがなかった。

 だからこそ、艦長がふと口にした言葉に、私たちは一斉に反応した。


「沖縄へ行こう。何があったか、確かめたい——」

「やめろ!!」

「戻るな、あそこへ!」

「冗談じゃない!!」


 まるで打ち合わせでもしていたかのように、私たちは同時に叫んだ。

 声を荒げ、感情を露わにした。

 無意識の反応だった。

 あの地にもう一度足を踏み入れるなど、考えるだけで吐き気がするほどだった。


 その場にいた艦長や士官たちは、一瞬言葉を失っていた。

 だが、私たちの目を見て、艦長は悟ったのだろう。

 これが単なる戦闘のトラウマや誇張ではないことを。

 そこには本物の“地獄”があったのだと。


「……了解した。基地へ戻る」


 短くそう告げると、艦長は背を向けた。

 誰もそれ以上、何も言わなかった。

 艦がゆっくりと反転し、沖縄から離れる方向へと進み始めたとき、ようやく私たちはわずかに安堵の息を吐いた。


――――――

 

 私たちはグアムの米軍基地へと収容された。

 負傷者はすぐに医療班に引き渡され、治療を受けた。

 だが、血のにじむ包帯やギプスの重さなど、霧影に比べれば取るに足らない傷だった。


 手当てが終わると間を置かず、私たちは尋問室へと通された。

 そこにいたのは情報部の将校たち。

 冷たい目と、書類の束と、録音機器。


 「見たことを、正直に話してくれ」


 私は、いや、私たちは語った。

 荒唐無稽だと笑われるのは分かっていた。

 それでも、見たまま、聞いたまま、感じたままを報告した。

 

「地中から突然現れ、艦隊を一方的に破壊した」

「これまでの報告とは異なり、明らかに敵意を持っていた」

 

 情報部の反応は予想どおりだった。


「日本軍の新兵器ではないか?」

「幻覚作用のあるガス兵器の可能性もある」

「精神的ショックによる集団幻覚の線も——」


 彼らは私たちの証言を疑っていた。

 当然だろう。

 これまでの霧影といえば、いかに異質といえど、戦争に介入しない生物でしかなかったのだから。

 

 太古の時代から日本列島に生息していたとされるこの怪物は、常に静かに霧を撒いて田畑を潤すだけで、決して人を襲うことはなかった。

 戦時中も例外ではなく、霧影はあくまで傍観者であり、どこの国の脅威にもならないはずだった。

 その霧影が突然、艦隊を壊滅させたと?

 常識では信じがたい話だった。


 だが、私たち生存者の証言は次々に一致していた。

 話すたびに細部が噛み合い、矛盾もなかった。

 何より、救助に駆けつけた艦隊が回収した巡洋艦の残骸、そして未だに沖縄の部隊と連絡が途絶えたままという事実が、私たちの証言の裏付けとなっていた。

 報告書に目を通した高官たちは、表情こそ変えなかったが、その眼の奥に浮かぶ戦慄は隠せなかった。

 

 軍は情報を整理し、急遽、最高機密扱いとした。

 そして私たちは、霧影に関わる特別調査部門への所属を命じられた。

 おそらく、直接霧影の襲撃を生き延びた者には知る権利があると判断されたのだろう。


 そこではじめて、私は知ることになった。

 なぜ、アメリカや国際社会が霧影のことで日本に圧力をかけていた真の理由を。


 それは表向きに公表されていた、「得体の知れぬ巨大生物を日本が兵器として利用しようとしてるかもしれない」という理由だけではなかった。

 霧影が日本に及ぼしていた影響、その“恩恵”とも言える現象が、各国の諜報機関によってすでに把握されていたのだ。


 霧影が出現すると、その周囲の田畑は肥沃な地に変わり、作物は通常では考えられない速度と質で成長した。

 その影響は農業にとどまらず、海洋にも及んでいたらしく、漁業資源の豊富さや海産物の成長も異常な活発さを示していた。

 実質的に、日本の食料自給率は戦時下とは思えない水準に達していた。

 資源不足に苦しむはずの戦時体制が、奇妙なほどに持ちこたえていたのは、まさにこの“霧影の恩恵”によるものだった。


 さらに驚かされたのは、過去の世界的な飢饉の記録と霧影の目撃情報の符合だった。

 文献や地誌を精査した結果、数世紀前から日本では他国に比べて飢饉による人口減少が異常なほど少なかったという事実が浮かび上がった。

 その背後には、周期的に現れる霧影が土地を浄化し、作物の生育を助けていた可能性があると、軍の分析は結論づけていた。


 だが、それだけではなかった。

 霧影がもたらす恩恵は“農業”や“漁業”といった平和的な分野にとどまらず、実は“軍事”にも及んでいたのだ。

 戦時中、日本軍は私たちの想定を超える高度な装甲技術を有していた。特に対戦車兵器や航空機の装甲に使われていた新型合金は、異常なまでの防御力と軽量性を両立していた。

 軍はそれを長らく、秘密裏に進められてきた新素材開発の成果と見ていたが、霧影の存在が明らかになるにつれて、別の可能性が浮かび上がってきた。


 日本が使用していたその特殊金属の一部——その原料には、霧影の“棘”から剥離・脱落した体組織が含まれていたというのである。

 霧影は定期的に棘を放出しており、それはまるで自然に“抜け落ちる羽”のように、時折地面に突き刺さった。

 棘は強靭でありながら、自然環境を活性化させる性質を持ち、周囲の植物や土壌、果ては動物までもに異常な成長と変化をもたらしていた。

 

 本来であれば自然に還元されるはずのその棘を、日本は密かに収集し、独自の精製技術で兵器用素材へと変えていたのだ。

 それは金属と高い親和性を持ち、適切な処理をすれば従来の鋼鉄を凌駕する合金となる。

 装甲車両、戦闘機、さらには艦船にも応用されていたという証拠が、押収された軍事記録や工場の報告書から次々と発見された。


 それは霧影の影響を受けものも同様だった。

 霧には動植物や人間を活性化させ、進化を促す作用を持っており、それが戦争に大いに活用されていた。

 トカゲの鱗は金属として兵器の装甲に、とある木の爆発性の実は火薬として。


 私は戦慄した。


 霧影という生物が、日本の自然と資源、食料だけでなく、兵器にまで影響を与えていたとは思いもしなかった。

 もしこの事実が公になれば、日本の軍事力の根幹が完全に見直されることになる。

 それだけの強大な力を、日本は長年にわたって独占していたのだ。

 

 自然の加護、資源の豊穣、兵器の素材——霧影がもたらすあらゆる恩恵を、他国が知らぬままに。

 霧影が存在する限り、日本という国は単なる島国ではない。

 地球上において、最も強靭で、最も安定した資源供給網と、環境支援機構を抱える“特異点”として存在していた。

 

 アメリカや国際社会が日本に圧力をかけたのも当然だった。

 いや、圧力という言葉はまだ穏やかだ。

 彼らは——私たちは、力ずくでも霧影を掌握しようとしていたのだろう。

 

 霧影が一体いるだけで、国家の形が変わる。

 国力、経済、食糧、軍事、あらゆる戦略バランスが、一瞬で覆される。

 もはやそれは、生物の姿をした“資源の神”だった。

 

 これまで世界中のどこにも、類似する生物は発見されておらず、霧影の存在は日本列島に限られていた。

 地球上でもっとも貴重な、唯一無二の存在。

 それが、たった一匹しか確認されていないという事実。

 

 ゆえに、軍は監視こそ続けたものの、捕獲や解剖といった、肉体を損なうような干渉はあえて避けていた。


 当初は、いずれ戦争が終結すれば、アメリカが主導して霧影を詳しく研究し、必要であれば本土へ移送――あるいは、日本を実質的に属国化することで管理下に置く。

 それが上層部の青写真だったのだという。


 だが、状況は一変した。

 霧影が、明確な意思を持って私たちを襲った。

 もしかすると、東京空襲の際に突如として実行部隊が消息を絶った件も、霧影が関与していたのかもしれない。

 

 そうなると、霧影はもはや“奇妙な生き物”ではなかった。

 日本の戦争継続能力を陰で支える“資源”であり、そして今や、米軍を襲撃した明確な“敵”だった。


 軍内部は、激しく意見が割れた。


 一つは、霧影を早急に駆除すべきだと主張する急進派。

 

「霧影を放置する限り、日本は戦争を継続できる。ならば排除するまでだ。沖縄での損害は許容できない。霧影はもはや“資源”ではなく“脅威”であり、これを撃滅すれば、以後の戦局は通常の兵力差で押し切れる」

「さらに、その死体を回収・解析できれば、アメリカは比類なき優位を得る。むしろ“攻撃こそが最善の選択”だ」

 

 もう一つは、当初の方針を堅持する確保派。

 こちらは主に政治家を中心とし、「霧影を刺激せず、まずは日本を確実に降伏させる。その後、“保護”の名の下に霧影を接収し、管理すればよい」と主張した。

 「未知の存在と無理に衝突して犠牲を増やすよりも、戦争を終結させ、静かにすべてを手に入れるべきだ」と。


 最終的に採られたのは——後者だった。


 理由は明白だった。

 私たちの報告から割り出された、霧影を駆除するために必要な戦力と、予想される犠牲は、今のアメリカにとって到底容認できる規模を超えていた。


 何より、霧影がなぜ突然襲撃してきたのか、その理由が依然として分かっていなかった。

 それまでは、霧影は一切戦争に関与していなかった。

 それならば「私たちの行動次第では暴れない可能性がある」、そう考える余地もあった。


 もちろん、本当に霧影が再び牙を剥かない保証などどこにもない。

 制御できるかどうかも未知数だ。

 だが、そんな不確定要素をもかき消すほど、霧影が持つ“環境への影響力”は、あまりにも魅力的だった。

 世界を変えうる力が、そこにあったのだ。


 そして、彼らが選んだ“日本を降伏させる手段”——それが原爆投下だった。


 この決定は、驚くほど速かった。

 霧影を排除せずに手に入れるには、日本そのものを打ち砕くしかない。

 徹底的に、決定的に、二度と立ち上がれぬほどに。

 

 1945年7月、大統領は新型爆弾の実戦使用を正式に承認した。

 広島、長崎——目標地は速やかに選定され、作戦は粛々と準備された。

 だが私の頭には、別の不安が渦巻いていた。


 霧影は、果たしてこの一連の動きに沈黙したままでいるのか?

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