表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/13

3.夜襲

「戦争は、勝利に向かっていた。少なくとも、あのとき私たちは、そう信じていた。」


■■■■■■

 

 艦隊の失踪により、その後の空爆は中断され、私たちは慎重に今後の戦略を練り直す結果となった。

 通信も救難信号も発されず、ただ沈黙と残骸だけが漂っていたというあの事件――あれを境に私たちは日本の新兵器や戦略に強い警戒を抱いた。

 だが、それ以降、同様の事件は二度と起こらなかった。


――――――


 あれからの戦争はアメリカ優位に進んでいた。

 当初こそ日本人特有の強靭さと兵器には苦戦を強いられたが、所詮は人間である。

 攻撃を受ければ傷付くし、銃弾を浴びれば倒れる。

 戦いが進むにつれ、アメリカの圧倒的な兵力と強力な兵器、そして戦略を以て太平洋戦争はアメリカの勝利に近づいていた。

   

 そして、1945年。

 アメリカ軍は日本本土への侵攻に向けて、その最初の大規模な一手を打った。

 沖縄上陸作戦。

 太平洋戦争において最大規模の上陸作戦であり、同時に、私にとって“最初に恐怖の記憶”を残す作戦でもあった。


 当初の経過は順調だった。

 激しい抵抗こそあったが、私たちの物量と制空権は明らかに日本軍を上回っていた。

 艦隊は戦艦、巡洋艦、駆逐艦を合わせて十数隻におよび、圧倒的な火力と兵力を背景に、次々と上陸拠点を確保していった。

 野戦基地が築かれ、補給線も安定し、少なくとも戦術的には成功と呼べる進行だった。

 

 まだ侵攻は始まったばかりだったが、誰もが日本の敗北は時間の問題だと確信していて、空気は楽観的だった。

 私はテントで同僚たちとコーヒーを飲みながら、ぼんやりと会話を交わしていた。

 前線にいた兵士たちは、疲れ果ててはいたものの、安堵したような表情を浮かべていた。本土決戦が始まる前に、少しは休める——そう思えば、誰もが肩の力を抜いていた。


 酒を密かに持ち込んでいた奴もいた。

 ある者は甲板でタバコをふかしながら、海の向こうに沈む陽を見つめていた。

 誰もが、この戦争の終わりを、現実のものとして想像し始めていた。

 

「これだけやられりゃ、日本も降伏するだろう」

「……ああ。あとは本土決戦か。だが、そこまでもつかね?」


 そんな他愛ない会話すら、あの時の私たちには、勝利の余韻のように聞こえていた。

 もし日本がまだ戦い続けるなら、さらに強力な攻撃を加えるだけだと——。


 だが——その安堵は、長くは続かなかった。


――――――


 最初の衝撃は、私が眠りにつこうとした夜だった。

 テントの中、薄い毛布を肩にかけてまどろんでいた、その時だった。


 突如として地面が爆ぜた。


 激しい振動が地面を揺らし、耳をつんざくような轟音があたりに響いた。

 何が起きたのか分からない。砲撃か?空襲か?それとも味方の誤爆か?

 反射的に外へ飛び出すと、そこには異様な光景が広がっていた。


 戦車隊や仲間が寝ていたはずのテントは影も形もなく、地面が大きく抉れ、巨大な大穴がぽっかりと口を開けていた。

 まるで、内側から爆発したかのように地面が裏返り、土砂と鉄骨の破片が空へと舞っていた。


 爆発跡なのは明らかだった。

 しかし、私の直感が叫んでいた。

 砲撃でも、航空爆弾でも、あれほどの規模にはならない。

 そんな破壊力は、私の知る限り存在しない。


 私は混乱の中で身を低くしながら、仲間と顔を見合わせた。

 誰もが目を見開き、言葉を失っていた。

 その時だった。


 ――穴の中から、“あれ”が這い出してきた。


 闇と霧が、穴の底からじわじわと溢れ出すように広がり、そしてその中から、巨大な影がゆっくりと姿を現した。


 無音のまま地を這うような動き。

 そして、空気が冷え込むような異質な気配。

 私の脳が拒絶しようとしていたが、理解した。


 ——霧影だった。


 だが、これまでの報告や、私自身が見てきた姿とはまるで違っていた。

 かつては霧の中を静かに漂い、人間に無関心だったその生き物は、今、異様なほど鋭い眼光を放ち、口元からは熱を帯びた蒸気を荒く漏らしていた。

 その一歩ごとに、地面が微かに震えた。

 まるで地そのものが、その存在に怯えているかのように。

 

 霧影は後ろ足で立ち上がった。

 いつもの四足の姿勢でも十分すぎるほど巨大だったが、立ち上がったそれは、もはや“山”だった。

 黒く濡れた皮膚が軋み、筋肉が波打ち、霧の中から現れたそれは、私たちの知る悠然たる神獣などではなく、獰猛な獣だった。


 そして、咆哮した。

 それはもはや音ではなく、衝撃そのものだった。


 霧影の咆哮が周囲に放たれた瞬間、世界が一瞬静止したように感じた。

 次の瞬間、爆風のような衝撃波があたりを襲った。


 テントが吹き飛び、人が宙に舞い、戦車が軋みを上げて横倒しになる。

 耳を塞ぐ間もなく、鼓膜が張り裂けそうな痛みが頭に響いた。


 仲間のひとりが、叫び声をあげる間もなく吹き飛び、私は地面に叩きつけられて砂と血の味が口の中に広がった。


 ——おとなしい? 無害? 守り神?


 違う。

 そんなものではなかった。

 あれは、怒りと憎悪に満ちた存在だった。

 そして、その憎しみは明らかに“人間”に向けられていた。


 そして、戦いが始まった。


 ――いや、戦いなどとは呼べなかった。ただの、一方的な蹂躙だった。


 霧影は咆哮と共に腕を振り下ろし、足元にいた兵士たちを、虫けらのように叩き潰した。

 地面が轟音と共に割れ、人も機械も血と鉄の塊と化して地面に埋まった。


 尾がうねり、横薙ぎに払われた。

 テントも、砲座も、塹壕さえも、何もかもが紙のように吹き飛ばされた。

 ――明らかだった。

 あれは無差別に暴れていたのではない。

 私たちを狙っていた。


「撃て! 撃てぇぇ!!」


 誰かの叫び声が夜空に響き渡った。

 戦車が砲火を上げ、弾丸が霧影の胴体に炸裂する。

 命中した。

 だが、効いていない。


 霧影は微動だにせず、次の瞬間、戦車を片手で掴み上げると、まるでおもちゃのように兵士たちへと投げつけた。

 爆発音と断末魔が入り混じり、辺りは地獄と化した。

 

 最初の地面の爆発で、私たちはほとんどの戦車を失っていた。

 残された数台も、暴れ回る霧影の前では何の意味もなかった。

 次々と踏み潰され、押し潰され、火を噴きながら沈黙していった。


 私たちは、機関銃を構え、榴弾を撃ち、できる限りの抵抗を試みた。

 だが、それはまるで、嵐に小石を投げるようなものだった。

 霧影は私たちの攻撃などまるで意に介さず、ゆっくりと医療施設へと歩を進めた。

 そこには、先の作戦で負傷した兵士たちが収容されていた。

 施設は一瞬にして崩れ、内部にいた者たちの断末魔が、耳を塞ぎたくなるほどの凄絶さで響き渡った。


 その直後、日本人捕虜たちが収容されていた建物の壁が崩れ、日本兵と沖縄の民間人たちが混乱の中で外へ飛び出してきた。

 彼らは、ちょうど霧影の正面に出てしまった。

 絶望的な距離だった。


 そして、霧影は足を止めた。

 明らかに、彼らを見た。


 この時、私は心の奥底で「チャンスだ」と思った。


「今だ……あの怪物が日本人たちを蹴散らしてくれれば、自分たちは逃げられる」

 

 そう思ったのだ。


 今にして思えばあまりに利己的だったが、あの時の私にとって、道徳や倫理などどうでもよかった。

 ただ、生き延びたかった。ただ逃げたかった。それだけだった。

 

 しかし、現実は――残酷なまでに裏切った。


 霧影は日本人たちを無視し、彼らの背後にいた私たちの方へと、突進し始めた。

 ――いや、無視したというより、避けたのだ。

 明らかに目の前にいた彼らを見ていた。

 だが、霧影は一歩も踏み込まなかった。

 その巨体がほんの少し、彼らを避けるように進路を変えたのを、私はこの目で見た。


「……ウソだろ、何で!?」

 

 仲間の誰かが叫んだ。

 私たちも、心の中で同じ叫びをあげていた。

 なぜ、あれほどの怪物が、目の前の日本人ではなく、わざわざ遠くにいる私たちを狙う?


 答えは、分からなかったが、霧影の動きはあまりにも明確だった。

 私たちを見据え、私たちを選び、私たちを“排除すべき敵”と認識しているかのように。


 私たちは必死に、艦隊が停泊していた港へと駆け出していた。

 戦車隊はすでに壊滅し、手持ちの小火器も霧影にはまるで通用しない。

 逃げ道は、もはやそこしかなかった。


 背後では霧影が、兵士たちを一人、また一人と容赦なく潰しながら迫ってくる。

 そのたびに、地面が揺れ、悲鳴が夜の闇に飲み込まれていった。


 ようやく港に辿り着いたとき、艦隊はすでに迎撃態勢に入っていた。

 サーチライトが霧の向こうに立つ巨影を捉え、戦艦の主砲が轟音とともに火を吹いた。


 砲弾が霧影の頭部を正面から捉え、凄まじい爆発が海岸線を揺るがす。

 轟音と爆炎が視界を覆い、私は思わず地面に伏せた。

 霧影は、よろめくことすらなく爆煙の中から姿を現すと、そのまま戦艦へと突進した。

 その突撃の衝撃だけで艦体全体がひしゃげ、大きく傾いた。


 だが、それで終わりではなかった。

 霧影の爪が鋼鉄を紙のように裂き、悲鳴と轟音の中で戦艦を——持ち上げた。


 それは、人間の理解を遥かに超えた光景だった。

 数万トンもの鋼鉄の巨体を、まるで乾いた木の枝のように軽々と振り上げたのだ。


 そしてそれを、他の艦の甲板にいた兵士たちを狙って叩きつけた。


 海におけるアメリカの力の象徴が、ただのバットのように振り回される。

 巨砲も、装甲も、戦略も通じない。

 巡洋艦も、駆逐艦も、次々に無力化されていった。


 戦艦の主砲すら無意味で、ただ海に火と煙を撒き散らすだけ。

 私はそのとき、連合艦隊の誇る“大艦巨砲主義”が、ただの無駄撃ちとして終わる光景を目の当たりにしていた。


 瞬く間に、港は火の海と化した。


 空を舞っていた戦闘機は虫のように叩き落とされ、海に浮かぶ艦船は、兵士たちを殺すためのバットとして使われた。

 強力な武器を備え、大勢の仲間を乗せた空母も戦艦も、ただ“大きいだけの鉄屑”として無惨に火を吹き、次々に沈んでいった。


 もう、誰もが戦意を失っていた。


 私たちは生き延びようと、残された艦船へと殺到した。

 人の波が甲板へ、通路へ、階段へと溢れかえる。

 その中で、私が艦に乗れたのは、ただの幸運だったとしか言いようがない。


 だが、そのわずかな幸運すら、霧影の前では意味を成さなかった。

 霧影が港に横付けされていた巡洋艦を地上に引きずり上げ、逃げようとしていた兵士たちの群れを一息に叩き潰した瞬間——私が乗っていた駆逐艦と貨物艦は、兵士たちの乗艦を待たず、出航を始めた。


「待ってくれ! 置いて行かないでくれ!」

「乗せてくれ……頼む、頼むから……!」

「なんでだよ……なんでなんだよ!」


 残された兵士たちは、必死に助けを求める声を上げていた。

 だが、その背後から、霧影が姿を現した。


 巨大な影が覆いかぶさった次の瞬間、助けを求める声は、悲鳴と許しを乞う声へと変わった。

 肉が潰れる音、骨が砕ける音、そして絶望が充満する叫びが、港全体に響き渡った。

 だが、駆逐艦も、貨物艦も、彼らを助けに戻ることはなかった。


 艦長も、船員たちも、彼らを見捨てたのだ。


 あのまま全員が乗艦を終えるのを待てば、霧影の餌食になる。

 自分たちが生き延びるためには、残された仲間を生贄にするしかない——それが、彼らの下した“最良の判断”だった。


 しかし、仲間を見捨ててまで稼いだ時間は、ほんの僅かだった。

 仲間たちを皆殺しにした霧影は、そのまま海へと身を沈め、泳いでこちらに迫ってきた。

 

 その姿を見た瞬間、全身が凍りついた。

 これまで数々の戦闘をくぐり抜けてきた。

 銃撃戦、砲撃、爆撃——死の恐怖を感じても、それに理性で立ち向かうことはできた。

 だが、これは違った。

 

 これは理屈を超えた恐怖だった。


「こっちに来るぞ!」

「最大全速! 全速前進!」


 駆逐艦も貨物艦も、全力で逃げようとしたが、それでも霧影の方が速かった。

 まるで、海すら障害にならないかのように、巨大な体を滑らせて迫ってきた。


 そして、私が乗る巡洋艦の後方にいた貨物艦が捕まった。


 霧影は水面を割って姿を現し、そのまま貨物艦に乗り上がった。

 甲板が悲鳴を上げて軋み、鋼鉄が裂け、船体が音を立てて潰れていく。乗っていた兵士たちは、なりふり構わず海へと飛び込んだ。


 そのときだった。

 スピーカー越しに、誰かの叫び声が聞こえた。

 

『頼む! 撃ってくれ! 奴を撃ってくれぇぇ!』


 貨物艦が引き裂かれる音に負けないほどの、切実な叫びだった。

 だが、巡洋艦の判断は——砲身を霧影に向けることだけだった。

 撃たなかった。ただ全速力で逃げた。

 

 きっと艦橋にいた艦長は、こう思っていたのだろう。

 撃っても無駄だ。次に殺されるのは自分たちだ。

 

 甲板にいた私たちも、それを悟っていた。

 誰一人、抗議の声を上げなかった。

 ただ呆然と、霧影に破壊されゆく貨物艦を見つめるだけだった。

 中には、スピーカーに向かって小さく頭を下げ、謝罪の言葉を呟く者すらいた。


『お願いだ……!見捨てないでくれ!!』

 

 スピーカーから響く声は、皮肉にもさっき自分たちが見捨てた仲間たちと同じ言葉だった。

 今度は自分たちが生贄にされたと気づいたのだろう。その声には、次第に怒りも懇願も混ざり、最後は絶望だけが残った。


 そして、貨物艦の中央で、突然、巨大な火柱が上がった。

 爆薬庫に引火したのだろう。

 絶叫と共に、艦そのものが爆ぜた。


『あああああああああああ!!!!!』


 ——その声を、私は今でも夢の中で聞く。


 爆煙が晴れても、霧影は沈みゆく貨物艦の残骸に、まるで玉座のように腰を下ろしていた。

 燃え上がる船体に囲まれながら、ただじっと、こちらを見ていた。


 巡洋艦はすでに遥か彼方へ離れていた。

 追ってくる気配はなかった。

 ようやく逃げきれたのだ。多くの仲間を失い、誇りも倫理も踏みにじってなお、生き延びた。

 甲板の誰もが、胸をなで下ろしていた。


 だが——その時だった。


 霧影の背にある棘が、ぼうっと赤く輝き始めた。

 まるで脈打つように、ゆっくりと、しかし確実に光を強めていく。


「……なんだ?」


 誰かが呟いた。

 次の瞬間、視界全体が真紅の光に染まり、耳をつんざく爆音と共に、巡洋艦が爆発した。


 何が起きたのか、まったく分からなかった。

 ただ、凄まじい衝撃が私の体を宙に吹き飛ばし、海面に叩きつけた。


 全身が砕けるような痛みに襲われ、息もできず、意識が遠のく。

 最後に見えたのは、炎に包まれて崩れ落ちる巡洋艦だった。

 艦橋も、甲板も、そこにいた仲間たちの姿も、もう何も残っていなかった——。

https://www.pixiv.net/artworks/130010576

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
霧影にとっての日本はどこまでなんだろ? もともと琉球国として別の国だった沖縄はいつから、霧影にとって日本の範疇に入ったのか? 北海道は?台湾は??朝鮮半島は???満州は????  なんて考えてしまいま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ