歌を
巫女として認められたことを、疑わぬと心に決めた。だが愛を捧げることには疑いを持ってしまったのだ。今も白陽に取り憑いている災厄の血縁がどんな顔をして、と。
想いが通じなくても、白陽に告げないと決めても、愛を歌い白陽の傍に居られるだけで八重は心の底から幸せだった。でも、と八重は自室で一人拳を握りしめる。
こんなにも分不相応な想いは封じ、忘れてしまえと理性が訴える。嫌だ、お慕いしているのだと感情が叫ぶ。苦しくて、胸が張り裂けそうだった。
〈やえさま、いいこ〉
〈いいこ〉
思い悩む八重に、ナズナが心配そうに声をかける。愛くるしい様子に和まされ淡く微笑んだとき、八重はふと、優しい女神の笑顔を思い出した。
「……ナズナちゃん、兎守様に喜んでもらえるような、山で採れるものを知っている?」
〈しってる!〉
〈ナズナ、しってる!〉
喜んで飛び跳ねるナズナに、八重は両手を差し出した。ナズナは八重の手に乗ってぴょんぴょんと跳ね続ける。
〈しってるよ!〉
「明日、連れて行ってくれる?」
〈できるよ、ナズナできる!〉
田畑の世話も一段落して、水の具合を日に何度か確かめれば八重は自由に動ける。「お願いね」とナズナに微笑みかけて、八重は布団に横になった。悩みは尽きないが、心が少し軽くなるのを感じていた。
昼過ぎ、八重は背負い籠に沢山の根っこを詰めて、兎守の屋敷の前で立ち尽くしていた。いつも沢山お菓子を頂くからお礼がしたいのだ、と井守や家守に言い訳をして、朝から山でわらびの根を掘った。本当にこんな根っこでいいのかと戸惑う八重に、ナズナは〈これ!〉と言って花を舞わせた。
屋敷の前まで来たはいいものの、手土産に自信は持てず、考えてみれば、ただ神に甘え、縋りたい一心でここに来てしまった気がし始める。やはり出直そう、と八重が踵を返そうとしたとき、屋敷の扉が開けられた。
「八重ちゃん?」
顔を出したのは、兎守だ。兎守は八重の顔を見るなりにっこり微笑んで、八重の元へ歩み寄る。
「玄関にいるのが見えたからご用かなと思って出てきちゃったんだけど、どうしたの?」
「あの、いえっ!」
思いがけず現れた兎守に、八重は慌てふためいて背負い籠を差し出す。口から飛び出したのは、用意していた言い訳の方だった。
「おっお菓子を頂くので、お礼をと思いまして、私には何に使えるか分からないのですが、そのっ!」
「わあ、わらびの根っこ!?」
兎守は差し出された籠の中身に瞳を輝かせる。
「うれしい、ありがとう八重ちゃん! ねえ、上がっていってよ。一緒にお茶しよう?」
「いえ、私は……」
八重は申し出を断ろうとしたが、期待のこもった兎守の眼差しに言葉が詰まった。土まみれの根っこが入った籠を兎守に持たせるのも気が引ける。八重は少し迷いながら、「その、お邪魔いたします」と返事をした。
玄関を上がって童子に籠を預け、通されたのは中庭に建てられた茶室だった。開け放たれた障子から臨む、整えられた庭園の景色が美しい。
暫くの間、八重が持ち込んだ根っこやお菓子の話で盛り上がった。話に飽きたナズナは庭園に飛び出し、池を覗き込んで楽しげに回っている。
言葉が途切れ、一瞬の静寂が訪れたとき、兎守は微笑みを浮かべて八重を見つめた。
「勘違いだったらごめんね。相談があるのかなって、思ったんだけど」
兎守の言葉に、八重はやはり神様は様々なことをお見通しでいらっしゃるのだ、と下を向く。
「……仰るとおりなのです。ですが」
八重はためらって、膝の上で茶の入った湯呑みをさすった。
「容易く神に縋るなど、あまりに身勝手ではないかと思い……」
「頼ってよ!」
兎守は八重を真っ直ぐに見つめ、両手で拳を握る。
「私は神様で、八重ちゃんのお友達なんだから!」
友達の相談に乗るのは当たり前のことだ、と胸を張る兎守に、八重は目を潤ませた。友と呼んでくれることが嬉しくて、掠れた声で「はい」と囁く。兎守の優しい眼差しに励まされ、八重は心の内を吐露し始めた。
「実は、その……白陽様に歌を奉納する際に、お慕いする気持ちを込めて歌っていたのですが……」
「うん……!?」
兎守は目を見開いて、八重を食い入るように見つめる。湯呑みに視線を落とし思い悩む八重は、兎守の反応に気付かずに相談を続けた。
「良くないのでは、と思ったのです。元より想いを告げるつもりはなかったのですが、そもそも災厄の血縁が白陽様に想いを寄せるなど、許されることではないのでは、と」
「――ええと、告白をするつもりはなく…………?」
「はい。歌を歌って、お側に仕えることが出来れば幸せだと思っております」
ごくりと息を呑む兎守に、八重は小さくこぼすように言葉を返す。兎守は身を乗り出して、俄然瞳を輝かせた。
「うん、うん。わかった。それで?」
「分不相応な想いなど抱かぬ方がよいのだと思い、思慕の念を込めて歌うのはやめようと……忘れようと、考えれば考えるほど、苦しくて」
今にもこぼれそうな涙を目に溜める八重に、兎守はぐっと目を瞑り膝を叩いた。兎守は菓子を納めるために、白陽とよく顔を合わせている。少し前から変化した白陽の柔らかな雰囲気にも、ここ数日のどこか物憂げな様子にも、一切合切に合点がいった。兎守は八重の手からそっと湯呑みを抜き取り、床によける。
「歌おう……!?」
兎守は八重の両手をがっちりと握りしめ、衝動に駆られるように声を振り絞った。
「愛は、すごい力なんだから……!!」
「私の想いは、白陽様のお力になれるのでしょうか……?」
「なるよ、すっごくなる!」
弱々しい八重の問いかけに、兎守は力強く頷く。
「許されないわけない。八重ちゃんの愛は、絶対に白陽様を守るんだから!!」
「……ッ、はいっ」
兎守の真剣な瞳は、心の底からの肯定を伝える。想いを捧げることが白陽の力になれるのなら、と八重は瞳から大粒の涙を零す。
兎守は泣く八重を抱きしめ励まして、八重を勇気付け続けた。