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「おそれながら」
わなわなと震える両家の両親を前に、アナスタシアが声をかけた。
「殿下は、普段ご家族を除いて、ご自身よりも下位の存在としか接する機会がありません。今のようなお考えで接していても、特に不思議に思う人はいなかったのだと思います。唯一対等たり得る私のみが、殿下の考え方に違和感を感じておりました。ご指摘ができず申し訳ございません」
「対等ではないだろう、第一王子と侯爵家の令嬢では明確に序列が存在するのだから」
「……このような状況です。しかし、私でなければきっとなにも感じない。殿下は大変優秀な方ですから、私がこの違和感を訴えても、私の言葉だけでは誰も信じてくださらなかったでしょう」
アナスタシアの言葉に、国王夫妻は口をつぐむ。確かにその通りだった。両親でさえも、目の当たりにしてなお信じられないのだ。それを、言葉だけで説明されても信じていたとは到底思えない。
「マーレイ子爵令嬢との仲が噂になっていることは承知しておりましたが、私はなにもしませんでした」
なにも。そう、なにもしなかった。
王子を諌めることも。
子爵令嬢に釘を刺すことも。
両親に相談することも。
国王夫妻に奏上することも。
「私は殿下の婚約者としてなすべきことをなにもしませんでした。どうか、その責めは私だけに留め、家へのお咎めはご容赦いただけますと幸いです」
アナスタシアは深々と頭を下げ、感情の見えない声で告げた。
両親はその姿を驚きの表情で見つめた。
国王は、一拍の後にゆるく首を振って、アナスタシアの頭を上げさせた。
「アナスタシア嬢、どうか自分を責めないでくれ。今回のことはすべてビクトルに非がある」
「なっ、そんなわけないではありませんか!」
ビクトルが慌てて父を見る。しかし、国王の目はそんなビクトルの姿をひどく冷めた目で見つめた。
「うるさい。なぜお前は自分に非がないと思えるのか、疑問でしょうがないわ。…お前の望み通り、アナスタシア嬢とは婚約解消とさせてもらおう。もちろん、お前の有責でな」
「有責だなんて…話し合いの末の結果ではありませんか!なぜ私の経歴にケチをつけなければならないのですか!」
普段冷静なビクトルにしては珍しく、声を荒げて立ち上がった。アナスタシアは、こんなときなのに、王子が大声を出すのを初めて聞いたな、と呑気なことを考えていた。
王妃が大きくため息をつく。
「あなたが、人の心を理解できないからです。臣下は盤上の駒ではなく、血の通った人間なのですよ」
「王は、人の心がわからぬようでは務まらぬ。人の心がわかってはじめて、非道にも思える判断ができるのだ。ビクトルよ、お前は王の器ではない。王位は第二王子に継がせることにする」
「そ、そんな…私のほうが優秀ではありませんか…」
ビクトルの顔がみるみる青ざめていく。彼は、第一子であり、兄弟で最も優れた自分が王になる未来を疑ったことなどなかった。
「勉学の優秀さだけでは王の器は測れぬ。今まで王太子を決めていなかったのは、そこを見極めるためだ」
ビクトルは言葉が出てこないようだった。
アナスタシアは、ああ、あのときの私と同じなのだな、と感じた。
まだ正式に決まっていないだけで、第一王子と王太子は同義であると信じていた。周りは当然のようにビクトルが王になる前提で動いていたのだから。
その足場が急に崩れて、どうしていいかわからないのだろう。
婚約に対するビクトルの思惑を理解したときの、アナスタシアと同じ。
アナスタシアは、あれからずっと空虚な気持ちで生きてきた。そこにいるのにいないような、何のために生きているのかわからなくなるような。
今、ビクトルが同じような状況になってみて、別にざまあみろという感情はわかないのだな、と冷静に自分を振り返っていた。
もはや、アナスタシアにとってビクトルは感情を動かす対象ではなくなっていたようだ。