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「アナスタシア・ユーフォリアが第一王子殿下にご挨拶申し上げます」

「ああ、楽にしてくれて構わない」


アナスタシアは完璧なカーテシーで、入室したビクトルを出迎えた。

その日はアナスタシアの13歳の誕生日の翌日であった。

この国で13歳からは成人と見なされ、正式な社交を営むことが許される。

数ヶ月前にすでに成人していたビクトルと、昨日成人したアナスタシア。ふたりはこの日、正式に婚約者となって王宮で顔合わせをしていた。


ふたりの婚約は10歳のときから内定していたが、いままでは挨拶程度しか交わしていなかった。ふたりきりで話したこともない。

この国では、成人するまでは異性と積極的には交流しないのが一般的だった。

下位貴族であればここまで厳しいことはないが、アナスタシアは侯爵令嬢、ビクトルは第一王子だ。格式に則った、由緒正しい方法での交流となった。



アナスタシアとしては、初めての身内以外の異性との交流、それも王子殿下が相手である。

13歳ですでに淑女として完璧と家庭教師に太鼓判を押されている彼女ですら、緊張で表情が強張っていた。


対するビクトルは、アナスタシアを一瞥すると、ふっと目をそらして席についた。

よく言えばリラックスした、悪く言えばアナスタシアにさして興味がなさそうな態度であった。

アナスタシアも促されるままに着席する。ビクトルは静かに紅茶に口をつけ、話し始める様子がない。

アナスタシアが何か口火を切るべきかと、話題をいくつか頭に浮かべて考えていた。


アナスタシアが何か話題を見つけようと考えていると、ビクトルが口を開いた。


「アナスタシア、君はこの婚約についてどう思う?」


不意の問いかけに、アナスタシアは一瞬驚いたが、すぐに表情を整えて答えた。


「私はとても光栄に思っております。殿下と共に国を支える役割を果たせることは、私の誇りですわ」


ビクトルはその返答に微笑んだが、その笑みにはどこか冷たさがあった。


「そうか。君は本当にこの婚約を望んでいるのか?」


ビクトルの言葉に、アナスタシアは内心首をかしげた。

アナスタシアが望んでいるのか、と聞かれれば、そうではある。それは侯爵家の娘として、そう望むように教育されてきたからだ。

10歳の頃から、いや、それよりももっと前、第一王子と釣り合いが取れる年齢で生を受けたその時から、アナスタシアは王子妃たれと望まれてきた。

アナスタシアにとって、国と我が家の益となる婚約を望むのは当たり前であった。


どう答えるのが正解なのだろうか、殿下はなにをお尋ねなのだろうか。

緊張も相まって、即答できずにいると、それをどうとったのか、ビクトルはため息をついた。


「率直に言おう、アナスタシア。この婚約は私たち自身の意志ではなく、両家の利益のために決められたもので、私の気持ちは考慮されていない。君はこの婚約に本当に心から納得しているのか?」


アナスタシアは心臓が一瞬止まったように感じた。

つまり、ビクトルはアナスタシアを望んでいない、と言ったのと同じだった。

今胸にある感情がよくわからなかった。じんわりと不快な黒いインクがシミを作る感覚だった。

彼女は自分の頭を整理しながら、慎重に言葉を選んだ。


「確かに、婚約は王家と我が家で決めたものであり、そこに私の意志はございません。しかし、私はこの婚約が国のためになると信じております」



ビクトルはその言葉に一瞬考え込んだが、やがて静かに言った。


「すまないな、君が悪いわけではない。だが、私にはこの婚約を、自由を奪う重荷のように感じている。君はどうだい?」


あっけらかんと言い放つ王子殿下に、それは今言わなければいけないことなのか、とアナスタシアは思った。

なぜ婚約者とはじめて公式に顔合わせをする場で、本当はあんまり婚約したくなかったんだ、というようなことを言うのか。

ビクトルは文武両道で将来有望な王子と名高いが、人の心を慮っているとは言いがたかった。


これが婚約者を傷つける目的で発されている言葉であればまだ理解できた。だが、おそらくビクトルにそんなつもりはない。アナスタシアも自分と同じように思っていると信じて疑っていないのだ。


両親や国王夫妻が聞いていたなら必ず咎めたであろう。しかし、今はアナスタシアとビクトルしかおらず、使用人や護衛も、会話が聞こえないよう離れて控えている。

この王子の心ない言葉を聞いているのはアナスタシアただひとりだった。


今までアナスタシアはこの婚約を光栄に思っていた。ますます努力して立派な王子妃になろうと、決意をして生きてきた。しかし、王子の言葉で、彼が言う通り、一気に婚約が重荷になってしまった。

それでも、一臣下であるアナスタシアがおいそれとその言葉に同意するわけにはいかない。


「殿下のお気持ちは承知いたしました。私たちの関係が互いの幸福に繋がらないのであれば、今後のあり方を考えなければならないのかもしれません」


ただ、ビクトルの言い分を返しただけで、自分の意向はまったく断言していない言葉。しかし、ビクトルはそれをいいように受け取ったようで、出会ってから一番の優しいほほえみを浮かべた。


「アナスタシア、君は本当に理解ある人だ。この婚約は今すぐ解消するわけではないが、これからお互いの理解を深め、少しずつ進んでいくことを考えよう」


アナスタシアは静かに微笑み頷いた。



これが彼女とビクトルの初めての会話であった。

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