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上天の巫女は愛を奉じる  作者: 紬夏乃
永久の章
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 人の世に白陽の巫覡(ふげき)が生まれ、ようよう安定を取り戻した頃。着物を仕舞う桐箱とたくさんの包みを携えて、羊守(ひつじのかみ)虎守(とらのかみ)が揃って八重を訪ねてきた。あらかじめ今日は屋敷にいて欲しいと井守から聞いていた八重は、ふたりを出迎えて自室に招く。


「八重様、本日は着物と袴をお持ちいたしました」


 羊守(ひつじのかみ)はそう言って、包みを開いていくつも着物を取り出した。桜色、白菫色、小花や籠目に手毬の文様。袴は芥子色や葡萄色に鶯茶色……色とりどりの華やかな着物は、目に眩しい程見事だった。


「そんな、こんなに沢山……」


「八重様は白陽様の妻となられたのですから。これでも足らぬくらいですよ」


 羊守(ひつじのかみ)は、次は何にいたしましょうね、と穏やかに微笑む。八重に聞けば『もう十分だ』という答えしか返ってこないとわかっているので、八重の好みを探りながら、白陽やナズナ、井守家守と話しながら、どんどん着物を持ち込む腹づもりだった。


 喜んで礼を言わねばと思うのに、あまりの贅沢に上手く喜びを表せずにいる八重に向かって、虎守(とらのかみ)は桐箱をずいと寄せる。


「その着物はこれに仕舞った方がいい」


 態度を変えぬ虎守(とらのかみ)に少し感動しながら、八重はそっと襟元を撫でた。八重がずっと身に纏っている白装束は、里の皆に持たせてもらった大切な大切な着物だ。とはいえ、いくら里で一番綺麗な着物だったと言っても、目の前に並べられた着物とは比するべくもない。八重は声に一抹の寂しさを滲ませて、そっと呟いた。


「やはり、立場にそぐわぬでしょうか……」


「違う」


 虎守(とらのかみ)は八重の言葉に、頭を振って淡々と話し続ける。


「それは、とても大切なものなのだと思う。だからこれに仕舞った方がいい」


虎守(とらのかみ)、それでは言葉が足りませんよ」


 羊守(ひつじのかみ)がやんわりと口を挟んだ。


「何も、もう身に着けぬようにと申すわけではないのです。ただ、その着物は人の世で作られたもの。ここで暮らしているうちに、(いず)れ朽ちてしまいます」


「だから箱を持ってきた。八重様はもう神なのだから、時止めに触れても大丈夫」


 朽ちぬように、八重がずっと、よすがとして手元に残せるように。守るために来てくれたのだと気付き、八重は目頭を熱くする。


「……っあ、ありがとう、ございます」


「うん」


 虎守(とらのかみ)はにこりとするでもなく、平然とこたえる。特別なことは何もない、当たり前の行いだと、その態度が示していた。


 八重は鼻を赤くしながら、並べられた着物に手を伸ばす。羊守(ひつじのかみ)と、まずはどれに袖を通すかと話して、袴と合わせて、色の組み合わせに頭を悩ませた。


 意外なことに虎守(とらのかみ)も口を出して、これがいい、これが似合うと指をさす。八重は心底悩んで、ようやっと決めた、皆で選んだ一式に袖を通した。虎守(とらのかみ)が着付けを手伝って、羊守(ひつじのかみ)は八重が脱いだ白装束を清めて丁寧に畳む。


 たとう紙で白装束を包み、桐箱にそっと寝かせる。蓋をして紐を結び、虎守(とらのかみ)が結び目に手をかざした。


「閉じよ閉じろよこれより先は我が守護の内、我が護る財に一切の瑕疵(かし)はない」


 虎守(とらのかみ)がまじないを唱える。肩口で切り揃えられた虎守(とらのかみ)の髪が浮き上がり、着物の袖がたなびく。虎守(とらのかみ)の手元が一瞬強く輝いて、光は収束する。カチリ、と鍵のかかる音が響いた。


「これでいい。見たくなったら、開けて出すといい。仕舞って紐を結べばまた時が止まる」


 虎守(とらのかみ)は淡々としていて、しかしその有りようはどこまでも優しい守り手で。八重は羊守(ひつじのかみ)虎守(とらのかみ)の優しさがうれしくて、とうとう目から涙を溢れさせた。


 嗚咽混じりに礼を言い、ぼろぼろと涙を落とす八重に虎守(とらのかみ)はぎょっと目をむいて、「気にしなくていい」「当たり前のこと」と言いながらおろおろとうろたえる。


 羊守(ひつじのかみ)はそんなふたりを微笑みを浮かべながら見守っていて、虎守(とらのかみ)はそれに気付いて『笑っていないで助けてくれ』と目で訴えた。


 ナズナが覚束ない手つきで「おちゃを! おもち、しましたっ」と言って入ってくるまで、八重は温かさを噛み締めて、泣き止むことができなかった。




 秋の山に、茸も採りに行った。


 八重は神となったのでもう秋の山にもひとりで行けるようになったのだが、約束を果たそうと、犬守(いぬのかみ)が訪ねてきたのだ。


 八重が白陽の妻となって、一番態度を変えたのは犬守(いぬのかみ)だ。犬守(いぬのかみ)はまるで、忠実に仕える臣下のような態度で八重に接するようになった。


 それでも一度だけ、共に出向いた秋の山で八重が茸を探していると、頭上から(わざ)と「巫女殿」と呼びかけられて。八重が頭上を見上げると、犬守(いぬのかみ)が木の枝に腰掛けて悪戯そうな笑顔を浮かべていた。


 心の距離が開いたわけではないのだ。もとより犬守(いぬのかみ)は、過度な馴れ馴れしさや甘えを許さない気性の持ち主だったが、八重に対して臣下のように振る舞うのは、それが『白陽に仕えるもの』としての、彼の矜持の表れなのだろう。


 八重は満面の笑みを浮かべて木に登り、並んで枝に腰掛けた。よく熟れた木通(あけび)を手渡されて、それを噛りながら紅葉を眺めた。


 木を降りれば終わる約束の時間に微笑みを浮かべながら噛じる木通(あけび)は甘く、懐かしい味がした。







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― 新着の感想 ―
虎守。。。! 駄目だ、推しランキングが揺らぐ。 犬守。ワンちゃんだから、上下、主君の意識が強いのね。なるへそ〜
こうして、少しずつ人だった頃の名残と一線を引いていくんだなと……。里で着せられた着物がいずれは朽ちる、というのは、里の人たちもまたそうである、ということ。 着物を通して、かつてともに暮らした人びとを想…
忠義にあつい犬守かわいい♪ 人の世で作られた八重様のお着物は朽ちていってしまうという話にすごく納得しました。世界観の練り込みが自然ですごい…! 虎守の術も羊守もよかった~~♪ 神の御業を目にすると、"…
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