1.戦前
初投稿です。
「“あれ”は、昔から静かにこの国にいた。ただ、そこにいるだけだった。」
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太平洋艦隊所属の海軍士官だった私が初めて“あれ”を見たのは、1939年の夏。
当時の日本は欧米列強との軋轢を深めながら、中国での戦線を拡大していた。
そんな日本には他の国とは違う、異質な特徴があった。
まず、他の国と比べて自然や作物が豊かだった。
山々は青く、海は魚で溢れ、田畑は季節を問わず実りを約束していた。
そして、動物たちは私たちが知るそれとは違い、アメリカや他国と比べても強靭で活力に溢れていた。
クマは甲冑を纏った戦士のように筋骨たくましく、まるで神話に登場する魔獣のような凶暴性と威圧感を放っていた。
オオカミは群れで人里に現れ、軍犬さえ逃げ出すほどの知能と凶暴性を持っていた。
トカゲは鎧のような外殻に覆われていて、まるで車のような大きさと重さがあり、夜な夜な田畑を横切る音は機関車のようだった。
そして海。
私の国では軟骨で知られるサメが、日本ではまるで鋼のような顎を持っていた。
ある駆逐艦が佐世保港に寄港していたとき、艦体に噛み付いて穴を開けたという事件が起きている。
最初は潜水艦の攻撃を疑ったが、調査の結果、傷の形状が海洋生物の咬傷だと判明し、艦内は騒然となった。
それは日本人も同様で、老若男女問わず、山の麓から現れたクマやオオカミと争いを繰り返しており、子供がモリでサメ狩りをしていた。
信じられない話だが、私たちの部隊が漁村で見た光景である。
そうした環境ゆえか彼らは多産であり、過酷な自然の割に人口は多かった。
それでいて彼らには野蛮さはなかった。
むしろ、会話を交わせば礼儀正しく、抑制のきいた思考と穏やかな語り口を持つ、理知的な民族だった。
文化的であり、外国の技術や知識を積極的に取り入れる柔軟さも持っていた。
地方でも新聞が読まれ、学校には西洋式の教材が並び、街には電灯や鉄道が張り巡らされていた。
私が滞在した横浜の街並みは、まるで古い絵葉書のようだった。
木造の商家と白い西洋館が並び、子供たちは下駄で遊び、女たちは和服と洋装を使い分けていた。
石畳の道を荷車が行き交い、時折、蒸気の上がる銭湯の煙突が、夕暮れの空を焦がしていた。
そこには近代と伝統が、不思議な均衡を保って共存していた。
だが、それよりももっと異質なものがあった。
日本には「霧影」という、山のように巨大な化け物がいる、と――。
それは隋の時代から存在が噂され、記録の中に繰り返し現れていた。
そして、江戸時代に鎖国が解かれ、世界の目がこの国に向けられた時、ようやくその存在が国際的に知られるようになった。
特に、ペリー提督率いる黒船艦隊が日本を訪れた際、艦隊の記録に記された「霧を撒く巨大な生物」――それが欧米に伝わったことで、学会は騒然となり、民衆の間でもちょっとしたパニックが巻き起こったと聞く。
私も幼少期から、本の中で日本にはそんな生物がいると読んだ記憶があったし、教会の日曜学校でも、“異国の神の獣”として語られたこともある。
だが、当時の私や乗組員の誰もが、それを荒唐無稽な話だと思っていた。
神話や伝承の類いか、あるいは何かの生物の誇張、そういったものだろうと高を括っていた。
実際に目撃されたという報告すらも、異国情緒を演出するための脚色だと思っていた。
だが、日本に来てから数ヶ月後――私の常識は打ち砕かれた。
それはある昼のこと、横須賀の海からゆっくりと現れた。
真昼の陽光が照りつける中、突如として港全体に濃い霧が立ち込めた。
白く、冷たい――季節にそぐわないそれは、海霧とは明らかに質が異なっていた。
視界がぼやける中、艦上にいた私たちはただ警戒態勢に入り、異常な天候だとしか認識していなかった。
しかし、霧の向こうに“何か”が立ち上がった。
巨大な、あまりにも巨大な影。
艦のマストどころか、岸辺の倉庫や建屋が玩具のように小さく見えるほどだった。
その姿は巨大なトカゲというより、恐竜の復元図で見たアパトサウルスを思わせた。
だが、明らかにそれだけではなかった。
その首は太く短く、胴体はより筋肉質で、皮膚は岩のようにごつごつとしていた。
何よりも異様だったのは、その頭部――鋭く湾曲した顎と、奥深く光るような瞳。
ティラノサウルスのような肉食恐竜の特徴が色濃く混ざり合い、まるで両者の特徴を合わせ持つ“別の種”であるかのようだった。
四肢はしっかりと大地をとらえ、特に太く力強い前足は、一振で山を抉り取れると思わせるほどの骨格と筋肉を備えていた。
尻尾は太く、長く、艦の全長をゆうに超えていた。
振るえば戦艦すら叩き潰すであろうその質量は、見る者に本能的な恐怖を植え付けた。
だが、巨大な体に反して、その動きに重鈍さはなかった。むしろ姿勢は低く、イタチのように柔軟で、しなやかな印象を与えた。
巨体が音もなく移動する様は、不気味を通り越して、どこか異界の生物を思わせた。
背中や尾にかけては、骨が変形して突き出したような棘が無数に生えており、その棘の間から、あの冷たい白霧が絶え間なく放出されていた。
霧は風に逆らうように生き物めいて広がり、まるで地上をなぞるように街を包み込んでいった。
霧影は横須賀の海からゆっくりと現れると、時折こちらに物珍しげな視線を投げかけた。私たち、そして停泊中の戦艦に対して、まるで新しく設置された看板でも眺めるかのような興味の眼差しだった。
そのまま川沿いに向きを変えると、音もなく静かに歩き出した。
それが動くたび、私たち兵士はもちろん、港に居合わせた外国人たちも一様にどよめいた。
何人かは小声で祈るように言葉を呟いていた。
中には写真を撮ろうとして手を震わせ、シャッターを切れずに固まっている者もいた。
長らく日本に滞在していたであろう者すら、息を呑んでその姿を見つめていた。
だが、そんな中でも、日本人たちは驚く様子もなかった。
老舗の菓子屋の店主は腕組みをしながら「ああ、今日はこっちに来たのか」と呟いた。
すぐそばでは、先ほどまで車が行き交っていた川の橋が、重厚な音を立てて自動的に昇降を始めた。明らかに霧影のための特別な機構だ。
誰かが指示を出すでもなく、手慣れた動きで通り道が確保されていく。
警察も軍も動くことなく、報道すらただ淡々と通過時刻を伝えるだけだった。
この国の中枢は、あの存在を脅威と見なしていない。
まるで“共に生きること”を前提に制度や都市機能が作られているようだった。
住民たちは、ちらりと視線を向けることはあっても、すぐに日常の中へと戻っていった。
魚屋はまな板に向かい、学生は自転車を押して坂道を上っていく。
せいぜい子供たちが「見えた!見えた!」と跳ね回る程度で、それすらも、“今日は雨が降った”程度の反応にすぎなかった。
私には信じられなかった。
この国では、あの霧影の存在が、文字通り“日常”の一部として受け入れられているのだ。
霧影が通って何かが劇的に変わるわけではなかった。
建物が壊れることもなく、誰かが襲われることもなかった。
霧影が通ったことで変わったことがあるとすれば――霧を浴びた日本人の顔色が、どこか晴れやかになったことだった。
妙な言い方だが、活力が増したように見えた。
背筋が伸び、表情が明るくなり、子供は元気にはしゃぎ、大人は黙々と仕事に戻っていく。
その変化は、観察していなければ気づかないほど緩やかで、だが確かに“何か”が作用していた。
だが、私たち外国人には――少なくとも私自身には、霧の影響はまったく感じられなかった。
肌寒さ以外に変化はなく、活力が湧くわけでもなければ、視界が冴えるわけでもなかった。
諜報機関はすでに霧影の存在を調査していたようだったが、口外は厳しく制限されていた。
それでも私は、個人的な興味から、断片的に霧影についての情報を集めた。
さすがに軍人という立場上、機密に近づきすぎるわけにはいかなかったが、それでも古書や報告書、現地の話を通して、いくつかの事実にたどり着いた。
霧影はただ霧を撒き、道を歩くだけの大人しいものだった。
だが、文献をあたるうちに、その存在が太古の昔から日本の風土と人々に深く結びついているということが、次第に明らかになっていった。
時代ごとに異なる名で呼ばれ、霧影の他にも「雲龍」「白い神」「霧峰大蛇」「大和守」など、まるで天災か、あるいは神の如く畏れられていた。
目撃地も北海道から沖縄に至るまで広く、数ヶ月に一度日本に上陸しては、全身から白い霧を吐き出しながら各地を静かに徘徊しているらしかった。
そして、これまで確認されたのは常に一匹のみ。
繁殖の形跡もなく、群れを成していた記録も一切存在しなかった。
霧影は海中に潜んでいるとされているが、その食性や生態については謎のままだ。
餌となる存在を捕食する様子もなければ、縄張りを主張する素振りも見せない。
そもそも、あの存在が“種”として自然に成立しているのか――それすらも疑わしかった。
かつて、キリスト教の布教がこの国で根付かなかった理由のひとつに、この存在が関わっているとする記録があった。
おそらく、霧影のような存在が精神と信仰の深層に食い込んでおり、西洋的な“唯一神”の概念が、この国の自然信仰と共存する余地を与えられなかったのだろう。
宣教師たちは、度々「霧の時に幻覚を見る」と訴え、あるいは短期間で体調を崩して本国に帰国していた。
中には「悪魔がこの地を守っている」と日記に記した者もいた。
奇妙なのは、日本政府や学会が観測や記録こそ綿密に行っているものの、その生物に対する干渉や規制がまったくと言っていいほど見られないという事実だった。
監視網も、封じ込めも、武装や迎撃の準備どころか、警戒態勢すら取られない。
民間人の避難命令も出されることなく、唯一行われるのは、注意喚起と交通整理だけだった。
私はその光景を何度も目にするうちに、次第にある疑問を抱くようになった。
「もし、これが本当にただの生き物ならば――なぜ、彼らはここまで畏敬の念を抱くのか?」
ただの生物として見るには、彼らの態度はあまりにも慎重で、そして静かすぎた。
まるで、太古より続く何かの“掟”に従っているようだった。
だが、それを明かす手がかりを掴む前に、世界は大きく動いた。
第二次世界大戦へ向けて、各国がきな臭さを増していく中、私は軍務へと戻らざるを得なかった。
結局、霧影への関心は私個人の興味として胸の内に残ったままだ。
だが、その答えは戦争の最中、私が最も望まぬ形で、知ることになる――。