心尽くしの
田植えを終えて、育ち始めた稲を世話する八重の元に、猪守が訪ねてきた。猪守は唇を尖らせて、八重に向かってずいと手を差し出す。手の上には、ころと膨らんだ包み紙が乗せられていた。
「……やる。受け取れ」
八重は驚いて「少しお待ち下さい!」と声を上げ、慌てて水路で手を洗う。腰に挟んだ手拭いで手を拭きながら猪守に駆け寄り、包み紙を受け取った。
「まあ、何でございましょう」
「開けて食えばわかる」
「はい。早速いただきますね」
猪守は八重が包みを受け取るなり手を引っ込めて、拗ねたように地面を睨んでいる。もしかしたら照れているのだろうか、と心和ませながら、八重は包みを開いた。
包みの中には、きな粉をたっぷりと纏った小さな塊がいくつも入っていた。伸ばした棒をぱつぱつと切り落としたような形は見るからに柔らかそうで、八重はそっと一粒摘み上げて口に入れる。
一番に感じるのはきな粉の香ばしさ。喰めば舌上でとろけ、芳醇な香りと蜜の甘さが口に広がる。なめらかに口の中で溶けて消え、濃厚なおいしさに香ばしさの余韻が残る。八重は目を丸くして、頬を押さえた。
「お前は飴が好きなんだろう。……ばあちゃんと作ったんだ」
「ありがとうございます……! とてもおいしいです。これは、蜂蜜ときな粉ですか?」
「ああ。蜂蜜は喉に良い。白陽様に歌を捧げるのだから、労れよ」
「はい!」
喉を労れと貴重な蜂蜜を、それも八重が好きだからと手ずから飴にしてくれたその気持ちが嬉しくて、八重はにこにこと笑みこぼれた。心底嬉しそうな笑みを浮かべる八重を見て、猪守はしれっとした顔で言葉を続ける。
「最初に絞った新蜜だ。白陽様にもまだお納めしてない」
「ごほ……ッこほっ」
「ははっ!」
八重は驚きのあまりむせ返った。けほけほと咳いて目を白黒させる八重に、猪守は可笑しそうに笑い声を上げる。
「じゃあな!」
詫びはしたからな、と笑って駆けていく猪守を呆然と見送って、八重は思わず吹き出した。
「ふふっ!」
初めて八重に笑顔を見せて、足を弾ませて去っていって。あれではまるで悪戯が上手くいったと喜ぶ小僧のようではないか、と、八重は暫く青空の下で笑い続けた。
§
「ごめんくださいな」
数日後の朝、今度は八重が田んぼへ向かおうとするところに羊守が訪ねてきた。羊守は手に大きな包みを持って、八重を見て微笑みかける。
「朝も早くから申し訳ありません。御屋敷で巫女殿にお会いしたかったものだから」
屋敷で八重を捕まえようと思えば、朝田んぼに向かう前か、夕方に屋敷に戻った時以外に必ず居るという時間がなかった。夕方は戻っても白陽に膳を持って行く勤めがあるので、朝が一番都合良かったのだ。
「とんでもありません。……あの、もしかしてご用とは」
「ええ、羽織が出来上がったのです」
わざわざ羊守が八重を訪ねてくる理由に思い当たるふしがあり、八重はおずおずと羊守を伺う。羊守は柔らかな笑みを浮かべて包みを開いた。
「ああ、待たれよ。衣こうをお持ちしよう」
包みから羽織を取り出そうとする羊守に気付き、井守が声をかける。井守はそのまま屋敷の奥に行って、すぐに土間に面した和室に衣こうを据えた。
「ありがとうございます」
「いやなに」
羊守は礼を言って和室に上がり、改めて包みを開いて衣こうに羽織をかける。八重も和室に上がって、井守と並んで羊守が衣こうに羽織をかけるのを眺めた。
「さあ、こちらです」
示されたのは、とても美しい羽織だった。見るからに艶やかな白地の正絹に見事に咲く紅白梅。緋色の胸紐が胸元を飾って、柔らかく結ばれている。八重と井守は揃って感嘆の吐息をついた。
「おお、これは見事な」
「ふふ、会心の出来ですよ」
八重は僅かに震える手を口元に当てて、羽織に見入った。こんなにも美しい羽織など、神々が身に纏っているもの以外にみたことがないと、声を震わせそっとささやく。
「………こんなにも、見事な羽織を私が頂いてよろしいのでしょうか」
「ええ、もちろんです。巫女殿のために仕立てたのですから」
「まあ、まあ、そんな、勿体なく」
「いいえ、巫女殿。私達は本当に、巫女殿に感謝しているのですよ」
「そんな……」
八重は驚きのあまり、きょろきょろと目を泳がせる。さまよう視線の先で、井守がにっこりと笑って頷いた。羊守に目をやれば、羊守も柔らかく笑んで八重に頷きかける。
「ぜひ、受け取ってくださいね」
「はい……! ありがとうございます!」
「ええ」
羊守は花開くように頬を緩ませた。八重も満面の笑みを浮かべて、羊守に頭を下げる。羊守は柔らかな声で、今度はこれを羽織ってまた共に花見をしましょう、と八重を誘う。そんな日を必ずと願い、八重は「はい!」と大きく頷いた。