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それから、王子の処分は速やかに決定された。
アナスタシアとビクトルの婚約は解消、王家からユーフォリア侯爵家に慰謝料が払われる。
また、今まで空位だった王太子には、ビクトルよりふたつ年下の第二王子が決定し、戴冠式は一年後とされた。
第一王子ビクトルは、今後臣下に下ることが決定され、その婚約者は未定のまま。
王は、ビクトルとマーレイ子爵令嬢との婚約には反対しなかった。
しかし、ビクトルには爵位がない。王は安易にビクトルに貴族位を渡すことを良しとしなかった。ビクトルが結婚後も貴族でありたいなら、どこかの家に婿入りするしかない。
マーレイ子爵家には優秀な兄がおり、子爵令嬢には継ぐ爵位がない。これが高位貴族であれば、余らせているような爵位もあっただろう。
それがわかると、ビクトルとロザンナはどちらからともなく離れた。ビクトルがロザンナを捨てたとも取れるし、その逆とも言えなくはない。
ビクトルはロザンナからの献身と、ロザンナの実家の力を王位の支えにするつもりで側に置いた。そして、ロザンナも自分の実家の力があれば王妃を狙えると思ってビクトルに近づいた。アナスタシアが王子に興味がなさそうなことにつけいるつもりだったのだ。
どちらにも利益がなくなったための当然の結果と言える。
今はビクトルは学園でも静かに過しているようだ。
ほぼ内定だろうと思われた王太子になりそこなった第一王子など、どの家も縁を持とうとはしない。婿入り先は当分決まりそうになかった。
今までいた側近たちも、ビクトルとロザンナの態度に思うところがあり、距離を置いている。
対して、アナスタシアの周りはにわかに騒がしくなった。
「ユーフォリア侯爵令嬢、どうか私とお付き合いしていただけないだろうか」
まだ人も多い放課後の教室に、筋骨隆々というにふさわしい騎士科の生徒が、花束を持って跪いていた。
今日は伯爵家の三男だ。昨日は別の伯爵家の次男。その前の日は辺境伯家の次男。
「申し訳ありません、お付き合いはご遠慮いたしますわ」
アナスタシアの言葉に、大男が肩を落としてすごすごと帰っていく。これが最近の日常の風景であった。
ここ数日、騎士科の生徒が代わる代わるアナスタシアの元に通ってきていた。
アナスタシアの婚約者がいなくなったことで、もしかして噂になっていたアナスタシアの想い人は自分ではないか、と思う騎士科の生徒たちが、一縷の望みをかけてやってきているのだ。
マーレイ子爵家とは違って、ユーフォリア侯爵家には余らせている爵位がいくつかある。家を継げずに騎士として身を立てるしかない長男以外の者達にとって、アナスタシアはこれ以上ない相手なのだ。
普段なら遠慮してしまうような高位の令嬢だが、アナスタシアの側から想われているのであれば話は別だ。
今こそ、政略結婚で引き裂かれた身分違いの恋を成就させるときだ、と騎士科が色めき立っているのである。
騎士科以外でも、誰がアナスタシアの想い人か賭けが行われるほど、ちょっとした注目イベントとなっていた。
しかし、一向にアナスタシアに受け入れられる子息はあらわれなかった。
婚約解消が公になってから二週間ほどたち、目ぼしい高位貴族の子息は全員玉砕した。
残っているのは貴族でもかなり末席の者か、平民出身の者ばかり。
そうなると、さすがにひとりでアナスタシアのもとに訪れるのは気が引けたのだろう。残った生徒10人ほどと、自分が選ばれなかったことに納得がいっていない高位の者が数名、まとめてアナスタシアの教室にやってきていた。
「ユーフォリア侯爵令嬢、一体誰があなたの想い人なのか、ぜひこの場で教えてください」
ひとりが勇気を振り絞ってそう声をかけた。
その場にいる全員が、アナスタシアの言葉を今か今かと待っている。
アナスタシアはぐるりと教室を見渡して、申し訳なさそうに眉を下げた。
「あの…私、特別想う方はおりません。噂があったことは承知しておりますが、不都合もなかったので正さなかっただけですの」
注目していた全員が驚きアナスタシアを見た。
「それでは、なぜ騎士科の訓練を熱心に見つめていらっしゃったのですか…?」
集まったうちの誰かから、疑問が漏れた。それはその場の総意を代弁した声だった。
「それは…なにかに一途に、熱心に取り組まれている姿が羨ましくて…。情熱を持っている姿を眩しく思い眺めていただけなのです」
皆の表情がええええ、となんとも間抜けなものになっていた。誰も予想しなかった答えに、何と言えばいいのかわからなくなっていた。
アナスタシアが騎士科の訓練風景に目を留めたのは本当に偶然で、もしそれが目に見える形であれば、勉学に励むもの達の姿でもかまわなかった。
自分が何のために王子妃教育を受けているのか分からなくなっていたアナスタシアにとって、ただ前だけを見据えているような、騎士科の訓練風景は憧れの対象であった。彼らのように情熱を持つことができない自分の代わりにしていたのだ。
自分に想い人がいると噂になっていることはわかっていたが、アナスタシアはここでもなにもしなかった。
本来であれば不名誉な噂には対処するのが王子の婚約者の務めだっただろう。
だが、アナスタシアはこのまま王子の婚約者として不適格とされるのであればそれもよしと思い、放置したのであった。
かくして、学園を騒がせていたアナスタシアの想い人騒動は幕を閉じた。
このことは、がっかりした騎士科の生徒と目撃したクラスメイト達によって、瞬く間に学園中に知らされたのであった。
その後、まもなくアナスタシアと第二王子セルジュとの婚約が発表された。
今日はセルジュ第二王子とアナスタシアの、婚約者としての初めてのお茶会の日。
今更顔合わせという間柄でもないが、一応そういうことになるのだろう。
アナスタシアはほんの少し、緊張している自分を感じていた。
初めてのお茶会。いやでもビクトルとの最初の日を思い出してしまう。
茶会の席に現れたセルジュは、そんな緊張を打ち消すような、やさしい笑みを浮かべていた。
「アナスタシア、と呼んでもいいだろうか。私のこともぜひセルジュと呼んでほしい」
今までは義姉上、第二王子殿下、と呼びあっていた仲だ。セルジュの提案に、アナスタシアもうなずく。
「はい、セルジュ様」
「義弟だと思っていた者をいきなり男として見ることはできないかもしれないが、どうか長い目で見てやってほしい」
セルジュは、その人の良さが滲み出るような笑顔だった。それにはアナスタシアのほうが恐縮してしまう。
「そう申し上げるのは私の方です。義姉を女としてみるのはお辛いでしょうが、どうか辛抱なさってください」
アナスタシアの言葉に、セルジュがはははと明るく声をあげた。
「それなら問題ない。今まで誰にも言ったことはないが、私の初恋はアナスタシアなのですよ。自覚したと同時に散った、淡い想いではありましたがね」
セルジュは恥ずかしそうに頬をかいた。照れ隠しに紅茶をあおる。
「まだ未熟な私だけど、あなたに背中を預けられるのであればなんとかなると思うんだ。…あなたは、この婚約をどう思っている?どうか聞かせてほしい」
アナスタシアは、はっと目をみはった。
ビクトルにも、『君はこの婚約についてどう思う?』と聞かれた。そのとき自分はどう答えたんだったか。
あのときの緊張感とは違った、温かいものが胸に広がる気がする。自然と、顔がほころんだ。
「とても、誇らしく、光栄に思っております。私も、セルジュ様となら、なんとかやっていけると思いますわ」
やっと自分の立つべき場所を見つけたアナスタシアの瞳から、真珠のような涙が一粒だけ滑り落ちた。
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