第10話 西のエルフが求婚しにきた
数ヶ月後。
様々な国々へと赴き、社交界をまたにかけたアデルは、エストリア王国(実家)に帰ってきた安心からか、執務室の机にぐでっと体を投げ出した。
外では、まるでどこぞの戦争にでも勝ったかのような歓声が上がっている。
レストリア王国は、異様なほどの祝賀ムードに包まれていた。主に、女王アデル・レストリアの婚約のせいである。
「国民が喜んでくれるのは嬉しいけど、喜びすぎでは? もっと、こう。殺気立ってるイメージだったんだけど」
ぽつりと呟く。
そう、アデルは婚約を正式に発表した。西のエルフの王、エリュシオンと。
レストリア王国の国民は王族との距離が近い。そして、アデルは先々代の王アーチボルトの孫にして、平和の象徴のような女王だった。琥珀色の瞳は、かの英雄を想起させる。
そのためか、彼女の祖父の世代を知る国民は、未だにアデルの時が少女のままで止まっていると思っている節さえ感じられる。
彼ら彼女らはアデルの婚姻に敏感であった。特に、三年前の婚約破棄以降はより顕著に。
「……相手がエリュシオン様だからなぁ」
のんびりとした口調でジェレミーは答えた。
すぼめた口と鼻の間には万年筆が挟まっている。
「相手がエリュシオンだと何が変わるの」
「ほら、あの人、じじばばウケがいいから……自分もそこそこ歳取ってるのにな」
「最後の言葉は聞かなかったことにするわ。あれでも人間換算だと私と同じくらいらしいわよ」
「エルフってただの長寿だと思っていたけど、単純に成長が遅い種族なんだな」
「時間の流れが違く感じるらしいからね」
「ふーん」
と、そこで執務室の扉が音もなく開いた。
「また二人で楽しげにして」
「エリュシオン」
「げ、」
思わず声を上げたジェレミーを、エリュシオンは冷ややかな視線で見下ろした。
「先の言葉は聞かなかったことにしておこう。こういう時は年上が丸くなるのだろう?」
「うっ」
「イリオスとゼルフィーがいなくてよかったな」
「いつから」
「じじばばウケの前から」
ジェレミーは「ほぼ最初じゃねーか」と不貞腐れながら呟いた。
「まぁまぁ、」と言いながらアデルは思わず苦笑した。
二人の親しげな様子にエリュシオンがムッとした顔をする。
「……アデルは私の婚約者だからな」
アデルとジェレミーの出会いから二人の関係値まで知っている。
二人がただの親しい主従の関係だと分かっていても、エリュシオンは釘を刺さずにはいられなかった。
「え、ジェレミー? ないない」
「おい。本人絶賛勤務中なんだが」
「ないとは」
「彼はその、私の侍女のクレアと!……懇ろな関係といいますか、恋仲、といいますか」
アデルの口から恥ずかしげに男女の関係を匂わすような言葉が出ると、エリュシオンは目を瞬いた。最近、アデルはエリュシオンにすぐ伝わるように古めかしい言葉で話すことが増えた。
「懇ろな関係」
……恋仲? あの喧嘩をよくしていた2人が?
好きな者や、愛した者には最大限の敬意と愛情を——これまで何十年も習い、言われ続けてきたエルフの風習に照らし合わせると、疑問が尽きない。
「——人間とは、面白いな?」
「はいはい、エルフ様にゃわからない機微だろうよ」
けっ、と言いながらジェレミーは前髪をかきあげた。指の間をすり抜ける髪の感触を確かめるようにしながら、ふと遠くを見るような表情を浮かべる。
「でさ、」
「うん?」
「あんたら早く結婚してくれない?」
アデルは顔を上げ、面倒くさそうに目を細めた。
「なんで」
「俺がクレアと結婚できないから。性格知ってるだろ?」
「あー……」
アデルは肘をつきながらジェレミーを眺める。
ジェレミーの婚約話は何度か耳にしていたが、まさか自分たちの結婚が障害になるとは思ってもいなかった。
「女王様の婚姻を見届けるまで結婚できません!、だとよ」
「そこに惚れたんでしょ」
アデルはくすりと笑った。
「まぁ。共通の主人にたらし込まれた人間としてはなぁ、わからなくもない」
ジェレミーは肩をすくめ、万年筆を指先でくるくると回す。その仕草にはどこか照れ隠しのようなものがあった。
「結婚といえば」
「うん?」
エリュシオンの声が響いた。
彼の声色は普段よりも少し低く、真剣な響きを帯びていた。
「アデル。君に選んでほしいことがある。今すぐじゃなくていい。結婚する時までに」
アデルは冗談めいた言葉を期待していたが、彼の表情を見て、それが違うとすぐに悟る。
「僕と、永久の時を生きるか、……それとも。人間として死にたいか」
その瞬間、執務室の空気が変わった。
エルフと人間。
限界寿命の異なる種族が結ばれるということは、そういうことである。
アデルが目を逸らしていた現実でもあった。
しかし彼女のハッピーな脳内は自分が人間として寿命を全うしたのち、彼がまぁどうにかしながら穏やかに暮らすだろう、という詰めの甘いことを考えていた。
だが、それはエリュシオンにとっては違った。
エルフの時間の流れは人間とは異なる。
数十年など、彼らにとっては一瞬に過ぎない。それでも、エリュシオンはこの短い時間をアデルと共に生きることを選んだ。それだけでなく、彼はアデルに選択を迫った。
アデルは唇を噛む。
「それは、」
エリュシオンの深緑の瞳が不安げに揺れる。
むしろ選択肢をくれたことに驚いているぐらいだ。エリュシオンの言葉を聞いてアデルはそうか、私の意思を尊重してくれるのか、と温かい気持ちになった。
——選択肢があるのであれば、アデルの答えは腹を括ったそのときから決まっていた。
「もし……私が人間として死にたい、と言ったらどうするの」
「君が長生きしないって言うだったら、まぁ僕も早めに跡取りを据えるしかないね」
「どういうこと?」
「君が死んだら、この世に生きる意味を見出せない。だから君の骸を抱いて死のうかなって」
「さらっと死ぬ宣言やめてくれる?」
「そんなものだよ。まぁこれは僕個人の意見だけど」
エルフそれぞれによると思うけどね、とエリュシオンは念押しする。
エリュシオンは吹っ切れていた。
アデルに愛されているという自覚。あとたった数年もすれば自国に嫁ぎにくるという約束。数年なんてエルフからすれば瞬きの間。
端の方で聞いていたジェレミーは「ここで話を進めるな」と思いながらも二人のことを見守っていた。
「……僕はきっと必死だ。自分の命を使って脅すほどに。使えるものは使う主義なんだ」
「私はそっちの主義じゃないけど、あなたの気持ちはなんとなくわかるわ」
アデルを失えば、そのあとは永遠にも及ぶ孤独。
彼女が生きていた、そして彼女と過ごした思い出だけを頼りに息をしていく。
はじめに声を忘れ。そして顔も、温もりも忘れ。最後には彼女の墓標の前で静かに自身の命が果てるのを待つ。
「ちなみに、もし君が長寿になれば、ずっと君の愛した国を見ることができるよ」
——だがきっと、ずっとそばにいられるなら。
「乗った!!」
アデルの勢いのある返事に思わず、というようにエリュシオンが「ふふ、」と笑う。
固唾を飲んで聞いていたジェレミーは「重要な判断がそれでいいのか」と思いながら、「まぁ我らが女王様らしい」と腕を組みながら笑う。
「失礼する。王よ、そろそろ一度国へ……」
ノック音。
扉が開くと、執務室に唐突に入ってきたのはエリュシオンの側近であるイリオスとゼフィールだった。しかし、彼らが目にしたのは予想外の光景だった。彼らの王が、婚約者とはいえ、滞在している国の女王に優しく抱きつき、そのまま唇を重ねている場面だった。
二人は思わず硬直した。イリオスは瞬きを忘れたまま口をわずかに開け、ゼフィールはそっと額に手を当てる。
「ありがとう、僕の愛し仔。かわいいロビン」
エリュシオンはまるで何事もなかったかのように微笑みながら、アデルの髪をそっと撫でた。
「……うげぇ」
「……うわぁ」
側近二人が揃って微妙な声を漏らす。
「そりゃ、身内に近い友人が女を口説いていたらそうなるだろうな」とジェレミーは納得したように頷いた。エルフもこういう感情を抱くものなのか、と妙なところで感心しながら。
「……王よ。女王が人の子だからといって、人前でそのような言葉を……」
「我らが王は、頭が完全にハネムーンのようだ」
愛し仔。 ロビン。
エルフにとって最大級の愛称であり、最も親密な愛情表現。しかもそれは通常、閨の中でのみ囁かれる言葉であった。
当のアデルはというと、エリュシオンに人前で堂々と口づけされたことにより、顔を真っ赤にし、わなわなと震えていた。声にならない抗議が喉の奥で詰まっているのがわかる。
「あらら」
そんな彼女を見て、ジェレミーは小動物を見るような目で呟いた。
「エリュシオン……!」
赤面しながらアデルが睨む。
「あはは、よろしくね、アデル」
エリュシオンは楽しげに笑いながら、もう一度彼女の手を握った。
そこへ、さらにノック音。
「え、なんですかこの状況」
書類を届けにきたリンドルが扉の前で固まり、遠い目をする。
こうして、エルフと人間の恋は、確かにここに叶ったのだった。
□
数年後。
レストリア王国では、新しき王の戴冠式が盛大に執り行われていた。
荘厳な城の大広間には王国の重臣たち、諸侯、そして国民を代表する者たちが集い、祝福の光に包まれている。金と宝石が施された王冠が静かに差し出されると、戴冠の儀が始まった。新王の肩にかかる重責と、国を導く決意がその場に満ちていく。
その光景を誇らしげに見届けたのは、王冠を渡した元女王アデル・レストリアだった。
彼女は堂々とした足取りで新しき王の前に進み出ると、王冠をそっとその頭上に置く。そして、ゆっくりと一歩下がり、静かに微笑んだ。王国は新たな時代を迎えたのだ。
戴冠式の後、アデルは長年慣れ親しんだ城を後にし、エルフの国へと向かった。
その姿を見送る国民の間には、名残惜しさと祝福が入り混じる。彼女が王国を去るという事実は、長年の統治に慣れ親しんだ人々にとって大きな変化だった。しかし、彼女がどこへ行こうとも、その存在は変わらずレストリア王国を見守り続けるだろう。
彼女はその後、何年も、何百年も変わらぬ姿で、遠く離れた地から愛する王国を見つめ続けることとなる。
王都を発つその日、城門前には多くの人々が集まっていた。
街の至るところから、人々は別れを惜しみ、最後の挨拶を交わした。
そんな中、彼女の前に静かに現れたのは、一人の男だった。
長身で優雅な佇まい。風に靡くプラチナブロンドの髪。
鋭いがどこか柔らかな眼差しをたたえた美麗な顔立ち。そして何より、彼の特徴的な長い耳が、彼が何者であるかを明確に示していた。
アデルはその姿を認めると、ふっと息をつき、どこか懐かしげに微笑んだ。
「まただ」
その言葉に、新しき王と国民たちは不思議そうに首を傾げた。
しかし、次の瞬間、アデルはその場に立ち尽くすエルフを見つめながら、嬉しそうにこう言った。
——西のエルフが求婚しにきた、と。
やがて彼女はそのまま馬車に乗り込み、新たな旅路へと進んでいく。
彼女の背を見送る人々の間には、未来への希望と、変わらぬ愛が確かに息づいていた。




